の幸ちゃん

 ▼20代前半、東京に居た頃、新宿・歌舞伎町の裏筋を飲みに行く為、道のド真中を堂々と歩いていた。客引きのボーイも殆んど私にチラシを渡したり、声をかける人も少なかった。良く良く考えてみれば、クリーム色の上下タウンスーツに、茶色のコートを羽織って、当時流行していた、高めのブーツで歩いていた。(集金係り)か、あの恐い業界の人か、良いトコの坊ちゃんに見えただろう。何にも怖いモノ無しで歩いていた私。ホストか「お水」の人に見えて避けて居たのだろう。恐いのは向こう(相手)の方だったのかナ? ▼大都会に行ったら人とブツからない様に歩いて下さい。余りに人が多いので因縁を付けて来る人も居ます。駅のホームでぶつかった人を怒った人に、相手の友人がカバーして飛び出して来て、ブルース・リー風に構えて、ケンカ相手の拳を指して、(何かしたら、俺がぶちのめすぞ!!)と云う態でした。相手はスゴスゴと去って行き、我々は「戦う相手を間違えたね」と言いつつ、事無きを得たのです。――私も駅の階段のコーナーでぶつかりそうになり、平手で相手の胸をカバーしました。ぶつかって、お互い痛い思いをするより…、と、その時「何んだ!コラッ」と相手が吠えた。私はジッと相手の目を見ていた。数秒して、彼は何も言わず、去って行った。 ▼「米談義」最近は全国的にコシヒカリが人気ですね。私は昔のササニシキが好きで、人気消えたのか見つからず、秋田小町がその次に好きです。数が少なく地元で消費してしまうので鹿児島の分は貴重です。それでも無い時はヒノヒカリを食します。コシヒカリは炊き立ては旨いけど、冷めると食味がやや落ちる気がします。(おにぎりにした時、等)その点、ヒノヒカリはどちらでも旨いです。さて、皆様は?お米って人気の有る旨い米程、値段が高くなって行くのです。…やはり新米が旨い。古米は加工用に回るそうです。 ▼若者にズバリ言うぞ!!→汚らしいヒゲは剃りなさい。有名人の○○がヒゲ伸ばしてるからって、キミは○○じゃない。似合う人はいいけど、似合わない人は止めなさい。飲食店に勤務している人、オーナーもひげは止めなさい。食事している人は不愉快ですヨ。ファッションとして伸ばす人は手入れしなさい。キチンと切り揃えてあれば、カッコ良く見える人も居るし、自分をわきまえなさい。以上。 ▼ハッと気付くと今も昔も「民宿代」は六千円です。20代初めて行った金沢も、数年前行った、産山村も六千円でした。原価がほぼ同じか、昔より客が増加し、値上げする必要もないままになっているのか。新築オープンした処は金額の高い処も有ります。建築費・人件費等、諸々が込められているからで、一概に「あの店は高い!」と言わないで下さい。 ▼「近所の犬」黒リトリーバーのゲンと初対面し、仔犬の頃、英語で躾けられたと思い、「カモン。ハロー、ゲン」(今日わ、おいで)と語りかけ、余り吠えるので「シャラップ」(黙れ!)、左手を握ろうとして「シェイクハンド」(お手!)次に右手へ「チェンジ」(お代わり)と動作に合わせて英語で話し、「グッボーイ!」と頭や耳元を撫でた。見ていた飼い主が「オ〜ッ!!」と感心していた。次に「ふせ!」の(ローダウン)を命令したかったが、もしやゲンが動作しない時は恥ずかしいので止めた。偶然にも私の言葉と犬の動作が合っていただけかも知れぬ。もう一回行って試してみようか。 ▼昔、「金の有る所には金も人も集まる。」現代→「金の有る人は盗まれる。騙される。」「金の無い人には金も人も集まらない」? ▼「哀しき遺伝子」母ゆずりか、そうじ嫌いの私。腰・肩アチコチが痛いのも母の遺伝子(?)。頭のハゲは父ゆずり。父は胃ガンで死去し、母は乳ガンや白内障。今度は私に何の病気が遺伝するのかナ?
★牛乳風呂って御存知ですね。私も牛乳配送している頃、返品牛乳を沢山貰って、飲み切れない分は風呂に入れてました。肌がスベスベして乳白色になり、どこかの温泉に行くよりよっぽどハッピーだったのです。――未だ、雪の中の露天風呂で酒を飲んだ事も無いです。色白肌の若美人娘と混浴したいナ。出て来れなくて(?)、のぼせたりして…。 ★ゴミ問題はいつになったら解決するのでしょうか?観光地に行って山間部等に色々なゴミが散乱しています。道路脇の駐車休憩所はロープを張られ、車を止められなくなり、それは皆がゴミを放棄するからです。ゴミ:対:人間のマナーが法制化されそうです。――本年より「車リサイクル法」も始まりました。新車購入時、車検時、一台一回、一万円位〜を車種に寄り、支払います。又、七月から森林税もスタートします。一人500円だったと思いますが、それぞれ直轄の部門へお問い合わせ下さい。――宅地内にゴミを埋めてもダメ。燃やしてもダメ。(30万円以下、3年以内の罰金・徴収です) ★「思うこと」浮来亭に原稿を書いていて、読む家族達の顔が浮かぶ。 親も子供も老人も居るだろう。どの辺にターゲットをしぼって書けば良いか判らない。 難しい言葉や英語や略語は避けるべきか?――マテヨ!この原稿で家族が「これ、どう云う意味?」ってコミュニケーションになれば良いかナ?と思ったら、何でも書ける気がして来た。問題発言も書いて、掲載は連ちゃんに委ねましょうか?内恥をさらす様ですけど、私が何故、結婚していないかの理由や全国(都道府県)の思い出話等々、次々新しいテーマで書きたい事が思い起こされます。読者も投稿して下さい。連ちゃんも待っています。 ★「笑えるTV番号」平日なら「笑っていいとも!」や「ごきげんよう」が面白いです。芸能人が素で表情してるし、本音だし、本番中に飲食してるし。「世界まる見え!…」ではタケシが馬鹿な事やってるけど、“世界的監督”(座頭市、等)なんだから、あそこまでしなくても良いのに…。所さんの「ダーツの旅」も一般人がバカばっかり言って泣ける位、嬉しい。「銭形金太郎」も面白い。他人事じゃない。私もマル貧だ。姉の次男が「幸ちゃんも出たら?」と言った。身につまされる。木曜、夕方の再放送で「所さんの日本ジツワ銀行」も笑える。(この原稿掲載、当時には放映終了か?)「メレンゲの気持ち」で石塚英彦のコーナーは笑える。私も駄じゃれ好きだから。石塚さんのギャグには脱帽。だからプロになれるんだ!!「行列〜法律相談所」も好きな番組だ。 ▼「泣ける番組」→「キス〜イヤ」恋愛のもつれが良くも悪くも、男女が泣き合い告げ合う場面は視聴者の涙を誘う。私にこれだけの修羅場が有ったろうか?「学校へ行こう」では校舎屋上から恋の告白をしてた。「こんな俺で良いのか?」に「そんなアナタが好きなの」のセリフが泣けて来た。ハッピー・エンド、万歳だ!!「田舎に泊まろう」では、すっかり御世話になったタレント達が宿泊先家族と涙ながらに帰って行く。絶対、涙を誘われる。他に動物番組、人情ドラマ、「世界ウルルン滞在記」等が涙を呼ぶ。笑ったり、泣いたりと楽しめる番組が胸にしみる。 ▼「笑ってコラえて」で「男性新体操」を見た人も多いでしょう。ジャニーズ系の少年達が一回位、バク天するのは見た。しかし日本に、こんな体操が有るとは…。知らなかった。私なんか幾ら若くても、あんな事出来ない。すっかり感動してしまった。「陸の男のシンクロナイズド」?でしょうか?国体からも無くなる競技だと云う。次の継続者が居ない様だ。しかし彼らの就職は「日本版アレグリア」か?生きている内に、こんな感動的な映像を見せて貰い、私は痛く嬉しかった。 


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    猛暑妄語

「世の中の事は時々刻々転変窮(きわ)まりなきもので、機来り、機去り、その間、実に髪(はつ)を容れずだ。この活動世界に応ずるに、死んだ理窟をもってしてはとても追ひ付くわけではない」
幕末明治の激変をその中心で見てきた勝 海舟が、後日「氷川清話」で語った言葉。時代が変わっても世の中の本質は少しも変わっていない。

 先日市内の多くの楠が立ち枯れの状態になっていた。鹿児島県樹木医会の末吉さんに連絡が取れた。末吉さんは鹿児島から直ぐ来てくださった。それらの楠を一目見て台風による塩害だと言われた。楠は塩害に弱く、鹿児島県では広範囲に被害が出ているという。酸性雨の被害でなく少しほっとした。太平次公園のアコウも見たいとの事。「この木のことは知っていましたが、元気になりましたね」とアコウの健康状態をくまなく見てくださった。台風で倒れた上に、移植作業で様々な所に傷が付いており、樹皮もかなり傷んでいるという。シロアリが住み着いた跡もあった。暑い日は幹の表面温度は75度になるという。幹を保護したほうがいいとの事だった。近いうちに仲間を連れて出直してくださるとのこと。本当に有り難かった。7月17日仲間が幹に布を巻いた。
 その五人番のアコウに絡むことで新しいことがわかった。琉球舞踊の中に「上り口説」「下り口説」という有名な舞曲があるという。上りとは薩摩に上ってくるときのもの。下りとは沖縄に帰るときのもの。1609年薩摩は琉球を攻め支配下に置いた。1613年から年頭挨拶が始まった。琉球王朝は毎年進貢船を薩摩に送ることになった。それは1872年琉球藩になるまで続いた。那覇港を出た船は3日以上かかって山川の五人番に着き、荷改めの後鹿児島に向かった。帰りも五人番に寄り荷改めと水の補給をして沖縄に向かった。いずれも命がけの船旅で、人々は家族と別れの杯を交わして船出したという。260年間続いた中で自然発生的にできた舞曲かもしれない。アコウは五人番の目印として首里城から移植したものという話も伝えられており、五人番のアコウの樹齢が約300年というのも妥当なのかもしれない。
 岩野建設の岩野会長は昭和40年ごろ、大渡り五人番のアコウ下で干潮時に幅1.5メートルほどの石畳があるのを見たという。水汲みに来て樽を上げたところらしい。記者も先日岩野さんと一緒に見に行ったが、船のとも綱を巻いたと思われる磨り減った岩もあり、五人番には様々な歴史上の話がまだまだ埋もれていそうな気がする。
 1609年から1879年沖縄県となるまでの270年間、沖縄は中国と日本の狭間で朝貢外交を余儀なくされた。薩摩だけではなく江戸幕府にも、さらには中国の明、清にも進貢船を出さなければならなかった。「上り口説」「下り口説」には時と共に語られた言い尽くせない悲哀が込められているのではないだろうか。
 「時々刻々変わっていく」ふるさといぶすき。「死んだ理窟で」対応していてはかけがえのないふるさとは残らない。



   蓮太郎  

 その人と会うのは今晩で三度目だったのだが、残念ながらどうも覚えてもらえていなかったようだ。
 最初は不思議そうな目を向けて、私の顔を見ていたが、不思議から不安に変わったのが分かったので、こちらが不安になった。幸いなことに二人だけでなかったので、一緒に居られるなと思い安心した。気に入ってもらえるように、無難な話で語りかけるのだが、なかなかうまくいかない。商売を長くしていたし、人の心を掴むのは割とうまいと思っていたがダメである。諦めるのは絶対に嫌である。なんとしても目をこっちに向けてもらい好きになってもらいたい。一緒にいた人が私の気持を分かってくれて、色々気を使ってくれたがなかなか難しい。素直な人のようだ。とうとう泣き出してしまった。残念どころではない。大変辛かった。私の露骨な愛に戸惑っていたようだ。しつこくするのはよそうと思い、しばらく目を他に向けた。
 3時間後の別れる時にはかなり打ち解けていた。次回に期待しよう。
 寝るときに思った。これを恋と言っていいのか分からないが、恋をしてしまったようだ。久しぶりに純粋な恋をしたようだ。素直に表現するのが良いと思っていたが、相手の気持も考えずに素直に表現してもうまくいかないことが良く分かった。人間していくのが難しいなと久しぶりに反省した。
私の名は連太郎。
息子の名は一平。
その人の名は太一。
そうです。孫です。


 宮ヶ浜の六月灯が賑やかだと聞いて浮来亭のメンバー7名が出掛けました。宮ヶ浜には浮来亭のメンバーも数名いるので全部で10名以上になりました。
 宮ヶ浜駅前に立派な舞台が立ち、お店も数多く並んでいる。7時半頃から舞台が始まり、子供からお年寄りの方まで地区民総出の感じである。舞台で演じられる芸はかなりの稽古を積んだ感があり、途中に花火も上がり、まるで温泉祭りの縮小版である。
 8月5・6・7日に指宿の温泉祭りが有るのですが、この宮ヶ浜の六月灯をみると指宿の祭りはまさに六月灯なのではないかと思ってしまう。
 来年は合併が有るので今の指宿の温泉祭りは今年で最後になるかもしれない。山川・開聞に六月灯があるのか知らないが、もしやっぱり指宿の各地区で行われているような六月灯があるのなら、三地区の対抗的な六月灯の祭りにすれば良いのではと思えてなりません。


縄文の森を作ろう会

■五人番のアコウは9月4日が太平次公園に移植された日です。記念日としましたので、当日はみんなで集まりましょう。詳細は次号でお知らせしますが、午前10時の予定です。
 
7月20日のアコウです


■来年の5月24〜26日に指宿市で「第14回環境自治体会議」が開かれることが決まったようです。縄文の森をつくろう会に参加協力の声を頂きました。皆さんの声も吸い上げて、いい会議が開かれればと考えていますので協力をよろしくお願いします。




うっとうしい梅雨が明けたと思ったら、今度はものすごい暑さの夏が始まりました。皆さん健康にはくれぐれも注意して下さい。
 いつものことですが原稿をよろしくお願いします。






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