の幸ちゃん

●クモが福岡から鹿児島まで10秒で歩いた。「なア〜ぜ?」→答・クモは地図の上を歩いたから。 ●霧島のシカを触りつつ、エサを上げている人を見た。シカの毛並の汚さにびっくりした。野良犬みたいで、食べ物の栄養が毛に行き渡っていないのか?広島の宮島のシカはTVで見るとキレイに思えるが、実際に見たら同じ位、汚いのか?観光地なのに目がテンになってしまった。 ●「鹿児島おすすめスポット」吹上に有る県立農業大学を見に行って下さい。平日一般人が見学・入場できるかは未確認ですが、事務所で尋ねてみて下さい。ヨーロッパ風の建物で壮観です。記念写真にも持って来い!!(?)近くに遺跡も有ります。大学の建物は野間岬に有る温泉施設と色合いが似ており、同じ建築家の設計では?と思っている私です。 ●東京・国立(くにたち)の映画館で洋画を見ていた時の事。アメリカンジョークが旨いセリフの日本語字幕が出て、声を出して笑った私。他に2・3人が大声で笑っていた。私の四・五列前に外国人も来て、見ていた。同時に笑っていた私達だったが、他の日本人は笑ってもいない。英語のジョークが判るって楽しいもんですヨ。 ●サザン・オールスターズ「勝手にシンドバッド」が出た時、こりゃ一発屋だ。二度とヒット曲は無いと思った。(何んだ、こりゃ。この曲は!!)と考えた。私のヨミははずれて御存知の通り、(日本のビートルズ)みたいにヒット曲を出していますね。 ●アルバイトを探していた頃、「卵割り」の仕事が有った。卵を割るだけですか?とTELすると、「時々、かき混ぜて下さい」との事。カステラ会社のバイトだった。 ●東京・新宿のディスコでバイトしている時、出勤時間はいつも私一人。(シフト制だった)食事付きだったので、いつも一人で食べていた。次の時間に来たバイト君が「よく、一人で食事できるね」みたいな事を口走った。その時間に入店するのも私一人だったから仕方ない。それよりも、子供時代、両親が共稼ぎで、カギっ子で有り、いつも一人で食事(個食)していたのを思い出したら、哀しくなった。 ●スーパー等で購入して来た漬物はパックから出してすぐ皿等に移し変えた方が良いのです。袋の中でドンドン味がしみ込んで(?)酸っぱくなったり、塩辛くなります。大根葉やチンゲン菜を塩もみしボウルの底へ、ラップで押さえつけて冷蔵庫で30分位。旨い浅漬けが出来上がります。 ●鹿児島から知覧の街に入り、直線道路が長いので「夜は若者が暴走した車も通るのかナ」と考えていたら、Y字交差点に「みなとばし食堂」の看板。(やっぱりこの街では皆飛ばすんだ)と考えた私。良〜く、考えてみると「港橋」でしょうね。車内で一人で大きく笑った私でした。

『こんな居酒屋は嫌だ』 @何年、通ってもマスター(ママ)の愛想が悪い店。(嫌われる訳かナ?) Aカウンター内でマスターとママがケンカしている。 B経営者が客の悪口を言っている。(俺が居ない時は、俺の悪口、言われてるワケ?) C金額の割りには量が少なすぎる。 D客が他の客にビール等をねだっている。 E従業員女性3人も居て、カウンターの私一人を放っといて、皆でテレビを見ている。 F「付き出し」が昨日の残り物か?私の後から来た客に出る「付き出し」が、新鮮・豪華・おいしそう。 G若い店員が大声で「・・(メニュー)入ります」「有り難うございます。喜んで…」等とわめきちらしている店。 H日本語間違いの店「〜になります」とか、タメ口の店とか、… I内装は良くてもトイレが汚い。従業員・店主の態度が横柄な店。 Jテレビが有り、スポーツ等、自分の好きな番組を店主が見ていて、客の接待をしない。 Kいつ行っても季節感の無い店。 Lびっくりする程、メニューの種類が多すぎ。(選択に目移りする) M自分で作った方が旨かったと感じる店。 N経営者が常連客だけを大事にして、一人客・初見参客を、無視する店。 O客のガラが悪い店(自分に合わないナ。こりゃ)

▼短編集 A そば屋さんに入り、オーダーした品は店員が持参して呉れた。後片付けはセルフだったので、お盆を片付けて調理場窓口へ持参しようとしたら、空なのにやたら重い。プラスチックと思っていた器は全て陶器で、前へつんのめりそうになった。ちょっと嬉しい気もした。プラ丼は味気無いしネ。 B 実話です。父の所に遊びに来た孫のJが「ママ、ママ…」と、我が母を呼んでいた。父は「ホラ、腹が減ってるんだが、ゴハンを食べさせんか!」と言う。私の母は「お母さん」と英語で呼んでいるのだと伝えた。庭に居たJの母は、母乳を飲ませていた。ママとおまんまの違いであった。 C 文章を書くのが苦手な方へ。数人で世間話しているのをテープに吸い込んで、面白い部分を文章に書き換えると良いのです。「浮来亭」はいつでも原稿を募集しています。肩意地張らずに気楽に書いて送って下さい。私もチセツな文章で只、思ったままを書き綴っております。 D 仮住まいのカリスマ E 二月の「笑っていいとも」の番組で、イケメンコーナーの一般ゲストが好きな女優をキングコングが悪口言った為、一般人が怒り、15分位彼の主張が始まり、タモリ、スマップの中居、他が旨くまとめようと必死でした。「怒っていいとも」になってしまった。 F オリンピック。「金」を取れずにトリノこ(残)された。 G 子供の頃、正月前に「砂糖キビ」のクキを買って貰い、しゃぶっていた。甘くて、チューインガムみたいなオヤツだった。焼酎に黒砂糖の粉を入れて飲むと旨いです。黒砂糖は糖キビから造られていると御存知ですよね。


           須田

木立から見た指宿〜両親を迎えて〜


指宿を目指した旅からちょうど一年。
パートナーを迎え、両方の親を招待することになった。
皆がほぼ初対面。この6人をいっぺんに打ち解けさせるには。
その2人にとっては指宿はおろか九州初上陸。
富山との気候の差は同じ日本とは思えないほどだったろう。
娘の新しい生活への、心配の言をぐっと口に含んで「しっかり2人力合わせて生活していってください。」と応援してくださった。
天文館の某料亭で、出された食事も干した酒の味もさっぱり覚えていないのに会話だけははっきり覚えている。
その2人にとっては40年ぶりの指宿。
当時は新婚の2人。すでに記憶も定かではない。
そこへ放浪癖のある次男が向かったのは一年前。入院中の父親の回復を知った病床からだった。
「生きているうちに結婚でもしてくれりゃ孝行だよ。」そう言っていた一年後・・・
本当に結婚して、その息子夫婦と開聞岳に登って、下りれば「くりや」でジョッキ傾けて傾けて・・・
両親4人にはさぞ人疲れした旅になった。
僕らには豪華なホテルも食事も用意は出来ない。
けれど、これだけ温かな人たちに囲まれて暮らしてるんだよと見せておきたかった。
後になってちょっと押し付けがましかったかと心配もした。

それでもさすが木立から見ている人たち。「安心しました」とメールを寄越した。



  
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   サクラに寄せて

      
3月20日、毎日新聞の記事に眼が留まった。酒井 佐忠専門編集委員が書いた「今朝のうた」と題する記事だった。
「やがてわれを忘れてしまう祖母といて 桜並木の先までを行く」後藤由紀恵 これは今年の第6回現代短歌新人賞をもらった後藤さんの第1歌集「冷えゆく耳」に載っている。酒井さんは「幼い頃、この道を祖母と歩いた桜並木。あれから歳月が流れ、老いて記憶の薄れていく祖母は、やがて私を忘れていくのだろう、とこの歌の作者は思う。30歳になった作者の、女性の一生に思いを巡らす、花咲かせたばかりのサクラのような温かい心の感じられる一首だ」と言い、さらに「これまでにも肉親の看取りをテーマにした作品は多くあったが、これほどさわやかに、しかし温かく見つめた歌は、なかっただろう。それに若い作者が老いて病んだ人を見る目の、何ときれいなことか」と評している。
 ちょうど同じ日、外来のヤマザクラが今年も見事に咲いてくれた。齢60を過ぎ、幹も枝もちょっとした風で折れるほど頼りないのに、この咲きっぷりはどうだろう。その後冷たい雨が降り続き、咲いたばかりの花は4-5日で散ってしまった。それでも私は心安らぎ慰められた。
 今年はサクラの開花が早い。ひょっとしたらもう咲いているかもしれない。淡い思いを胸に知覧特攻平和観音堂へ向かった。例年になく強い風が吹いている。平和会館・平和観音堂へ続く100メートルばかりの桜並木。そのソメイヨシノは6分咲きだった。
 昭和20年3月、米軍は硫黄島を占領、さらに慶良間列島に進攻した。日本軍部は琉球弧の米艦隊を攻撃するために、陸海軍総力を挙げて特別攻撃隊を出撃させた。知覧からは4月1日に特攻機4機が飛び立ったのを皮切りに、6月11日までに436機が出撃した。万世、都城、健軍などの陸軍特攻基地からも出撃し、1028人が帰らぬ人となった。
 花が咲くと、参道は桜の回廊となる。ここを通る人は必ず足を止め、花を見上げたまま動かなくなる。
 昭和19年元旦、指宿にも水上偵察機の海軍航空基地が開隊した。沖縄周辺海域の船舶や、潜水艦の動向を探る哨戒索敵が主な任務だった。しかし、沖縄戦での特攻機の不足から、水上機による下駄ばき特攻隊が組織された。昭和20年3月29日から同年7月3日まで、数次にわたる神風特別攻撃隊が指宿基地から繰り出され、82人が帰らなかった。この中には16歳6ヶ月の最年少特攻隊員がいた。現在基地のあった田良浜の一角に鎮魂碑が建てられている。
 今年は1200年前の干武陵(うぶりょう)が歌ったように、花発多風雨であった。
『勧酒』勧君金屈巵 満酌不須辞 花発多風雨人生足別離 君に勧む金屈巵 満酌辞するを須(もち)いず 花発(ひら)けば風雨多く 人生別離足る 干武陵(晩唐)
コノ盃ヲ受ケテオクレ ドウゾナミナミツガセテオクレ 花ニ嵐ノタトエモアルゾ  「サヨナラ」ダケガ人生ダ(井伏鱒二訳)

  

 知覧特攻平和会館・平和観音堂への参道 6 分咲きのソメイヨシノ 2006.3.23

当院のヤマザクラ 2006.3.20


   蓮太郎

いつもの休みの日はゆっくり起きるのだが、早く目が覚めた。
 昨夜予定を立てておいたから、気合が入っていた結果である。洗濯をし、銀行に行き、図書館に行った。
昼ごはんを食べていたら携帯に電話が入り、用事が出来た。午後はその用事のために、予定通り行かなかった。
夜、巨人戦を見ていても、予定のこなせなかった事が残念で気持が落ち込んでいた。予定を立て予定通りに行ったときはなんとも無いが、行かなかったときは落ち込んでしまったのである。でも、巨人が勝ったので元気が出た。風呂の後は忘れていた。
 寝るとき又予定のことを思い出したが、それほど落ち込まなかった。
 高校の卒業式のときの校長先生の言葉を思い出した。確かではないが、私が理解したのは「百科事典を持っていて、一冊が無くなっても、それを気にしないような生き方をしてください」だった。
 もう一つ思い出した。妹が「どっちに転んでもしめたはある」と言ってくれた言葉である。
 皆から「あなたは悩みがないからいいですね」とよく言われるのは、この辺にあるんだと納得して、ぐっすり寝れた。



◆第4回 白銀古道 工芸祭り
縄文の会員でもある重富の陶芸家長井さんが毎年GWの期間に行う工芸祭りが今年も行われます。
物づくり仲間・町の駅のネットワーク仲間が白銀坂の麓で協力し合って催す参加型のイベントです。古布・河童・竹細工・木工・陶芸などの販売もあります。
日時 4月29日〜5月7日
 am10:00〜pm6:00
場所 町の駅 長井陶苑(10号線重富郵便局交差点です)
問い合わせ 長井陶苑 0995-65-2487
◆開聞山麓のオールドカーフェスタに10名以上で参加協力しました。
4月15日に準備をして数名が残って泊まり、
16日は15日に作ったトン汁を配りました。大変楽しかったとのことです。


縄文の森をつくろう会より

◆4月23日曇り空の中で開催。20数名が来て下り、いい話し合いができました。

・今年は揖宿神社の「てんちの杜」造りが中心になりそうです。これからの活動は縄文の森をつくろう会のホームページの「活動計画」を御覧ください。http://www.synapse.ne.jp/jomon-mori/

◆総会の夜、新永吉のゲンジボタルを50数名で見に行きました。200頭位すでに陸に上がっているとのことでしたが、気温が10度位に下がっていたため、残念ながらホタルが飛ぶのは見られませんでした。
◆4月25日指宿清掃公社のみなさんと、アコウの木の気根を伸ばすための、作業を終えました。お蔭様で、早く作業が終わりました。






 新年度に入りました。色々な変化が有りましたか?なかった方は自分で換えてみませんか?浮来亭もしてみなくては、ですね。






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