の幸ちゃん

【特集・私の食生活A】前回で書き漏らした事。母は天プラ作りが大好きでオヤツ代わりにガネや芋天を作ってくれた。姉はそば粉をお湯で混ぜ、醤油をかけただけの「ね〜ぼ」が好きだった。(そばがきとも云う。熊本・五木村へ旅した時に夜食で有った) 遠足だ、学芸会だと云う時の母の弁当は巻き寿司だった。料理はヘタクソだけど、前回記述の親子丼もどきと、巻き寿司が私に取って「おふくろの味」かも知れぬ。ダンゴ造りが好きな母は今でも、時代の変化と関係なく、チマキ・かからんだんご・ケセンだんごは良く作る。昔の食糧難時代と同じく、ドバーッと大量に作るクセは治らない。私は少し貰うだけ。他はお世話になっている人に配っている様だ。〜さァ〜て、私が高校卒業して18歳。東京での食事を書きます。――研修が終わって、社員食堂の料理が又、旨い事。若い頃は食欲旺盛で丼飯2杯は食べてたナ。すぐ、お腹が出て来て。仕事柄、机に座りっ放しで、別に運動しないし、寮に帰れば又、食事。残業の日は、冬には屋台でおでんと酒。休みの日は寮周辺の中華料理や食堂。電車を数駅、乗り換えれば、上野駅が近く、下町とは違う、又、別の御馳走が。寮では風呂から上がってくれば先輩達の酒の洗礼。寮前の酒屋からつまみ、カップ麺と油っこい物ばかり。ビールばっかりで太るわ、太るわ。 ★何とか先輩達から逃れる日曜日。オバ(母の妹)も東京に居て「かに道楽」とか連れて行ってもらい。正月前は近くの●●銀座商店街でエビ・カニ等、おせち料理三昧。ケッコー幸福な食生活だった。鹿児島で味わった事の無い物で、食生活は雲泥の差。ハマって行く私でした。 ★最初の会社を退めて巣鴨へ。ここから、ちょっと食生活が大変化。寮費は安かったけど、アパートの家賃・光熱費が発生した為、冷蔵庫・クーラー・コタツも無い生活に。買物して来ても腐らすわ、寒いの暑いのはガマンしていた。心の中に人生の夢は多かったけど。結局、安い店の外食に頼っていた。銭湯帰りの3パターン。@安い食堂。芋天から刺身、天プラ定食。何でも有る下町食堂で、150円〜800円位までの値段。ビールも大中小、有って自分のハラと相談。田舎料理も多く、つまみ4〜5品、大ビール3本と、丼飯でも二千円位。喰っては帰る。眠る日々。アパートの近くにはお好み焼き店と、寿司屋も有り、リッチな日は、そっちへ。寿司屋のカウンターに座って(おまかせ)するのは超リッチと後から、判った。私一人で座敷に居るのは失礼と、カウンターに座って、好きな物バンバン食べていた。知らないって、恐いですね。私は上客だったのかも。――外食も金が続かないので、本屋で「10分で簡単。すぐ出来る安上りのおつまみ調理本」みたいな本を購入。食べたいメニューの材料を買い込んで日々、調理勉強の連続。最初は失敗し、調節すれば食できる味に。3〜5年すると、殆んど、中途味見しなくとも、自分好みの味に。外食と、自分で作るとは違う意味が判り始めた頃。材料仕入れ購入と、店で食べる時の単価(原価)が見始めた頃でも有った。丁度、世間は「男の料理」が流行し始めた頃で、スーパーに買物に一人で行くのも、恥かしくない時期になって居た。――この頃、テープ制作会社のバイトをしていた。テープ制作と云っても当時、カセットの中にテープを入れて、表ブタをセットするバイトだった。長机の上で流れ作業の上で原始的にまとめて、パッケージ紙を入れて、外パッケージをはめて行く。今も、こんな作業しているのだろうか。レコードもまだ有った時期で、LPレコードに帯(左側に有る曲の内容説明)を付けたり、ビニールカバーに入れるのは手作業だった。――この頃、社長が焼肉屋さんに同行して呉れたりして、収入は少なかったけど、ソコソコ旨い物に有りつけた?駅前の西友ストアで買物し、通りを過ぎて、アパートへ。沢田研二の「ニーナ」がレコードショップから流れていた。駅前には戦争負傷者がアコーディオンを弾きながら「物乞い」をしている人が居た。私にとって、ちょっと不思議な時代だった。――私の父も戦争体験者で、爆風で耳の聴こえが悪かったし……。ちょっぴり歴史の一端を見た気がした。
(以下、次回)


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森づくりになぜ広葉樹を中心に植えるのか


 6月21日の毎日新聞に「守ろう、水源の森」と題する一面記事が載った。その中で宮脇昭さんのことが書いてあった。宮脇さんはすでに国内外1500ヵ所以上で、3000万本の植樹指導を行っている。「宮脇式」の特徴は、「潜在自然植生」の理論に基づいていること。@その土地に合った主木となる常緑広葉樹を中心に高木、亜高木、低木と多種類の苗木を選定する。A苗木は植樹地に出来るだけ近い場所で種子を採取して、育てたものを使う。B1平方メートルに3本程度と「密植」するため、競り合い効果で、樹木の成長が比較的早い。C常緑広葉樹は、針葉樹に比べて「直根性、深根性」の根で台風、地震などの災害で倒れにくく、火災にも強い。
国内の森林は約2500万ヘクタールで国土の3分の2。その約4割が人工林で、98%が針葉樹林。宮脇さんは、常緑広葉樹を中心とした「ふるさとの森づくり」を提唱し、都市部での「防災環境保全林」づくり、荒廃する里山や水源の森などの再生などを通して、成長した将来は地球温暖化の原因の一つとされるCO2の吸収にも貢献できると考えている。
しかしこれらのことは実践してこそ意味があると記事は言っている。
 経済評論家の内橋克人さん(74歳)が、城山三郎さんとの11年前の対談集「失われた志」の中で次のようなことを言っている。
 かつて五島慶太氏が、阿寒の森の中に一大リゾート地をつくろうとした。この時この森を子孫のために残そうと戦った女性がいた。前田道子さんという。その「阿寒の森」は現在前田一歩園という財団法人によって守られている。もし前田さんという女性がいなければ阿寒の自然林は残っていなかった。前田さんの話をしながら内橋さんは次のように言っている。「男性は結局、自然とか、宇宙とかの摂理から見ると、それに刃向かって、みずからの秩序をつくろうとする。その意味ではある時代には英雄であり得たのでしょうけれど、女性は逆で、自然とか宇宙の摂理に準じて生きていく。(略)自然保護や市民運動とか、そういうものを見ましても、女性が中心になって活躍しているケースが多いわけですね。それは名誉を求めての行為でもないし、カネ儲けでもない。何かに突き揺るがされて、やっぱり動かざるを得ない。そういう必然というものを感じさせますね。
 心の気高さとか、志の高さとか、何か立派なものを仕立て上げたという男性の人間観、価値観にも憧れますが、一方で女性のどちらかといえば、“存在”としてのより多面的な深さとか、男性の到底及ばない女性の大きさとか、生命の分厚さ、重さ、そういうものを非常に感じるわけなんです」
 前田さんは亡くなるまでの10年ほどのすべてのエネルギーを、阿寒の森をいかに残すかに投入したという。
 

「又負けた、又負けた、弱い巨人に又負けた」と昔、神宮球場の帰りに聞いた、ヤクルトファンの嘆きでした。今は「巨人」を「楽天」の置き換えた私のボヤキです。一日も早く、ぐっすりと寝れることを願っています。
 明日が恐い。






●浮来亭に関する物二つを取上げさせて頂きました

◆記者の目
指宿支局・竹中康雅


 金曜の夜、千円札を持って指宿市内の古い民家に出かけることがある。「浮来亭」という市民グループの会合がある。飲み仲間の集まりが高じて地域おこし活動を始めた。四十人ほどが日替わりで訪れ、自分のアイデアを持ち寄る場にもなっている。千円払うと飲める。話も聞ける。
 以前、NPO法人「縄文の森をつくろう会」が、市内にビオトープを造成中ということを紹介した。これも浮来亭が発端という。杉林を何とかしたい土地の持ち主、勉強したビオトープを造りたい造園業者、ログハウスの新工法を試したい建築士、子どもの遊び場を提供したいメンバー。それぞれの思いが一つの事業に結びついた。そもそも、「縄文の森をつくろう会」は浮来亭が生みの親だ。「何かやろうとしても一人ではできないことが多い。飲んだ席で引きずりこむんです」と、メンバーの一人。資金は心細い。年会費千二百円では、通信費くらいしかまかなえず、寄付や補助金が頼り。それでも「大人の遊び。楽しいから続く」。池田湖ほとりの新永吉集落で、絶減しかけたホタルを復活させたり、台風で倒れたアコウの巨木を太平次公園に移植して救ったりもした。「縄文の森をつくろう会」のメンバーは現在、百五十人に膨らんだ。しかし、今も浮来亭での飲み語りが活動の原点という。まじめでいて気楽だ。彼らのいう「大人の遊び」は確実に、まちを変える原動力になると思う。
南日本新聞 5月15日 掲載より

◆菜の花咲かせ隊の皆様へ

 無謀にも練習せず、勢いだけで参加し、10時間58分38秒でゴールした、新鹿屋市からの参加者です。
 感動のゴールを皆さんから「バンザーイ! バンザーイ!」で迎えていただき、温かいおしるこ(旨かったです!)をご馳走になり、手作り完走証をいただき、感動の中、お土産にいただいたさつまいもを抱え、さて帰ろうとパイプ椅子から立ち上がろうとした時、左足に激痛が!!
 咲かせ隊の皆さんの献身的なマッサージや心温まる看護のお陰で、どうにか帰路につくことができ、今日はなんとか出勤できました。(マッサージ中に痛さ故に暴言を吐いたり、移動するため背負っていただいた時、激痛に耐えかねて殴ってしまったり・・・最低!)
 過去に3回(最後は5年前)参加させていただいておりますが、いずれも制限時間内にゴールできていたため、手作りの完走証の事はもちろん、全てのランナー(私の後に15名程いたようです)を待っておられるとは全然知らず・・・
 言い訳の様ですが、勢いだけで参加し大変な苦痛を味わいましたが、今回参加していなければ、「菜の花咲かせ隊」の皆さんを知らなかったと思います。
 今村隊長をはじめ、全ての隊員の方々に深く感謝すると共に、「菜の花咲かせ隊」の益々の発展を祈念し、万歳三唱を捧げたいと思います。
「バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!」
※「菜の花咲かせ隊」のHPを探しましたが見つからず、菜の花マラソンHPで「菜の花が咲いた!」に書き込み、「菜の花咲かせ隊」へ届けてもらうつもりでしたが、エラーのため送信できませんでした。
 遅くなりましたが、一言申し上げたく送付いたします。

 菜の花マラソン実行委員会に届いた便り

 
 侍ブルー残念でした。
浮来亭に関する物を二つ掲載させていただきました。嬉しいものですし、違った角度から見れました。読者の皆さんも是非原稿をよろしくお願いします





 縄文の森をつくろう会 06.06.25

活動報告
●5月2日丈六の畑のオークです。元気に若葉を出していました。

●5月14日秋元庭園さんが、ユニックを使って、腐っている所を切り直して、サンケイ化学株式会社の山内様から、寄付して頂いた薬を塗る作業をしてくれました。

●環境自治体会議指宿会議
・5月24日朝、40人ほどで魚見岳にコナラ200本を植樹。夜の交流会では日本全国から来られた方々と話ができました。
・5月25日は朝からフィールドワークで、第9班は五人番のアコウへ。太平次公園と大渡海岸へ行きました。山川港や五人番のアコウにまつわる話や、歴史的背景などを話しました。参加者は100名を越えていました。
 

●6月10・11日と宮ヶ浜の海岸清掃のお手伝いに行きました。後日、館長さんより「海ガメが早速遊びに来ました」と連絡を頂きました。

活動予定
●揖宿神社の「てんちの杜」造りが進んでいます。ただいまスギやヒノキの伐採中。いい汗をかけますよ。毎週日曜日、9:00-15:00手伝える方はおいでください。



連絡事項

・縄文の森をつくろう会のホームページ
  http://www.synapse.ne.jp/jomon-mori/
・毎月第一金曜日午後8時・浮来亭にて定例会をしていますので、ご参加ください。
・今年度の会費未納の方はご入金をよろしくお願いします。


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