の幸ちゃん

「40年振りの水汲み」市内アチコチで旨い水を探して走り回った日々。そうだ!!想い出した。子供の頃、母と水を汲んだり、川で洗たくした場所。車で三分位の処に有る。懐かしくて行ってみた。今も水はキレイだ。たぶん沸かせば飲めるだろう。誰も来なくなったのか、周囲の様子は少し…。子供の時、カエルやおたまじゃくしが泳いでいようが、冷たくて飲めた水。今、又、汲みに行こうかと思っている。本当に(灯台元暗し)。水を探し回っていた自分が呆けて見えたのだ。「梅酢で除草」梅干にしていたスープをなめてみたらまずい!!棄てようと雑草にかけた。翌日からガラガラ枯れた。塩たっぷりの水だったから枯れるのだ。安い塩を購入し、除草剤代わりに、雑草にかけて見ようと考えた。又、結果はいづれお知らせしましょう。 もち論、梅干は天気の良い日に干しました。「行きたい温泉」指宿は黒岩洋品店さん裏に有る昭和初期イメージの温泉はまだ有るのでしょうか?時々、懐かしく思い起こされます。「台風」こんなに科学が発達しているのに、台風とか桜島の噴火とか、何故沈められないのでしょうか?ドライアイスとか、化学製品をミサイル化して台風の目にぶち込めば、大人しくなるのでは? きっとバク大な金がかかるか、自然災害も無いと、仕事(収入)が得られないのでは?と考えている?こんな話を居酒屋で話したら一笑にふされてしまった。「マンゴーの種子」果実の形は知ってます。ヨネ。あのど真中に平べったくダ円形の種子が入っているのです。形にびっくり。一応、植えてみました。芽が出て来たら、又、書きます。「北方領土」を返せ!と最近、言わなくなりましたネ。私が途中で報道を見逃したのでしょうか?御存知でしたら、「浮来亭」まで御一報下さい。――尚、シナは差別用語ではないと私は思っております。漢字で支那と書くがChina(チャイナ)のローマ字読みです。支那ソバとか言葉は残っているのにネー(新シリーズ)→「アノ人に言われた事」小学三年の時、教室内掃除中、疲れてちょっと手を休めていた。何気なく入口を見ると担任女教師が来る時、私と目が合った。又、掃除を再開した私。 授業中、皆が揃った時に「吉屋君は影ヒナタが有る」と言われた。私「……?」「ダイエット」温泉に行く度に体重計に乗るが、500g減っていても嬉しい。カロリーの少ない食事で、温泉では汗をかき、畑でもっとハードに働きましょうか?5キロ〜10キロはへらしても大丈夫。生きて行けると思う。ガンバレ、私。

「グルメ番組」や旅行番組は、いづれ無くなると思った。昨年頃までTVでラーメン・寿司・温泉番組等が土・日に渡って、スペシャルしていた。これだけ次々、放送したらネタが無くなると思っていたら、案の定3分の1位に減り、同じ場所に集中しだした。それでも、今は普通の人々(芸能人以外の)の感動番組が好きで観ている。「アノ人の言葉」18歳の時、東京で最初の会社での事。別に何も悪い事もしていない私に向かって、岩手県出身の女性二人が職場の人々の前で、いきなり「吉屋さんって頭も顔も悪いのネ」と言われた。きつねに包まれた私。一体、あの人達は何を考えて、言ったのだろうか?当時、今で云えば飯島愛風の美女二人だった。憧れていた私も、この言葉には失望したのだった。「行きたい温泉」冬の温泉で雪を見ながら、お盆の上で日本酒を飲みたくないですか?アレッてイメージ写真なのでしょうか?まだ私、体験してないのです。が、雪の中、車とか歩くとか、大変なのですョネ?……(ううッ!!)「旅は道連れ…」学校の授業で(企業は利潤を追求する)と習った。人間、皆食べて行かなくてはならず、商売に走る。旅に出て、お土産買いの為、色々な処に寄るのだが、何もかもが観光客目当ての商売だと気付くと、ウンザリする事も有る。無料で気を使わず、地元の人とのんびり話せる旅がしたいと考え始めてる、私です。「温泉・登山・居酒屋」田舎の小ぢんまりした温泉に入ると、先客が居る事も有り、私はなるべく「お早よぅ…」「今日は」「お疲れ様」と挨拶する事にしています。口に出さずとも、頭を下げます。昔「そで擦り合うも多少の縁」と云う事でしょうか。見ず知らずの人としても裸の交き合いをその場で一瞬でも、する訳ですから……。勿論、居酒屋でも先客や常連客に挨拶しますが、挨拶して呉れない人も居ます。気が小さいのか、人を疑っているのか…?人間関係って、むつかしい…。

「クモとアリ」室内に居るクモは昆虫や害虫を喰っています。アリも土の上の掃除屋さんです。梅雨時に飛んで来る羽アリは嫌だけど、ケッコー人間の為に役立ってます。野菜を作っている者にとって、紋白蝶・てんとう虫・バッタ類は野菜の芽を喰い荒します。作農家に取っては害虫なのだが、それを食べ様とクモが巣を作り、トカゲさえ畑の中を走り回っています。食用連鎖って云うヤツです。畑の中にもドラマが有ります!!「別れじゃないよ」私の今の愛車担当者ディーラーから、(会社辞めます)と連絡が来て、次の担当者を紹介してもらった。火事〜「県酪」退社の頃、トラックから、今の車購入。ここ10年位ずっと、お交き合いがあった人。もうお別れなどと、思ったが市内在住。いつでも会えるじゃないか!!次の仕事を聞いたり、新担当者とも仲良くして行こうと考えたら、又、酒が進んでしまった。「あの人が言った言葉」某会社の社長と恐竜の話になり、見た事も無い私は「あんな物が世の中に居たなんて信じられないですね」と話した。「科学者が骨を見つけて証拠が有るのだから信じるしかないだろ。君ってバカだナ!!」と云われた。私はその会社を辞めた。私が紹介した仕事も、約束した社長が遅らせた事により、紹介者に迷惑がかかったからだ。一体、どっちが悪いですか?「同パート2」某会社の社長と自分の病気状況を相談した。「俺は医者しゃない。そんな話は病院へ行け」との事。賞与も面接の時、一言も云わず、数万円を、渡された後、うしろでこんな社長のセリフが聞こえた。「町工場じゃ、こんなモノしか払えないョ」私は正月中に「退社届」を送付して辞めた。「爆笑問題のバク天!」と云うTV 番組が有る。テスト問題の珍解答を笑い合うコーナーが有るが、こんな解答を書く青少年達が実社会に出て、どうなるのだろうかと末恐ろしく感じているのは、私だけでしょうか?笑っている場合じゃないと思うのだけど。私にどうする事も出来ません。「放し飼いの猫」皆様も猫に困っていませんか。私はどちらかと云うと犬派なのですが。近所の猫が庭や畑に排泄するし、冬の夜はニャーゴとコーフン。ケンカする鳴き声有り。流しに来てつまみ喰い≠キる泥棒猫です。――こう書く私も伊集院町で首をつながれている猫。犬仔舎ならぬ猫仔舎まで有ったのには、びっくり!!猫を好きな方、何とかして下さい。周囲の住人はケッコー、メイワクしていますョ。「メモの山」浮来亭に原稿を寄せようと、焼酎飲み、TV観ながら、ハッと思い着いたらメモしています。しばらく経ってから読み直して、書いていい物か考えます。――ここに書いているのは半分位でしょうか。色々な意味で時間がたてばボツにしています。
 又々、次々と私はメモを繰り返すのです。


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 ジャンプした五人番のアコウ

 樹齢300年と言われる「五人番のアコウ」が8月29−30日の台風16号で完全に倒れた。

1997年9月の台風19号で根を引きちぎられた時からの付き合いだっただけに、縄文の森をつくろう会の面々も黙ってはおれなかった。31日に現場を確認。翌9月1日には20人ばかりで浮き上がった根に水をかけた。直射日光と乾燥を防ぐために根をすっぽり布で覆った。根元から湧き出ていた水が見られなかったため、国道から300メートルばかりホースを引いてアコウに水をかける作戦に出た。しかし実際にやってみるとホースの長さが100メートル足りなかった。日も暮れたので2日の朝からまたやることにして解散した。9月2日は夜半から大雨となる。恵みの雨は昼過ぎまで続いた。おかげで皆一休憩。この間アコウを海からクレーン台船で運び出すことを西園組に依頼。満潮、干潮時の大渡海岸の状態を調べてもらう。いけそうだとの観測が入る。移植場所の太平次公園の土地は県が所有。こちらも地元出身の県議の方にお願いして直ちに許可が下りた。3日は炎天。終日かけて数人で枝落し。4日7:00クレーン船は今和泉港を出港。大渡に向かう。好天だが台風18号が迫っている。海はすでにうねっている。一刻の猶予も許されない。10:00作業開始。一回目アコウの胴に巻きつけた幅広の布地が切れた。二回目ロープが細すぎてまた切れる。「ロープが切れた!」現場に立ち会えなかった小生にその度に電話が入る。「アコウが動くのを嫌がっているようだ」「じゃろう。なだめながらやってな」三回目太いロープを胴体に巻く。アコウはゆっくり上がっていった。そのまま台船に乗せられて指宿港まで一時間。岸壁から直接開けられた穴に入れられた。一分の狂いもなくぴたりと穴に収まった。一方何々が足らないと皆走り回っている。ある班は揖宿神社に杉を切り出しに。ある班は古い電信柱をもらいに走っていく。これらで少し傾いて立つアコウを支えねばならない。合計5本の支柱がアコウに取り付けられた。さらに土を入れたり水をかけたりと作業は17:00頃まで続いた。

 翌5日から天候は悪化の一途。直径500 Kmの強風圏を持つ台風18号は、満を持したかのようにゆっくり北上してきた。平均風速40メートル。雨はそれほどでもないが、突風が岸壁越しにアコウに波しぶきを浴びせかけた。7日夜中から早朝にかけて強風が吹いた。その暴風雨の中危険を冒してアコウに駆けつけた仲間もいた。7日15:00頃やっと強風圏を脱した。五人番のアコウは、台風一過何事もなかったかのように毅然とその場に立っていた。ロープで傷ついた幹からは白い樹液が流れ落ちている。想像するに五人番のアコウは、台風16号の繰り返す高潮と強風にタイミングを合わせあらん限りの力で飛び上がったに違いない。死ぬか生きるかそれは天任せ。たった一回のチャンス。アコウは少しだけ根を地中に残し、波打ち際に平行に、自らの体に傷を負うことなく見事に横たわった。一生一代の超美技。五人番のアコウは、山の神、海の神に愛されていたのだろう。我々は以前から海面が年々上昇してくるのを見ていた。近いうちに五人番のアコウは移植せねばならないと覚悟していた。アコウは今がその時期だと体を張って示したのだ。後は我々が心を一つにして力を合わせればよかった。樹齢300年の五人番のアコウは、ただぽつんと人里離れた海岸の波打ち際に立っていたのではない。いつも世の中のことを気にかけ、我々に語りかけていたのだ。そのことを今回の出来事はよくわからせてくれた。太平次公園と場所は変わったが、きっとまた枝葉を伸ばして勇気と希望を我々に与え続けてくれることだろう。


     蓮太郎

孫が出来た。
いよいよおじいちゃんになったのだ。自分としては20歳前半の人の多い青振連の友と楽しく飲んでいるので、なかなか“年だ”という実感がわかない。連休を利用して孫に会いに行った。立派に生きていると思っていないので会うのが少し恥ずかしかった。2540gで生まれたとのことで小さくて、手も足も強くにぎったら折れそうで怖かったが、思い切って抱かせてもらった。やっぱり血がつながっているようで、私にそっくりである。息子は自分に似ていると喜んでいるが、息子は私の赤ちゃんの頃を知らないから無理もない。ここで言い争ってはいけないと、黙って我慢した。
夜、嫁さんのお父さんと飲みに出かけた。そしたらお父さんは孫が出来たと嬉しそうに話していた。良く考えたら私だけの孫ではなかった。少しがっかりした。でも皆に分からないように可愛がればいいんだと考え直した。どうすれば好かれるのかも考えなくちゃならない。胸をときめかすのは女性だけじゃないことを悟った。
 寝るときに不思議なことを発見した。それは孫から親、その又親と数をたどっていけば2・4・8・16・32・64・128…となり、先祖って何人になるのだろうか?
疲れて眠くなり寝てしまった。


★塩作りをします
 9月26日(日)午後2時
 宮ヶ浜の海岸
★指宿地区植樹祭
 10月9日(土)午前11時15分
 山川町大成小学校校庭
 縄文の森をつくろう会ではツマベニチョウ観察会・ドングリこま回し大会などで参加協力します。
★五人番のアコウの木の救出の写真です。

・台風で倒れたアコウ


・ワイヤーは2回切れたそうです


・アコウを運んでくれた大型台船です


・無事太平次公園へ





 二つの台風がきましたが、大変だったと思います。本当に自然の力って凄いものだと思い知らされました。でも人間ってもっと凄いのかも知れません。
 アコウに胸をときめかせ、無事に根付くことを願ってます。







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