の幸ちゃん

『旅館の一日』…明け方、四時トイレに行きたくて、目が覚める。外はどしゃぶり降りの雨だ。鉄製屋根の倉庫近くの部屋に棲み込みしているので、音が聞こえる。五時過ぎにもう一度、目が覚め、雨かと思えばアラレが降っている事も有る。いよいよ日本海の冬が私にも襲って来る。冬将軍が兵隊引き連れて、白い雪の中をザワザワとやって来のか…?
 顔のヒゲソリ、他バタバタと私用を済ませ、調理場へ。前日の洗い物の残りの片付けや、洗ってあった物の什器を食器棚に入れる。
 フグ料理の調理補助や洗い物をしている頃、午前七時過ぎに朝食。旅館の道路向かい下が船着場なので、エサ運びの手伝いをする事も有る。養殖イケスの中でフグ・タイ・カンパチ等を扱っている。――前日、宿泊客が有った朝は特に多忙。朝食を終えた食堂の人数分の食器を片付けて食洗器使用で洗う。
 メニューの中にじゃが芋、キューリを使用する物が有るので、食堂の片付けが終わる頃には、それらの調理。準備した物の洗い物がたまる。10時頃にはランチコースの準備。器を揃える。調理の下ごしらえ等。11時に来客、20人位。「戦闘開始」だ。お客はツアーの旅で、私の勤務する旅館でランチを摂るので、二時間位で、全ての料理を出し、客に堪能して貰う。私の担当はフグヒレ酒だ。近くに洗い場も有るので、酒のオーダーが無ければ洗い物もする。水洗場は三〜四ヶ所有るので、ヒマなら、アチコチへと走り回り、洗い物を片付ける。ザル・皿・鍋等、調理に使用する食器類も今、洗ったかと思えば、すぐ使用。又、汚れる。中位の規模の旅館なので、調理一人、補助一人、室内への運び3人位で人間が5人位。バイトが2人位入ったりする事も有るが、毎日/朝・昼・晩、戦争である。
 ツアー客が退散した後は土鍋等の洗い物に一時間位かかる。ゆっくりする間も無く、夜客の準備。平日に予約客が無ければ、明日の客分のフグ調理に4〜5時間かかる。
 夜、宴会客が有ると、深夜10時、12時は当たり前、宴会後の片付けが大変。バス送迎が有れば、合間に私がマイクロバス(30人乗り)を運転して、お客の指示先迄、送る。
 一番最後に風呂に入り、フタをしたり軽く、片付け、掃除をする。50代のでっち奉公か?鹿児島に仕事が無いから北陸まで来たが、ケッコー、私は楽しみながら仕事している。
 肉体的疲労や精神的苦痛も有るが、春迄の事。四年も仕事してなかったので、体調もおかしい時も有ったが、「お仕事モード」に突入して、体調良好。お腹もへこんだし、食事も旨い。お腹をこわす事もなく、出て来る物も色つや良く、理想的な形。運動だと思って仕事している。本当に健康的な生き方をしている。
『旅館での事件アレコレ』九月に面接に行った時、イケスのフグ・鯛・カンパチにエサやりのお手伝い。波はナギだったので、船上も順調。処が20キロのエサ袋を持って、イケスの上をポンポン歩けない。旅館主があきれて、怒鳴るワ!怒るワ!……。山育ちの私に取って足元がフワフワする物は向いてないのか?
 滑りそうだし、イケス間は60センチ位。離れていて軽く飛ぶ位。だが海に落ちそうだし、運動神経の悪い私は足手まとい。海や魚の事を聞くとウルさいらしく、閉口気味の社長。
 遂ぞ一回きりで、二度とイケスに連れて行けてない。 ・調理場ではフグ肉を細かくたたいたりする。最初「私の包丁は貸さない」と言ったオヤジさんも「これ使え」とか言って良く切れる出刃包丁を貸してくれる。考え事や、眠い時は包丁で手を切りそうだ。ツメは何度も切っている。こんな時、ケイタイもかかって来るが、出るに出られない。社長も大事な用以外は電話に出ない。奥さんが旅館の受付をしているので、常に電話に出るのは奥さんだけだ。手をぬらしていたり、じゃが芋等で手がベトベトしていたりする。お客の到着が近いと、皆、神経がピリピリしている。普通の人々の生活感覚では無い。全てがお客優先で仕事状況が動いているので、「待ったなし」で有る。いきなりアレしろ、コレ調理!あれ持って来い!違う!と命令が次々と飛んで来る。まるでTVドラマの中に居る様だ。
・背中に入れ墨をしている自由業らしい人達が来た。コンパニオン女性を呼んで楽しく宴会していたが、コンパニオンさんに延長時間を依頼したが、旅館側は宿泊なので自室でして呉れと依頼した。客は宴会場で飲みたかったらしく、話が喰い違って、もめだした。
 遂に女将が「お金は要りません。帰って下さい!」とキレた。すったもんだの夜。半分は帰ってしまい。3人位は宿泊していた。
・大学生軍団10人位が宿泊した。風呂掃除に行ったら、桶の水は真黒。一体、どんな生活をしているのだ。深夜2時になると、マージャンをしている。――バス送迎も有る。迫様に指宿のホテルのバスを送迎をしないかと連絡が有ったのも10年位前か。お客様が時々、チップを呉れる。日給以上になる事も有るので、やめられない。小学六年の卒業日誌にバスの運転手になりたいと書いているし、今迄の仕事が殆んど、活用できて楽しい日々だ。「鹿児島に住んでいても仕事が無いのなら、仕事の有る所へ自分が行こう」と思って、やって来た。人生のどんでん返しか?数年振りに肌着も買えた。社長に感謝。
――安間さんは吉野町宛に、私の「浮来亭」を送っていると思うが、私は北陸で仕事をしているので、自分が書いた原稿内容が判りません。同じ内容を書くかもしれません。
 今年もよろしく。私の退屈な記事にお付き合い下さい。
『音楽は心の財産』と考えている私。レコードやテープ、CDを買い集めた曲に、色々の思い出がだぶって、すてられない。ラジオのFM放送を好きな曲だけダビングしたテープも100本位、所有。車のテープデッキが壊れて新品を取付けたが、テープの聴こえが悪い。CDはキレイに聴こえるのでグループサウンズや昔のロック・ポップスを流している。高校合格記念に父がステレオを購入してくれたので、レコードを聞きつつドラムを叩いていた。音がすごく良いパイオニア製だったので、ステレオ臨場感有るサウンドが今でも大好きで、パソコンやモノラルでの曲を聴きたいとは思わない。昔の家は居間を4チャンネル(サラウンド)にしていた。今の車内もスピーカーを足して4チャンネルにしている。車の免許証もゴールドで、この2つと今まだ健康な体だけが財産だろうか。
『ホームセンターにて』74円の大葉の苗を2つ買っている女性を見かけた。ベランダででも育てるのだろうが、私の家の庭は広く、種子をまけば沢山、はえて来るし、近所の種子が風で飛んで来るのか、赤しそ・青しそは毎年、自然に一杯、はえて来る。少し複雑な気持ちになって来た。
『TV番組が終了した時』出演者名が猛スピードで画面の下に流れる時が有りますね。読みにくい?いえいえ、頭を左右に振りながら、文字に視線を合わせるとキレイに見えます。
『日本地図と虫メガネ』が手元に有りませんか?地図の上に虫メガネを10センチ位離して、見ると地図面の文字、赤・青の色が立体的に見えて来ます。映画の3Dも両方のメガネが赤と青色になっており、メガネをはずして画面を見ると赤用と青用に2重に焼き込んで有ります。最近発見した、楽しい地図の見方です。※3D=三次元(サードディメンション)
『今日のスケッチ』宝くじナンバー4を買おうとコンビニに入った。宝くじ購入用、記入机の横にはコピー機が有り、母娘らしい2人が、まるで「夏休みの宿題」を完成させようと、アタフタとしている感じだった。そのワンシーンもそうだが、その次の角におかっぱ頭のヘアスタイルで、3・4歳の少年が床に座り込んで退屈そうな顔だった。私と目線が合った。「このハゲおやじ、何しに来たんだ」といぶかし気に見た。その表情は(大人の男)の顔だった。私はドキッとした。まるで自分の金欲しさが少年に見透かされた気がした。
《その日のスーパーで》買物を終えた私が2階の駐車場へと階段を登っていると、どう見てもハーフ(金髪)の少年が降りて来た。その後ろから日本人か外国人の両親が追いて来ると思いきや、ごく普通の日本女性と、その母らしき女性が少年に語りながら、歩いて来た。きっと父がアメリカかイギリス人だろうと思うしか無かった。口に出せずとも私の頭の中ではニィールトンの少年時代は、こんなかナ?と思いをはせた瞬間だった。この日、何故、写真を撮ろうと思い付かなかったのか。車中には、いつもカメラとストロボを置いて有るのにチャンスを逃している人生なのだろうか?いつか公募で賞金受賞と思いつつ……。


 
     
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         歯笛


菜の花マラソン大会(第26回)を終わって

 1月14日(日)、大会は数年ぶりの気持ちいい快晴に恵まれ、14000人以上のランナーが指宿路を駆けました。トップは2位を大きく引き離し2時間20分台の大会新記録。制限時間の8時間以降に帰ってくるランナーを迎える菜の花咲かせ隊は、いつものように17時にゴール地点に集合しました。何か温かい食べ物や飲み物を持ち寄り、手作りの残念完走証を最後尾の20人ほどに渡し始めて10年になります。

18時、スタートして9時間を過ぎてもまだ続々帰ってきます。ゴール地点でタオルを渡す人々はもう12時間も立ちっぱなしということでした。待っている人々も大変です。このままで行けば最終ゴール者は例年より大分早くなるのではと思われました。しかし、日が沈んでからは急に気温が冷え込んできました。ゴールしてがたがた震えている人や、足を引きずっている人が目立ってきました。偵察隊の報告ではまだ30名以上の人が摺ヶ浜の砂蒸し温泉近くを歩いているということでした。

菜の花咲かせ隊のことを知り、去年マラソン完走後、ゴール地点で焼酎を飲みながら完走者をねぎらっていたNさんが、今年もその人懐っこい顔を見せました。去年ゴールではしゃぎすぎたと反省したのか、今年は控えめに飲んでいるようでした。20時を過ぎて、最終ランナーを見に来た人々が段々増えてきました。すでに二張りのテントは帰ってきた人と菜の花咲かせ隊で一杯です。

最後尾の4人が二反田川を渡ったと連絡が入ったのが21時30分。あと1Kmばかりでゴールです。まだ30分以上かかるでしょう。昨年の最後尾が12時間44分で帰ってきましたので、今年は大会記録を破るのは間違いないようです。ゴール地点から彼らの姿が見えました。みんな駆け寄って声をかけています。やがてグランドに入ってきました。「おーい頑張れ、もう少しだ!」「来年はもっと練習して来るんだぞ!」などと面々大声を張り上げている。主催者のご好意でグランドのライトはまだいくつかついているものの、姿はまだはっきり見えません。彼らがゴールを切った時「万歳!万歳!」と取り囲んだ40人ばかりの人々から拍手喝采があがりました。「あなたは残念ながら制限時間を超えましたが、自分の心と身体にむち打ち今ここに無事完走されました」と一人一人に完走証が渡されました。



今年も菜の花マラソンを最後まで見届けることができました。関係された皆様、本当にご苦労様でした。特に制限時間後も大会の正式完走証を出し続けられたゴール関係の皆様、ありがとうございました。本年がいい年になりますように。








   
           
蓮太郎

 長男のところで二人目の子が産まれる(女の子で二月一日が予定日)との事で、指宿で長男の長男を預かることになった。すなわち、私にとって孫(これから太一と書く)である。
 別れた女房が「私一人では大変だから」と私が泊りがけで応援に行く事になった。最初は当然ながら息子にべったりであった。でも鹿児島に仕事が有るので、連れて来た次の日の夜には太一を寝かせてから鹿児島に帰っていった。次の日の朝、太一は起きて、辺りを見回し「パパ行く。パパ行く(パパの所に行きたいの意味らしい)」と目一杯泣いた。可哀相だが仕方ないので「パパは仕事、太一はお兄ちゃんになるのだからしっかりしなくてはダメだ。頑張れ!」と言って聞かせたら、すぐに泣き止んだではないか。親バカではなく爺バカかもしれないが、太一は考える能力の有る天才ではないかと思った。
 その日の夕方は温泉に連れて行った。前の日は息子と三人で行って、ずっと甘えて泣いていたので少し心配だったが、その日は全然泣かなかった。泣かなかったというより、一人で頭からお湯を掛けたりして遊んでいた。やっぱり天才に違いない。
 私が余り怒らないのか、私にべったりになった。凄く嬉しい。おしめを変えるのも旨くなった。私を親父と思い始めたのかもしれない。なぜかと言うと、私も仕事が有るので太一の起きる前に仕事に出かける。すると、太一が起きて、辺りを見回し「パパ行く。パパ行く」と言うそうだ。やっぱり嬉しい。
 何日かして、太一が寝てから爺と婆で太一の話をして結論が出た。太一はやっぱり天才だ、と。自分を可愛がってくれる人を悲しませてはいけないと思って泣いていたようだ。
 久しぶりに浮来亭で寝る時に思った。
 一人の自由もいいが、家族の賑やかさもいいもんだなと。


◆12月31日の朝から10人以上が集まり、太平次鍋の準備が始まりました。午後3時過ぎにほぼ終わり、打ち上げを。
元旦の朝は5時前から集まって火を起こし、予報では曇りだった天候も、皆さんの行いがよいのか初日の出が見られました。集まった皆さんに太平次鍋(約300人分)を食べて頂きました。
◆1月14日午後5時から菜の花マラソンの制限時間を過ぎたランナーとゴール関係者の応援をしました。詳しくは前頁の歯笛さんの記事を読んでください。
◆菜の花マーチの応援をしますので、時間の都合の付く方はよろしくお願いします。
1月27日(土)
午前9時半頃から 宮ヶ浜駅付近
1月28日(日)
午前8時頃から 魚見岳頂上  
   午前10時頃から COCCO橋牟礼




縄文の森をつくろう会

◆「てんちの杜」情報
・1月8日に撮影されましたビオトープ「てんちの杜」の放送が1月20日(土)午前11時15分〜30分にMBCで有りますので是非御覧になってください。(発行が遅かったらごめんなさい)
・排水工事が始まりましたので、見にお出かけ下さい。
◆1月21日(日)午前8時〜 魚見港海岸でゴミ拾いを行いますので、よろしくお願いします。(発行が遅かったらごめんなさい)



毎月原稿を送ってくれていたぶーめらんの幸ちゃんから先月は届かなかったので、心配していたら、今月は届いた。元気で北陸で頑張っているようだ。良い年を迎えたようだ。





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