の幸ちゃん

(この原稿は、新潟出張もGW休みが5/1〜6迄、長期の為、敦賀の友人に会いに来て、友人がパチンコに興じている待っている間、車中で書いた物です)
@出張先で日常生活の不自由さを強いられているが、近くの食堂でタラ汁を食べたり、女将さんが人当たりが良くて、人情に振れ、(まだ日本も捨てたもんじゃない)と考えている。宿では二人の男部屋。仕事の事以外、段々と話す事も無くなって、洗濯したら、他にする事もない。酒を飲む位かナ。近所のホテルの温泉に入ったら夕陽を海面に見て、夜景を見ていると人生の今までを色々と考えた。長風呂に入って、不自由さの中の自由かナと考えていた。
A宿から電車に乗って隣町へ。バスでも行ってみた。隣の市の温泉にも行った。交通状況が非常に不便だ。出張は6月頃迄と云うので、苫小牧からマイカーを取り寄せる事にした。アパートの大家さんに代金を送り、お願いした。新潟港迄、車を取りに行ったが、電車・バスを乗り継いで四〜五時間かかった。マイカーなら二時間半位で着く所だ。今や日曜休日には車で近隣の温泉巡りをしております。
B東北北陸温泉事情==肩・腰が痛むので、電気風呂に入りたくて、健康ランドへ。車がまだ来ていない時だったので、生ビールや新潟風のつまみを堪能した。
●職場の同僚に教えて貰い、山合の鄙びた温泉地へも。川の流れが眼下に見え、まだ、山にはチラホラ残雪も。やや熱い湯も、少しずつ肌に馴染んで来て極楽気分。私も含めて五・六人の客が湯治をしているサルに思えて来た。
●秋田の男鹿半島を目指して、早朝、車で出発。しかし相当の距離だったので秋田市に着いたのは夕方。二日間の休みだったので、翌日宿に帰れそうにも無いので、半島一周は断念。旅好きの人々が(一度は行きなさい)とオススメの場所だ。その夜は「道の駅」で車中泊。翌日、温海(あつみ)と云う町で早朝6時〜。200円の共同風呂を見つけて楽しんだ。近隣の高校生や老人も来た。神社では朝市もやっていて、売り子のおばちゃんが親切に温泉の場所を教えて呉れた。実はこの場所は、私が20代の時、日本一周した時に入った温泉なのだ。記憶もおぼろ気だったが地理的に、ここしか無い。しかし30年もたてば建物や風景が変わり過ぎて、当時の面影は無い。温泉もリニューアルされたと云う。私は年老いて行ってもリニューアル出来ない。思い出だけにしまっておこう。温泉はまだ2つも有ると云うので、又次回、行きたい。今度は朝市のおばちゃんの所で買物しようと考えながら、帰って来た。
C社長の19歳の息子さんと夜、買物に出かけ、二人はそろいの色違いのハンチング帽子を購入。それを見た福井県から来ている仕事仲間が(良く似合いますね)と言って呉れた。――余りにも年老いた自分と、我が子か孫の様な若者に囲まれて仕事していう。事務所でデジカメで写真撮られ、四色コピーでプリントして貰った。気は若い積りで居たが、自分の父の様に老け込んだ顔になって写っていた。やはり年取っちまったんだナと思う、今日、この頃です。

@「不自由さの中の自由」
 マイカーも無い。連日、雪・雨・風が強く、周囲に床屋、酒屋、ラーメン屋、ガソリン・スタンド、食堂しか無い。日曜の休日に洗濯でも済ませば、何もする事が無い。近くのホテルの温泉でゆっくり、くつろぐが新しい温泉の看板や情報を入手し、やはりマイカーが無いと不便だと考える新潟。不自由な様だけど、行くトコも無いし、金も無ければ温泉でゆっくりしているしかない。鹿児島で北海道でこんな体験有ったろうか?――アクセク人生に、次の事に次の事にあせって、ゆっくりする間も無い、生き急いだ人生だった気がする…。
A「日曜の中の電車風景」
 新潟へ行こうと電車に乗った。日曜日なので高校生や社会人がプライベートモードで晴やかなファッションで着飾っていた。自分の18歳の頃の若い日々を思い出した。いつから俺は青春を失って、いつから腹高らかに笑わなくなったのだろうと考えたら、少し淋しくなって来た。井上陽水の「青空ひとりきり」が自分の人生テーマに合った一番の曲だと20代から思っている。
B新潟はロシア船が寄るせいか、韓国人やロシア人が街に多い。言ってる内容は判らないが、会話で国籍は何となく判るが、自分も鹿児島から北海道、新潟と日本中をグルグル回っている内に自分の国籍(県籍)が判らなくなりつつ有る。間違いなく日本に居る事は確かだ。人生に迷っていても、国内で迷う事は有るまい。
Cアパートの隣室にソコソコの女性が住んでいる。毎日廊下で出会ってる内に会話する様になり、居酒屋へ行ったり、大晦日に私の部屋で鍋大会もしたが、向こうは迷惑していたらしく、新潟からアパートの物品を送って貰おうと手紙したが『受取拒否』で返送されて来た。裏には「二度と手紙しないで下さい」との事。もうアパートには住めない。どんな顔して廊下ですれ違えば良いの?出張から北海道へ帰ったら、アパートを変わろうかとも思っている。半年住み慣れた所だけど、どうしましょうか。
D北陸方面の電車は面白い。駅のホームに停まると、ドアは降りる人が開けて閉めるし、どこかの車輌にはトイレも着いている。冬風が入り込み、雪も飛び込んで来るから、寒さで中の乗客は居たたまれないからか。トイレは寒さで近くなるお通じと、駅から駅まで(行く目的先が)遠いからと考えた。
E日常風景と違う場所に行くのが好きだ。広い百貨店やホテル内に有る温泉。駅を歩いて人間ウォッチング。健康ランドに行けば、温泉も広いし、食堂も広くTVも超画質ワイド画面だ。気分もリフレッシュして、ウキウキ気分になる。日頃の仕事の疲れも癒されるのだ。
F日曜日の食事――宿では休みの日は食事が出ない。だが職場に釣り好きが数人居る。休みの日に釣れた魚は食卓へ。調理する人間も三人程居て、刺身、唐揚げ、素焼き、あんかけ、醤油漬けの焼物、みそ鍋とバラエティなメニュー。私も調理、片付けと手伝った。コンビニ物を飽きるので、なかなか良いメンバーが揃ったと思った。
G携帯電話のメールで友達を探すのが流行している。私も職場の人に、一人の女性を紹介して貰った。週一回、30分位電話している。お互いの家族の事とか、人生や仕事上の悩みを話している。彼女に対するイメージを電話しながら、原稿用紙大のミニポスターを描いていた。直接渡したくて、彼女の住むF県迄、会いに行った。2県先なので、職場の人がびっくりしていた。とてもセクシーな声なので、美人だろうと勝手に想像していたが、本人は(少し太っている)と遠巻きに話した。電話で妄想して楽しみ、直接会わない方が良いのだろうか。

★『帰らなくとも良い旅』にすっごく憧れていた。好きな人々と一緒に楽しく飲んで、ドライブして小旅行したい。楽しいまんまだから、自宅へ帰って淋しい思いをしたくない。楽しい事はそのまま続けていたい。旅行に出ると、帰らずに前向きに次の所へ、と移動し、新しいビジネスホテルを見つけ、近隣の居酒屋で地元の旨い物を食べ尽くす。そんな人生を送りたいです。仕事をしなくとも良い位の宝くじ金でも当たれば…なんて、又、明日も宝くじ売場へ通います。




                      
       

単なるTree-Hugger(木を抱きしめる人=環境保護論者)ではないために

2002年、日英同盟100周年を記念して、英国大使館は日本全国にイングリッシュオークを植えた。指宿にも一本植えたが、その責任者だった春海二郎さんが「むささびジャーナル」を発刊しメールで送ってくださる。その第139号にデンマークの経済学者Lomborgさんが言う「地球温暖化は現代の最重要課題ではない」(Global warming is not our most urgent priority)(The Spectatorのサイトに記事あり)が紹介されていた。
「地球温暖化は、人類全体に影響を及ぼすという点で、発展途上国の子供たちの栄養不良よりも重要な問題だから、まずは温暖化問題を片付けることが大切だ・・・と考えがちであるけれど、それは間違っている」「例えば10億ドルというお金で、60万人の子供が死なずにすみ、20億の人々が栄養不良から救われるとすれば、同じお金を使って今世紀末までに地球温暖化を2分間だけ遅らせようとするよりは賢明なお金の使い方だ」「温暖化防止に費やすお金で出来るかもしれない画期的な事柄から目をそらしてしまうということであり、またもや10〜20年が無駄にされる」と。(春海さん訳) 地球上の命を守ることのほうが地球を守るより先だと。
Lomborgさんは、炭素排出に関するできっこない「絵空事」の目標設定などを議論するより、もっと大切なことが山積しているのではないかとも言っている。
「The Nikkei Weekly July 2008」に三菱重工業が2006年から風力発電機を発売し始めたとある。三菱の風力発電タービンは、独自にタービン翼の傾斜角度を変える独特のもので、海外でも他に抜きん出ており、2006年だけでも845基、売上高3000億円。2011年には約7兆円の市場になるという。
ソーラー(solar cells)発電(太陽光発電)も年40%の伸びを示している。現在1キロワットの電力を生み出すのに40円かかっているが、2010年に23円、2020年に14円、2030年には7円になると見込まれている。2006年に1つのソーラー発電機が生み出せる電力は2.5ギガワット(アスワン・ハイ・ダムの最大発電電力2.1ギガワット)、2010年には10ギガワット、近い将来20ギガワットになる見込み。これからの企業はソーラー発電を導入するところが多くなり、家庭でのソーラー発電の普及が急務と考えられている。
現実には地球温暖化に対し様々な対策が取られていることがわかる。経済学者の言うことも一理あるが、我々は単なるTree-Huggerではなく、いい意味でのConservancy(自然環境保全団体)となるために、実践を通して学んでいこうと思っている。
 


 
             


 テレビを見ていたら、煙草が1000円になるかもしれないと言っていた。すぐに計算した。煙草は日曜休みはないので一カ月3万円だし、一年で36万5千円。10年で365万円になってしまう。煙草を止める人が増えるに違いないと思った。
自分はどうだろう?やめることは出来ないような気がするが減らすことは出来るかもしれない。でも減らさなければと考えたら憂鬱になった。
 今までやりたい事をやって生きてきたと思っていたが、どうもそうではないなと思った。法律とか道徳とかを意識しながら生きてきたようだ。あれが食べたいと思ってもお金がなければ買えないし、人の物を取るわけにもいかない。
よく子ども達に「やりたい事をやって生きなさい」と言っていたのを考えなくてはとも思った。
 楽しく生きていくって大変なのだなと寝る時に思った。



梅雨入りして一週間が経とうとしている。なのにまったく雨が降らない。
キャンプ場の仕事をし始めて天気がとても気になるのに、まったく降る気配のない天気予報。
一方で週末晴れれば儲かるので結構なことだが、田植えの季節だけに農家さんはさぞお困りだろうと他人事でない。
晴れる晴れると言う割に九州が湿って見える。風も珍しくぴたりと止まっている。
こんな日は決まって雨の前触れだろう。4時間後の天気予報は一転して雨模様を予測した。
21時を少し回ってから関門海峡からの風がやたら冷たく湿っている。
10分ごとのレーダー画像にくっきりと雨の区域が現われている。
なんとなく、ここで生活してきて意識してたことに気がついた一日だった。
昨年の今ごろ、この山の麓で学生たちと田植えをし、缶ビールを空けまくった。
8か月前の今ごろ、この山で仕事を始め、毎週末の天気を気にしてきた。
毎日毎日、無意識に気にしてきたことの積み重ねが、ふと現われたのはなぜだろう。
今年は米を作れそうにない。作りたいと思える、土が、水が、人が、残念ながら見当たらない。




頴娃は「エ」と呼ばれる地名で、近世では頴の字が当てられていた。和銅6年(713)に地名を美麗化する法令が定められ、それ以後、今日の頴娃になった。アイヌ語で「エ」は火山灰の義であると最上氏は記している。アイヌ語辞典など調べるが、灰はアイヌ語ではウナunaで、それが見当たらない。「エ」はハイという返事に使われる言葉と辞書にある。最上氏がアイヌ語に通じている誰かと対話して、返事のハイを灰と取り違えたものとばかり思って苦笑していた。ところがどうもそうではないような気もしてきた。まだ、頴娃の「エ」の地名解は判然としないが、今後の研究で正解が得られる日もくるだろう。ついでながら、最上氏によると口永良部(くちえらぶ)はアイヌ語のエ・ラップで、火山灰の降る所としている。笑い話を一つ。枕崎にもアイヌ語地名は残っているようだ。枕崎の西南海中に岩があるのを、当地に行ったことのある人は見ていると思う。今日では立神岩と呼ばれている。アイヌ語ではtakkop・kamuy(タツコップ・カムイ)と言って、海の中にぽつんと立っているたんこぶ神岩ということらしい。その他、総別当(すべっとう)や焼山(やっきやま)などがアイヌ語地名のようで、目下解明を進めている。遺跡の発掘された場所などアイヌ語地名につながる確率が高いと思って調べている時、小江平(こえひら)というのが出てきた。てっきり、アイヌ語地名と思い、その意味解明に取り組んだ。アイヌ語では河床の深い所をさす言葉とあり、その地(花渡川周辺)を見に出かけようとしていた。場所探しの問い合わせをしているとき、あれは小川、江口、平田という、当地の遺跡などを発掘された先生たちの苗字の頭文字を取って付けられた遺跡跡と教えてくれた人がいた。 




 浮来亭が潟山に越してから一年が経ちます。前の浮来亭に近かった者は遠くなり、最初は不便を感じましたが、皆さんそれなりに工夫して通っています。徒歩・自転車で、というのがなかなか良いもので、帰りは酒を覚ましながら20〜30分かけて帰ります。是非、千円か自分の飲み物を持っていらしてください。















 山口に行った須田さんから原稿が届きました。頑張っているようだし、指宿の人とも合いたいようです。行けたら良いねと思っています。




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