161号

 午後1時、仕事がやっと終わった。3時に秀水園に行けばみこしに間に合うから時間は充分あると一安心。だが50CCに乗ってから市役所に行く事にした。確か1時にみこしが市役所から出発するからだ。市役所の手前で交通整理の方に止められた。市役所から出てきたみこしに声をかけて家に帰り着替えた。まだ3時には1時間半もある。胃の辺りの血が騒ぎ出し、頭まで駆け上った。3時まで待てなかった。50CCで追いかけた。ハイビスカスレンタカーで捕まえた。皆が「遅かったね」と声をかけてくれた。申し訳ないと思い、缶ビールを一気に飲んだ。皆に追いつかなくてはとさらに飲んだ。3時の秀水園を出るときには追いついたようだ。
 30年前からの祭りのY先輩がいた。彼もかなり酔っていた。久しぶりに担ぎに来たと元青振連会長のTさんもいた。もちろん長年一緒に担いでいるIさんも。
 セントラルパークに着いてからもかなり飲んだ。駅前にみこしを移動した。私も一緒だったと思うのだが記憶にない。みこしは終わった。
 家に帰り着替えてはんや踊りに気持を切り替えた。踊った。全然疲れた気がしなかった。でも疲れていたのか、はんやが終わってからお祭り広場に行き、本部テントの裏で10時半頃まで寝てしまった。Tさんに起され家まで送って貰った。祭りが終わった。
 次の日からいろいろな方に祭りの時のことを聞かされた。「酔ってたね〜」と皆から言われた。はんや踊りは踊るというより騒いでいたようだ。帰る時もTさんからYさんにチェンジした事も知らなかった。
 迷惑をかけたようだが、本当に楽しい祭りだった。早く一年経って欲しいなと思った。


162号

 あれ?ちょっと違うなあ!と思った。
 一月前頃から「乃南アサ」という方の本が気に入って読んでいた。どこが気に入ったかというと、人の嫌な部分を描いていたから。どちらかと言えば「山本周五郎」が一番好きな作家であるように、読んだ後が気持が良いから人の温かさを描く方が好きである。
 でも、乃南さんの本は興味が持て楽しみが増えた。直木賞も取られていて納得した。
 それが、今回図書館から借りてきた本は面白くなかった。
 寝る時に考えて分かった。乃南さんの全ての本を期待していたからだ。
 でも第一印象が良かったからこれからも期待して読むに違いない。
 明日から、とにかく第一印象を大事にしようと心に誓って寝た。


163号
 お腹の痛いのが4〜5日続いていた。
 先日受けた健康診断で胃の再検査が必要とも言われていたので、思い切って胃カメ
ラの検査のついでに大腸の検査もしてもらうことにした。
その事を女房に話したら「野菜が少なかったから便秘でお腹が痛いんじゃない?」との返事。そう言われたら気分的に楽になり少し痛さが和らいだ。
 検査の前日から検査用の食事にして、夜中からトイレに何度も行った。痛さは殆んど無くなり、検査をしなくてもいいのではと思ったが、検査を受けた。結果は十二指腸潰瘍との事。
 同僚から「ストレスですね」と言われた。
ストレスなんて無縁のような生き方をしてきたので、人並みに悩み事が有るのだとかえって嬉しい言葉だった。
 その事を浮来亭の飲み方のときに少し威張ってしゃべったのかもしれないが、十二指腸潰瘍の病人なのに皆からバカにされ心配もされなかった。実際にお腹の痛さはなくなったし、その日も気にしないで飲んでいた。
 寝る時に真剣に痛くなった原因を考えてみた。胃の再検査といわれた事を気にしていたのかもしれない。でも「便秘じゃない」と言われて安心したのか痛くなくなったわけである。「病は気から」がはっきり証明されたようである。


164号

 先日の腹痛からか食べる物に少しは気を使うようになった。
 今日もテレビのニュースでどこそこの何に何が入っていて大変だとやっていた。これだけ情報が豊富だと食品関係の会社の人は気を使うことこの上ないだろうなと思った。それから、賞味期限と消費期限がある。
 あまり気にするほうではなかったので、期限切れも結構平気で食べていた。今村さんはもっと気にしないで食べている。彼の口癖は「食べてみてダメと思ったらやめる」である。そう言えば、昔は消費期限とかは無かったような気がする。食べてみて酸っぱいとかまずいとかで決めていたようだった。そんな今村さんはいたって健康で病気もしないような気がする。
 何か分からなく混乱してきた。
 でも、寝る時に十二指腸潰瘍の錠剤を飲んで、安心して寝る自分がいた。


165号

  正月の4日に我が指宿市民会館で成人式がありました。
 私が勤め始めてから10回目の成人式でした。毎年毎年落着いた式が行われて来てます。市長さんも式辞でおっしゃっていましたが、全国のニュースで今年の成人式も荒れたとやっていますが、指宿は全然違います。年末と式直前のリハーサルでは心配してましたが、本番では見事な式典をこなしました。本当に嬉しい立派な式でした。
 でも、式典が終わってから、ひょっとしたら元気がないのではと心配をし始めましたが、 二部に入り、仲間のバンド演奏で元気が出て来てほっとしました。小中学校時代のビデオを、又当時の先生からのビデオレターにも楽しく大きな声を出していました。やっぱり元気があるのはいいなと思いました。
 式が終わったあと、ホールの前に集まりなかなか帰りません。友好を暖めているのでしょう。中にはやんちゃな連中もいて焼酎の一升瓶を振りかざしたりしてましたが、はやすわけでもないし、冷ややかでもないし、とても良い意味のクールな感じでした。これが平成の社会人なのかなとも思いました。
 寝る時に思い出したことが有りました。
 皆、笑顔は素晴らしかったなでした。
 指宿っていい街に違いないと確信しました。


166号

 休みの日の楽しい事は映画を見る事。
 10時過ぎから録画してあった映画を見た。いつもの事だが始めは内容が良く解ってないからつまらない。でも20分位経ってもつまらない。結局最後まで解らなかった。
 二本目を見た。これも解らなかった。凄く時間を損した感じだった。迷った末三本目も見た。期待してなかったが、良く解り涙して見終わった。6時頃だった。
 寝る時に思った。抽象より具象がいいと。さらに表現は相手に解る様にすべきだと。


167号

 浅田次郎の「中原の虹」(全四巻)を読んでいたら、文中に「死ぬのは怖い。だが、死ぬかもしれぬというのはもっと怖い。生き死にについて何も考えぬことがこつなのだろう。」とあった。成る程なと納得した。
 寝る時に色々考えて寝づらかった。浅田さんはあんなに言っているけど、浮来亭ではよく「死」についての話が良く出るし、どんな死に方がいいのかなと云うのも良く話題に上る。でも、話す程には死を恐れていないような気がする。と、云うことは浮来亭に集まっている人たちは「死」に対して淡白なのか怖く思っていないのだろうが結論になった。
 どちらにしても、心強い人たちなのではと思えたら、安心してぐっすり寝れた。


168号

「こんばんは」
浮来亭の玄関で聞き慣れない声がした。
「今日は試合前なので調整中で飲めませんが伺いました。」と息子と一つ違いの青年が明るく、飄々と部屋に入ってきた。
 先週の浮来亭に、Rさんの誘いで見えた、宮城県仙台出身で長野の大学を経て鹿児島の教員になった49年生まれの青年であった。試合というのはマウンテンバイクだそうだ。今夜も手造りのマウンテンバイクでやってきた。
 先週も皆が集中攻撃のように質問していたが、堂々とさらっと答えていたし、今夜もである。
 もう直ぐ61才になるのに、彼のように生きたいものだと25才位の若者に戻ったような感じでワクワクして寝た。


169号

 朝、時々「今日の運勢」を見る。
 今朝も見たら、牡羊座は良くなかった。運勢の良いという日は気分良く始まるが、悪いから少し気になった。
 8時半前に50ccに乗って頴娃の大野岳マラソンに出かけた。天気も良く絶好のマラソン日和である。10時にスタートして、大野岳の登りの時はきつくて、殆ど歩かざるを得なかった。でも後半は、体調も良く、暑かったけど湿気が無く、去年より12分短縮してゴールできた。大変満足した。お風呂に入り、美味しい煙草を吸って、14時から山川文化ホールで奄美の島唄を聴いた。
 20時からも揖宿神社のてんちの杜のステージで島唄を聴いて楽しく踊った。
 寝る前に「今日の運勢」のことを思い出した。運勢は悪いと出ていたが、今日はすごく充実していた。当たらなかったと結論を出そうとしたら、今日は巨人の三連続完封負けだった。やっぱり当たっていたのかもしれない。
 結局、良いといわれれば良いことを考え、悪いといわれれば悪いことを考えることがわかった。今度からは「今日の運勢」は良い日だけを信じることにして寝た。


170号

 ある人に「読めば」と佐高信の本を渡された。前から好きな人だったので一気に読んだ。
文中に、『正しいことを言うときは、少しひかえめにするほうがいい。正しいことを言うときは、相手を傷つけやすいものだと、気付いているほうがいい。』
とあった。凄く納得した。
寝る時に考えた。
 いつも正しいと思ったことを言ってるのだから、いつもひかえめにしなくてはいけないんだと。
 私には無理かもしれないと、落ち込んだ。


171号
 ナシ。


172号

 佐々木譲の「警官の血」を読んだ。三代続く警察官の物語で、それぞれの生き様が書かれている。警察官のことが少し解った気がしたし、苦労も解った気がした。
 寝る時に考えた。
 良い本だったのに、昔ほど感動しなかったような気がした。そういえば、あんなに好きな映画も昔ほど・・・。知らない内に寝てしまった。
 次の夜も考えた。
 一つの結論を出した。年を取ったのだ。どんな生き方が良いのかを余り考えなくなったのだと。
 何日かした「どんぐりコマ回し大会」の夜に、又、考えた。
 最初はそんなでなかった子供達が途中から目を輝かして楽しんでいたし、一緒に来た親も夢中になっていた。
 二つ目の結論を出した。
 明日からは本能むき出しの生き方をしようと。


173号 

 夏の風物詩の高校野球が始まった。
 野球が大好きな私だから、勿論見る。かなり見る。特に静岡・鹿児島を応援する。次に東京・九州勢である。
 普段は野球を見ない女房も見るのは何故だろうと寝る時に考えた。
 日本人の優しさなのではと結論を出した。
 高校野球は最後まで勝てるのは一校だけだから、当然殆どの人間は悲しんでいるはずである。悲劇のドラマを見ているのに違いない。負けた者に拍手する日本人の心が表れているような気がした。
 明日から弱い人になろうと思った。


174号

 テレビは面白い。
 何が面白いかは見る人によって違うと思うが、私はもちろん野球と映画です。特にスカパー(CS)は専門チャンネルなので野球もセ・パ両リーグの試合は全て見られます。映画も一日中やっているから録画しておいて休みの日など一日に5本も見たことがあるほどです。地上波は余り見ませんが好きな番組は日曜日の昼1時半からの「たかじんのそこまで言って委員会」、同じく日曜日の朝の「サンデープロジェクト」後は「ニュース」番組、「行列の出来る…」「テレビタックル」「1分間の深い〜い話」などです。月末の深夜の「朝まで生テレビ」も録画で見ます。
 テレビは恐い。
 ニュースの延長で「ワイドショー」も見ているが、主役が良い人か悪い人かのどちらかに決めてがんがん行く。良い所もあるし、悪い所もあるのが人間だと思っているので、小泉さんから始まり麻生さんまで大変だった。私はそれまで名前を知っている位だったのりピーもしかり。今、鳩山さんは良い人で行っているから良いが、もしミスをして一転したらどうなるかと思うと…。
 でも、寂しいけど、人間って他人のあらを知るほうが楽しいのでしょうね。
寝る時に興味を持って見ている自分に気付き、少しい落ち込むと思ったけど、缶ビールを1本飲んだら直ぐ寝てしまった


175号
 ナシ。


176号

 
息子の引越しの手伝いで、鹿児島の息子の部屋に泊まりました。息子が用事で出かけ、一人になりました。驚いたことにテレビがないのです。ラジオもなく、パソコンも彼のだし、しまってしまいましたし、何もすることがなく、ボーっとするタイプではないので大変困りました。困ったというより恐怖の時間を味わいました。
 寝る時考えました。見なくてもテレビを付けておく習慣はやめるべきだと。あんな恐怖は二度とゴメンだと


177号

 夕食の二人で飲んでいる時に、「そんなに怒るなよ」と私が言ったら「怒ってないじゃない。怒っているのは貴方じゃない」と女房が言った。解っていないなと思い、又、これ以上やると、二度目の離婚となりそうなのでやめて寝ることにした。
 寝床に入っても腹の虫が収まらない。でも割と早く寝れた。
 次の日の女房は、もうけろっとしていた。いつもの事だ。
 次の日の夜、又考えた。昨夜、私は腹の虫が収まらなかったのだから、確かに私は怒っていたことが良く解った。


178号

 先月の某月某日の記事でだいぶ質問された。復縁したのにどうしたの?とか、おのろけなの?とかである。こっちは真剣に記事にしたのに、軽く取ってくれたようだ。30年以上一緒に暮らした人でも、考え方が違うし表現の仕方も違うのだから、人と接していくのは大変なものだとつくづく思う。親しくなってくると、思ったことも割と本音でしゃべれる。でも、相手を傷つけてしまうことが多々ある。
 先日も言ってしまった様である。言葉では言われなかったが、態度ではかなり嫌われてしまった様だった。その夜『本当は違う意味だったんだよな』とか『解って欲しかったな』『ちょっと言い過ぎたな』とか、言い訳と反省をたくさん考えて、なかなか寝れなかった。
 次の日の夜、又考えたが、今年の妹の年賀状の「どっちに転んでもチャンスはある。で、生きてます」を思い出し、直ぐに寝れた。
 又その次の日の夜に考えた言葉があった。「仲良きことは美しき哉」と「和を持って尊しとなす」だった。明日からはラグビーの精神のノーサイドで行こうと力強く寝た。


179号

 目覚ましが鳴っている。
 でも、いつもの音と違っているし、遠くから聞こえているようだ。これは夢なのだと思ったがそうではなかった。目覚ましを止めたのだけど訳が判らなかった。
 いつものように朝風呂に入ろうと浴室に入ったら、ぼわーんと耳鳴りがした。確かに密室だけど密室のような感じである。
 そこでやっと気がついた。耳の調子が悪いのだと。そう言えば、最近声が大きくなった。普段でも大きかったのに、さらに大きくなっていたのではと少し恥かしくなった。
 恋女房に話したら、心配もせずに「耳と鼻の穴を塞いで息を吐き出すのよ」と言われ、そうした。すっきりして聞こえが良くなった。やっぱり持つべきものは女房だと自分を褒めた。
 2〜3日調子が良かったが又聴きづらくなった。悪いことに夜中に耳が痛くなり、寝れなくなった。気を紛らすためにテレビを見たが右の耳は殆ど聞こえない。鼓膜が破れたに違いない。耳だけでなく心も痛くなった。それでも少しウトウトできた。
 左の耳も聞こえなくなったらどうしようとかなり落ち込んで、永田耳鼻科に行った。直ぐに診察室に呼ばれた。入ったら和人先生が「どうなんですか?」と症状を聴いてきた。いつもは飲み友達だが今日は先生と患者であるから、神妙に症状を伝えた。「見てみましょう」と言い、耳の中を見てくれ「耳垢ですな」と一言。途端に心の傷は治ったので、早速、看護婦さんに手を握っていてくれたら心強いと訴えた。でも「私は頭を押えます」と断られた。直ぐに耳垢は取られ聞こえるようになった。
 数年前に米粒大の耳垢を取ってもらったことを思い出した。今回はそれほどでもなかったが、やはり大きなのがあった。耳の中が乾燥しているので耳垢が溜まる体質らしい。お礼を言い待合室に行ったら知り合いの方が居た。身も心も治ったのでつい「安間だから目が悪くなるのは覚悟していたけど、耳が悪くなるとは思わなかった」と軽口を言ってしまった。これから診察を受ける人だったので冗談が通じにくかったのか返事が重かった。
 寝る時に今年の年賀状に「とにかく健康でいたい」と書いたことを思い出した。この一週間を考え、もっと真剣に健康でいたいと思わなくてはと反省した。


180号

 二男が鹿児島の店を閉めて指宿でらーめん屋さんを開いてくれることになり、3月末で市民会館の仕事を辞めた。勿論、手伝う為にである。
 4月9日にオープンが決まったのでチラシを作って知り合いに配り、よろしくとお願いした。だがオープンの2日前に水漏れが発生し、急遽延期。
聞けば鹿児島の時もあったようだ。その時はそんなに感じなかったが、落ち込む息子を見て、夫婦二人で落ち込んだ。でも数日経ち三人とも元気が出て来た。
 寝る時考えた。親に喜びと心配を掛けるのは親孝行なのかもしれないと。 
「親子は一緒に住むべきでない」が持論であったが…。
 何はともあれ、4月末にはオープンしていると思いますのでよろしくお願いします。親ばかをお許し下さい。


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