の幸ちゃん

「感動した音楽」

 幼少の頃、吉野で育ち、ラジオから「♪お〜い船方さんよ、船方さんよ…」と唄が聞こえて来たり、「赤胴鈴之介」の主題歌がどこかの家から聴こえたりして、のどかな物だったが、も少し年数が過ち“感動の音楽”に出逢ったのは、中学か高校の頃だったと思う。
 洋楽でプロコル・ハルムの「青い影」とか「愛のコンチェルト」を聴いた時は背筋がゾッと寒くなる位、感動したのだ。
(世の中にこんな美しいメロディがあったなんて…)と思い、作曲者に驚嘆したものだった。
 好きな音楽はジャンルを問わず、感動し、乗りが良ければ、テープに吹き込んでいる。
 洋楽ではビージーズ、ビートルズ他、枚挙にいとまがない
 邦楽(最近はジャパン・ポップスJ・Pと云うらしい)では、GS物だったが、中、高校生の頃は、歌詞の文字通り暗記し歌っていたが年を取ってくると、演歌などは実体験も踏まえているから、詞の内容や、男心・女心の裏まで見えて、カラオケ等では感情を込めて唄っており、ハマってしまうのかも知れぬ。
 私に取って、良い音楽との出逢いは、人生の糧で有り、良い人間との出逢いの次に、好きで大事な事なのである。
 近年、洋・邦共、余り感動作が少ないので、古い曲を探して、レコードやCDを買ったりもしている。某る人が言ってたが「その曲その物が好きなんじゃ無くて、その曲にまつわる自分の思い出がダブルから、その曲を好きになるのだ」と。言い得て妙だが、思い出が無くても、良い曲=自分の好きな、感情に合う曲で有れば感動し、好きになると思うのだがー。
 さて読者の皆さんは?…
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「最近の私の感情」

 自惚れでしょうか?
 先日、昔の子供の頃の写真見ていたら、自分もケッコー美少年(?)だったんだと改めて、気付いたのです。
 あど気無くて、何にも考えてない私だったあの頃の自分は、どこへ行ってしまったんでしょうか?
 30年も過ぎてから、旧友にあの頃の自分はどう思われていたのか聞いてみました。
「社交的で明るくて、誰からも好かれていたよ」との返事。御世辞も混っていたかも知れぬが、ちょっぴり嬉しかった。
 自分でも温厚で真面目と思っていたが、内心は気が小さくて、ケッコー人見知りする処も有ったりしたのだが…。

 でも良い人々との出逢いは楽しい。生き甲斐でもあるし、心の糧となりうる。今日も又、あの人に逢いたいとフト思ったりする。
 良い音楽を聴いていても、心が豊かになるし、中学の頃、ザ・タイガースの曲を耳に、こんな美しいメロディがある!!と驚嘆した物だったし、詞の内容を思春期の私は、その通り信じ切っていた。
 感動した曲はレコードを購入して、家の洋間にあったドラムをたたいていた。
 映画の感動作は映画館の暗闇の中で涙を流していた事もあった。現在もTV番組で人生相談等は良く涙する。
 デザインの勉強をし、自分の作品の隅々まで、出来上がりを楽しんだりしていた。前述のレコードにしても、ジャケットカバーの隅々まで眺めた物だ。文字を読み、写真、イラストを見ても感動した物だ。
 ああ、こんな感情を私は、いつからか失ってしまったのでは?と気付いた時、昔の自分の個性=持ち味、感性を生かして生きようと最近、思い出した。
 花を生けてみたり、陶器を眺めたり、心の余裕とでも云うのか、そして又、楽しい好きな人々と酒を酌み交わしたいと思う。
 ああ、又次は、いつ指宿に行けるのだろうか…。
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「油カタブラ!!」
        
 20歳のアパート生活から、私の調理歴も約30年位になった。最初の頃は普通の天プラ油、サラダ油等で唐揚げ、炒め物を作っていた。
 レストランでアルバイトしていた頃、ポテトフライを作るのに、バターの固まりをごっそり、鍋に溶かしているのを見て、15年位前からバターだけであった。
 今年になって、親友より「紅花油」二缶を貰ったので、天ぷらを作ってみた。違う!!昔のサラダ油の味じゃない!!油独特のしつこさ無し。サラッとカリッと揚がって、塩・胡椒だけの味で充分!!油の酸化・ヘタリも少ない。
 ペロッと2〜3人前、食べてしまった。
 又、巷でオリーブオイルの事を良く耳にするので、野菜炒めに使ってみた。
 オイルその物は無臭なのに、素材と調味料と加熱とで、独特の風味が出てくる!!
 こら又、カルチャー・ショック!!バターだけに頼っていた私が最近の油革命?に、びっくりしております。
 これが本当の「オイル・ショック」でした。
       ─おそまつ


 
   
蓮太郎

 目覚ましが鳴ったので止めて起きようと思ったが寒くて布団から出たくない。そのまましばらくしていた。これ以上グズグズしていたら間違いなく遅刻だからしぶしぶ起きた。でも体の動きはよくない。外がいつもより静かなので窓の外を覗いたら雪が降っていた。寒いわけである。
 仕事中も動きが悪い。だらだらした一日で仕事が終わった。
 帰ってからもコタツに横になりだらだらしていた。
 9時になり、風呂屋さんは9時半までだから、今行かないと間に合わない。開き直った気で『よし!』と声を出し、コタツを離れた。そのあとは風呂のおかげかもしれないが動きがよかった。頭も冴えてきてバッチリだった。
 声を出して気を入れるのはいいことだと寝る時に思った。そう言えば昔駅員さんが『前方注意・安全確認・出発進行』と大声を出していたことを思い出した。


       上野秀一

メリークリスマス!
本年もたいへんお世話になりありがとうございました。
今年もいろいろありましたが、皆さまにとってはどんな一年だったでしょうか。
年末世間を騒がせた耐震構造偽造事件では、こんな川柳がありましたね。
『煙突は大丈夫かとサンタ言い』
時節柄くれぐれもご自愛ください。皆さまにとって来年が輝けるすばらしい
一年でありますようお祈り申しあげます。


   
 2005年も暮れて

12月11日、縄文の森をつくろう会の望年会にたくさんの方が来てくださり、大いに盛り上がりました。琉球舞踊の竹内さんたちも来てくださり、飲んで踊ってそりゃ楽しいひとときでした。振り返ってみると今年もよく遊びました。
 19日の毎日新聞余禄に、中国大同市で13年間植林を続けている高見邦雄さん(57)のことが紹介されている。大同は北京の西約300キロにあり、北京の水源にも当たるところ。しかし、「この一帯から、底がぬけたように、水がなくなっている」という。200メートル近く掘ると水は出るが、水不足はもはや井戸で解決できるレベルを超えているという。中国での日本人による緑化活動はこの10年で急増し、100団体に近いという。高見さんは言う。「日本は食糧自給率を高め、国産材を使うべきだ。水の豊富な日本がそんな“水のかたまり”を大量に輸入するのはおかしい」と。余禄氏は「足元をみれば、過疎化や少子・高齢化による後継者問題などで森は荒廃し、日本の大地も危うい」と言い、続けて「雪は天から送られた手紙である」という中谷宇吉郎の有名な言葉を紹介している。70年代から様々に警告されてきた環境破壊が、いよいよ誰の目にも見えてきた。
 先日飲ん方の席で、同じようなことが話題になった。80歳になろうという方が、「50年後に海がたとえ指宿枕崎線のところまで上がって来ようが、あたし達はもうおらんからね」と言われた。その時50歳台の我々もほとんどいない。
 夜の星はよく見える。昼、星は見えない。見えないからと言って星がないわけではない。若くして自裁した金子みすヾは、人には及びもつかないことがこの世にはたくさんある、「私」も自然の中の命の一つであることをよく知って、一生懸命に生きなさいと、星をたとえに言い聞かせた。
「明日この世が滅びるとわかっていても、私はリンゴの木を植える」食道がんのために57歳で逝った小説家開高健は言った。死ぬ間際まで小説を書き、生きることにこだわった人らしい言葉だった。
川は流れている。我々はその上に浮かぶ同舟の士。水が多かろうが少なかろうが、舵取りよろしく川を下って行かなくてはならない。
20世紀最大の環境破壊と言われるアラル海縮小の事をご存知だろうか。現在その面積は元の約4分の1まで縮小している。中央アジアでカザフスタンとウズベキスタンにまたがる塩湖で、かつては世界4位、琵琶湖の約100倍の面積があったという。湖の縮小で湖底が砂漠化し、周辺住民の中に呼吸器障害、貧血、腎臓障害などの「環境病」が増えているらしい。アラル海北西部の住民5000人ほどが近いうちに遠隔地に集団移住するという。天山山脈に発するシルダリア川、パミール高原に発するアムダリア川はアラル海に流入していた。1960年代、旧ソ連は中央アジアの乾燥地帯で綿花などの農業生産を高めようと、この両大河から大量に取水した。これがアラル海縮小の原因。(毎日新聞11月24日記事)
海岸線の内陸への進行により、近い将来指宿でも同じような集団移住が起きても不思議ではない。環境破壊によって地球のどこかで民族移動がすでに始まっているのかもしれない。民族紛争、地域での小さな戦争、資源の獲得競争、資本力に物言わす経済至上主義、それらの実情は目に見えないが、その余波は地球の隅々にまで及ぶ。
「我々はどこから来て、どこへ行こうとしているのか」ゴーギャンの言葉は今もこれからも、津波の前兆を思わせる重低音のように、私たちの胸に響き続けるだろう。
耳をそばだて、眼を大きく見開いて歩いて行こう。


   縄文の森をつくろう会  05.12.24  

¨ 活動報告
◆10月30日、第4回ふれ愛フェスタどんぐりこままわし大会が菜の花館で開催されました。シニアの部は60秒、ジュニアの部は38秒が優勝タイムでした。たかがどんぐりこままわし、されどどんぐりこままわし。子供から大人まで大いに楽しみました。


◆11月20日、600本のドングリの木(アラカシ、マテバシイ、ウラジロガシ、ウバメガシなど)を中村さんから頂いた山に植樹することができました。縄文の森をつくろう会が念願にしていた山にドングリの木を植えるの第一歩です。県の援助を受けました。心から御礼申し上げます。


◆12月4日、指宿市民会館でアコウの木を救おうの『琉球舞踊チャリティー』が行われました。500名以上の方に楽しんでいただきました。ありがとうございました。
◆12月11日、宮ヶ浜の日本一のアコウにしめ縄を巻こうと、地区の方々と揖宿神社で汗を流しました。写真の3本の大縄をより合わせ、日暮れまでにはかけ終わりました。ご苦労様でした。
 

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活動予定
◆1月1日、日の出の時間に太平次公園で太平次鍋のふるまいをします。是非お出かけ下さい。31日の午前中に浮来亭で準備をしますのでご協力をお願いします。
◆1月8日、午後6時頃菜の花マラソンのゴール地点でランナーを応援しますので、応援に来てください。

¨ 連絡事項
◆毎月第一金曜日午後8時に浮来亭で縄文の森をつくろう会の定例会をしていますので、出席をしてください。
◆今年度の会費を納めてない方はよろしくお願いします。


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