の幸ちゃん

 指宿の皆様、お元気でしょうか?
 この冬も、菜の花が咲く位に暖かいのでしょうネ!?
『北海道の冬対策』
 遂にこちらも雪が降り出し、冷たい風が吹きまくっています。寒いと云うより痛い位です。足等が寒くて、仕事中も走り回って、身体が温まる様にしています。仕事中はレッグウォーマーも付けています。――福井県で多少の寒さは体験したけど骨身に沁みる、この寒さ、ハンパじゃないです。体温が有るから死なないのでしょうか?室内は適当にポカポカしているけど、窓の外はマイナス6度位。
 ペットボトルに水を入れて、窓の外に置いておけば、翌朝は氷になっているので、クーラーバッグの中に入れて食品を保存しております。昔ながらの冷蔵庫まがいなので有ります。車・最初の寒い日に車もダウン。ウインドウォッシャ液、出て来ないし、ヒーターのスイッチ入れてもファンが回らない。2回目から、順調に始動したけど、車内に置いて有る水物は全て凍ってしまうみたい。仕事中は毛糸帽子を被ってからヘルメットを着けるし、部屋ではカセットコンロを燃やしっ放しです。ストーブを購入する予定だったけど、まとまった金も無いし、部屋を暖めつつ、又、鍋物を作る為に調理用にと、一石三鳥位の気持ちで点けっ放しです。
 体にはカイロを腰用と背中用と2個、付けており、まだ何とか、この方法で北海道の冬を乗り切ってます。この後、どうなるのか判らないけど、生き抜きます。――本当に私の原稿が「浮来亭」に載らなくなったら、死んだと思って下さい。ハハハ…(笑)
『人生ドンデン返し』
 福井県の旅館のバイト中に「ウチに来ませんか?」と云われ、北海道迄、来てしまった私。処が、青年は現場途中で放棄して逃亡してしまったのだ。福井で居酒屋へ行って、お互いの子供時代の苦労話をしたり、静岡現場では将来、一緒に仕事しようと快談だったのに・・・。「北海道へ還ったら温泉・居酒屋へ一緒に行こう」と話していたのに。
 私は今の会社で、一番知り合いの人間が居ない中、じっと黙ってガマンして仕事していた。やめたいとずっと思っている。50代の私だけど、社員も社長も皆、年下。私は新入社員だし、先輩達の苦言に耐えるしかなかった。今の若者はタメ口をするし、ムカッと来る事も有ったが、ガマンしている。50代の私には次の就職が見つかるか、判らないからである。休日は新しい温泉を探して車を走らせる。週前半と、週後半を考えて生きている。「今度の日曜日はどこの温泉に行こうかナ」と考えつつ、毎日、生きている。今の私の人生、明日は判らない。公私共に今、行動している事をやり続けるしかない。只、今は北の最果て、年老いても苦労は付きまとうが、友達、恋人を探し続けて生きております。
『退社したい事情』
 現場の2階から手を滑らせて、下の足場に居た元請けの職長の手に物を落としてしまった。幸いに軽いケガで済んだが、すっごく落ち込んでしまった。会社の信頼を落としてしまったし、現場に行って皆に合わす顔が無い。自分自身もケガや事故に合いたくないのに人様にケガをさせてしまい、一番やっては行けない事をやってしまった。もう涙ながらに職長に「退めたい」と告げたら、「気にするな。大したケガじゃ無かったし、今、退められたらウチも困る」と引き止められた。落ち込んでいる私に、仕事帰りにジュースをおごって呉れたり、中古では有ったが、防寒服の上下を貰ったり、それ以来急に会社の人間が話しかけて来る。今までシカとして、挨拶もしない、仕事で聞いても返事しなかった人達が……。たぶんに会社の人(上司達)と、元請け会社の人々との付き合いが長いから新人の私の不始末を許して呉れたのだと思う。朝礼でも軽く、この事件の事を私に言われたが、後は何事も無かった様に仕事している。後日、私は現場全員に茶菓子をおごった。




旅に出た。
「その方」が、いよいよベッドから起き上がれなくなったと聞いて息子の悠紀を連れて家族で会いに行った。2年前の夏、「その方」が難病のALSだと知った矢先の終戦記念日、「その方」の奥様が事故で亡くなられた。勢いと慈悲に満ちていた私達夫婦にとって大きな母親のような存在だった。これっぽっちもご恩をお返し出来ずあっけなく消えた。
ALSは体の筋肉が徐々に硬化し、意識がはっきりしている中で呼吸さえ困難になる病気だという。確かに数年前から歩くのが徐々に困難になってきたと杖を突いていたが、まさか難病とは誰が想像できただろう。「その方」に是非息子を見て欲しい。何かをつなぐためにも、まだしゃべれない息子としゃべることも困難になっていく「その方」との出会いが、私にはとても大きな機会になる直感があった。
仕事は忙しい。忙しいが時間は止まらない。多少周りに迷惑を掛けてでも今しか出来ないことをしたほうがいいと、家族で小さな旅に出ることにした。
名帆美が2年間生活したその町は私たちを大変歓迎してくださった。2泊3日の自炊の材料もわずか2軒のお宅にご挨拶して集まった。瑞々しい野菜に豊かさを感じた。「何も無い町だけど、何もかもある」以前誰かが言った言葉を思い出す。山あいの冬は物寂しく厳しい。だから暖かく豊かだった。
「その方」は来訪をとても喜んでくださった。ベッドの上体を起こし、動く右手側には小さなノートパソコンが置いてある。ベッドに息子を抱いて近づくと、首を伸ばして息子との対面を歓迎してくださった。抱こうにも抱けない、右手を差し出すこともせず、真横に立ってもなお首を伸ばして息子を見やる姿に病気の進行を感じた。起こした上体から、ちょうど抱っこする位置に息子を置くと目を細めて、眩しそうに「いい赤ん坊だ」と呟いた。
イノチとは何だろう。
私たち人間が限られた時間を精一杯生きようと懸命にさせる、このイノチとは一体何だろう。
「その方」と息子を相互に見ながら、私は答えを得たわけではないけれど、わからないなりに、このまま行こうと思った。



                 
 
駅前でナイトバザールがあるから協力してほしい、と何人もの方から頼まれたので出かけた。
 任務は盛り上げてほしいとのことでサンタクロースの叔父さんをする事にした。キャンディー・チョコを籠に入れ「メリークリスマス!幸せになれる飴だよ。チョコだよ」と言って配って回った。舞台が始まれば横に立ち大声で応援し、踊った。缶ビールを1本飲んだだけだったのに、周りの人は「酔っ払ったサンタ」に見えていたようだったし、ちょっと静かにしてほしいと注意もされた。これでも気を使っているのになあと思いつつ、又騒いでしまった。
 していることは普段と同じようなことだから、どうと言うこともなかったが、衣装がサンタなので大変もてた。特に子供と女学生に。久しぶりにもてて大変嬉しかった。
 寝る時に思った。
 楽しいことをするにも、ちょっと演出すればもてるかもしれないな。と。
 来年はもっと良い年になるなと確信して寝た。




  2007年の暮
         歯笛

 
そうこうしているうちに1年が過ぎようとしている。
「今年花落顔色改 明年花開復誰在」と初唐の人劉廷芝が言った言葉を噛みしめている。
昨日まで身近にいた人が亡くなり、来年また同じ花が咲くといっても、大切な人が生きているとは限らない。白居易は人の一生は「石火光中」に生きるようなものだと言った。だから食うことばかり考えて争うのではなく、人それぞれに人生を楽しもうではないかと。
 浮来亭の住民は一週間に一度は顔を合わせ、焼酎を飲み大いに笑い、語っている。もちろん口角泡を飛ばし激論することもある。大前研一さんが「他人の見方を覚えるのではなく、自分の頭に思考の脈絡を持って取り入れること。その時、自分の考えを加えて、棚の整理をする。情報はアウトプットすることで批判され、咀嚼され、磨かれていく」と言っている。まさに浮来亭住民が毎週やっていることだ。そうやって今年も大いに真剣に遊んだ。
 今、環境審議委員会なるものに出ている。篤姫のドラマがNHKで始まる。観光客が来ることを見越して、今和泉海岸に砂浜を1億円ほどかけて造成した。聞いてびっくりした。この砂浜はいずれまた汚れ消えていく。将来誰がその砂浜の管理をするのだろう。また委員会で出た話。「観光客が宿泊宿から外に出ないのは、出て行きたくなるような物や施設がないからだ」と。
 たとえば1500年代、山川港には唐人屋敷が出来ていた。知林ヶ島を所有していた河野覚兵衛という豪商がいた。西郷さんはこの河野家の船で徳之島に流された。約500年間、正龍寺という由緒ある禅寺があった。江戸時代から明治にかけて、琉球からは約1000回に亘り使節船が山川港五人番に来航し、その間難船などで500人ほどの使臣が亡くなっている。
 最近では、宮ヶ浜信楽寺墓地―報国神社境内のアコウは日本一(幹回り14、6m)であることが認定された。この他にもわれわれの身近に、忘れられ埋もれたままのたくさん歴史的文化遺産がある。
 私たちは自分たちの住んでいる街の歴史を案外知らないでいる。人が旅してくるのは、そこに由緒ある歴史や物語があり、おいしい食べ物や伝統音楽もある、その上郷土を愛する心やさしい人々が住んでいるからではないか。
2007年の暮れにそんなことを思っています。



 気になる事        今村俊一

(5)アサギマダラ


 皆さんは、「渡り鳥」の事は、知っていますよね。寒くなると北のシベリアの方から、出水に鶴が飛んできたり、夏になると、南の方から、ツバメが飛んできたりします。
 アサギマダラと言う蝶は、1000キロ以上の距離を移動する、「渡り蝶」なのです。寒くなると北の、滋賀県辺りから飛んできて、指宿の千貫平や、フラワーパークで休んで、又海を渡って南下し喜界島辺りまで飛んでいくのです。春になり暖かくなると、逆のコースを北上するのです。何の楽しい事があってそんな大変な事をするのだろうか。気になります。アサギマダラは、羽を広げても10センチぐらいしかないのです。こんなに小さな蝶が、1000キロも移動できる能力がどこにあるのだろうと気になります。
 アサギマダラのマーキングを、フラワーパークでするというので、11月18日に行って来ました。マーキングとは、フラワーパークに飛んできたアサギマダラを捕獲して、羽に書かれた文字を見て、どこから飛んできたのか、何日かかって飛んできたのかなどを調べて、新たにサインペンで、羽に月日とフラワーパークの「FPK」や自分の名前を書いて、再び飛ばすのです。私がマーキングしたアサギマダラが、南のどこの島で誰が捕獲してくれるか、気になります。アサギマダラのマーキングを通じて、友達が出来て交流が始まったら、楽しいなーと思います。又来年の春は、南の島から来て、フラワーパークで休んだ後、北に渡っていくアサギマダラのマーキングに行きたいと思います。アサギマダラから、感動をもらいに。もうひとつ気になる事がありました。今年の秋フラワーパークに飛んできたアサギマダラの、子どもか孫が、来年の春に南の島から飛んでくるアサギマダラで、別のアサギマダラだと言うから不思議です。フラワーパークは、初めてなのに、なぜわかるのだろうか?気になります。


縄文の森をつくろう会 07.12.26


大きい木を探しています!

現在、旧指宿市の大きい木を測定しています。
今後は山川・開聞地区の大きい木の測定を考えていますので、大きい木をご存知の方はお知らせ下さい。
いずれ、縄文の森をつくろう会で、「大きい木の認定証」を発行したいと思っています。



             
2007年12月23日の五人番のアコウ



●12月8日、ナカムラの森にて、北指宿みどりの少年団のみさんと、支柱の立て替え、シュロ縄で結束したり、当会からも8名参加してくれました。皆さんご苦労様でした。



●てんちの杜(ビオトープ)に看板が立ちました。
今年度事業である森づくりをスタートします。先ずは、杉・ヒノキ
を、切ります。縄文の森をつくろう会の予算が少なくなってきたので。ヒノキは、絵馬として活用したいのですが誰か良いアイデアをお願いします。






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