の幸ちゃん

「前書き」四月に「浮来亭」が届かなかった。一月にまとめて原稿を送った私は、送った積りでいた。畑仕事や四月からの50肩で頭もボーっとしていたのかも。毎号を楽しみにしている方、ゴメン。もしや私のせいで原稿が足りず、未発刊かと思い始めた。五月中は紙面刷新的で、違った風に見えた。奮起して私も今月から又、送ります。読者の方々も読むだけでなく、原稿を寄せましょう…(笑)「夏物野菜作り」自給自足しようと発砲箱収集、プランター購入、コンパネで木箱を50個位、作って種子や苗を植えた。トマト→順調。黄ミニトマトも初めて植えた。数年前、大型トマトをカラスに取られ、今年は周囲をネット貼りした。ウリ・かぼちゃ→着果するが腐って落下している。土が合わないのか、育て方を間違っているのか、むつかしい。ゴーヤ→購入した種子は芽が出ず、昨年食べた後の種子を植えたら四〜五本、生えて来た。不安なので別に2本苗を購入。順調に生育中。つる物用の棚として2ヵ所に大きく竹で制作。ゴーヤ・冬瓜用と、かぼちゃ・ヘチマ用と耐久性の良い物を作った。冬瓜・ヘチマも順調。元肥をたっぷりして、小さな苗を植換中。グリンピース・空豆も収穫を終えた。沢山取れたら冷凍保存する積りが、おすそ分けして種子分しか残っていない。他に人参を箱植え。以前、路地植えして失敗。ミニを箱植えしたら大量に生えて来た。オクラ・ししとう・じゃが芋も順調。「白プラムは」例年数個しか着果せず、つる物用の棚に利用。今年着果しなければ切る積りでいたが、50個程、着果。「切られまい」と私の気が通じたのだろうか。水やり追肥をして現金な私。リンゴを食べた後、種子を水に浸していたら、芽が出て来た。プランターに植えると10本位、元気の良い苗が発芽。だが着果に10年かかるとの事。私は生きているだろうか? 母が赤ピーマンを一個呉れて実は食したが、種子が一杯あったので、これも植えた。順調に育っている。尚、私の郵便ポストには名前の他に、こう書いてある。趣味の(実験)菜園とアトリエ工房≠ソょっと気恥ずかしいが……。「ナスの花は」アリが集中し落下。甘くて旨いのだろう。もうアキラメ気分。食べたい時は購入するしかない。他にキューリ、とうもろこしと多彩。この原稿が掲載される頃は3分の一位は収穫か? 除草しようとプランターをどかしたら小指大、15p位の巨大ミミズが。ここはアマゾンかとびっくりした。50年たって初めて見た大きさ。栄養効いて住み心地良いのだろう。昨日、梅酒・梅干し用に4キロ程ちぎった。まだ木に3キロ程なっている。これで今年は梅酒で食前酒が。食も進みそうだ。「50肩」四月初旬から急に肩が痛い。右首から肩、二の腕、手の甲の指への筋がしびれ、時には指も曲がらない。温泉の電気風呂で治療中だが、痛みで夜も眠れず、睡眠不足で、午前中も寝ている日も有る。午前・午後各2時間位、作業をするが調子の良かった腰もすぐ痛む。これじゃ、まともに仕事できませんネ。「桜んぼ」を鳥がついばみ出したので収穫し、赤く熟すのを待ったが、腐って来た。木になった状態で完熟するのが旨い。ネットを貼るか、新しく差し木するかだ。「ジョンのかたみ」ヘチマを植え換え様と木の回りに穴を掘ったら、昔、飼っていた愛犬のかたみが出て来た。水飲み用にしていたボウルだ。捨て様と思ったがジョンの咬み跡が沢山着いていた。洗って取っておこうと考えた。恐ろしい程の時の流れを感じた。10年位前の物だったからだ……。
「いきなり!黄金伝説」と云うTV番組がある。芸能人一ヵ月一万円生活と云う内容だ。
 私は良くレシピもメモし、調理している。海のそばなら魚介類も豊富だと考え、次はつりを覚え様かと考えている。畑や家周囲もやる事は一杯だが、畑ばかりじゃ退屈だ。収穫の旅にでも時々出かけましょうか?
「駅前でキャッチ」セールをしている人がいると報道番組で言ってた。高額の化粧品等を契約させる手口だ。こう書く私も東京で英会話テープ販売のバイトをやってた。高収入になると募集要項に書いて有り、説明会の後、地方の駅への電車賃、食事代は自腹で金にならないと思い二週間位で辞めた。後で聞いた話だが、リーダーの人が集金した金を会社に届けず、持ち逃げしたとの事。世の中に旨い話は無いと思い、普通の会社員の仕事を探したのだ。(突然思い出した話)東京生活の頃、公園内で通りすがりの少年に、「アッ、仮面ライダーのお兄ちゃんだ!!」と言われた。当時、藤岡弘が仮面ライダー役だった。私の頭髪はフサフサ、モミアゲも耳下まで伸ばしていて、少し藤岡弘似だったかも知れぬ。現代ではウルトラマンや○○レンジャーはイケメンばかりがTV画面をにぎわせている。因みに他に森田健作・沢田研二・西田敏之にも似ていると言われた事がある。鏡をのぞく度、今はそんな影すらない……。「クイズ・森は」モリと読むが、●は何と読む?<答>富士樹海(四木=死期だから)…では●は何と読む?<答>五木村(五つ木が群がっている)・「健康番組で」睡眠中に下半身を虫がはっている動きが有り、目が覚める○○○症候群と云うのが有るそうだ。その都度、目が覚め睡眠不足になると云う。私も昨年暮から、血管だか筋だかピリピリする。その病気は65歳以上に多いとの事。私の体は65歳位か。作業後、腰をかがめ、肩や腕をマッサージする態は70歳位かも知れぬ。残り人生に又、失望してしまった。「ベトナム戦争」は私が高校の頃、70年代に終結したが、最近、私が三歳の頃から戦争していたと知り、びっくりした。次に湾岸戦争。そして今、イラン・イラクと自衛隊との事。北朝鮮との拉致問題の件。日本がすごく、今、世界と関わっている事に驚愕させられ、今後の世界社会がどう変化するのか…。「ニンニクを」買い過ぎて余ったいたら、緑の芽が出だした。一片ずつプランターに植え、葉は野菜炒めに、根は三ヵ月位して親指大になったので、甘辛正油煮して食べた。酒の肴に良い。お試し有れ。・「突然思い出した話」上京してすぐギターを購入しようと銀座・山野楽器へ。値引きを依頼したら「出来ません」と店員。代わりにカポタスト(弦調整器)をサービスして貰えた。今、考えると凄いボッケモンだと思う。鹿児島なまりもキツかった筈だが……。若気の至りか…?


                 蓮太郎

   朝、目が覚めたら非常によい天気になっていた。台風はどうしたんだろうと思って天気予報を見たら、もうそれて通過していた。気持ちよく自転車に乗って仕事に向かった。
 昨夜寝る前にあんなに心配していたのが嘘のようである。
 夜、テレビで長崎の女の子の事件を見ていて感じた事がある。それは両方被害者であり、哀しい事件だという事である。
 寝る時にさらに考えてみた。
 台風にしても長崎の事件にしても、もし知らなかったら別に心配もしなかったし、哀しくもならなかったのではないかな?と。
 だとしたら、情報って知らないほうがよいものが多いのではという事である。『イヤな世の中になった』とよく聞くけど、今も昔もそんな変わらないのかもしれない。世界の悪いニュースをこんなに沢山聞かされたり見せられていれば憂鬱にならないほうがおかしい。
 そんな事を思いつつ今夜もニュースを見ながら寝てしまった。


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  痩せた尾掛浜

 6月6日(日)曇り 雨にならなくてよかった。今日は尾掛海岸と湊川河口清掃の日。

8:30には近くの小学校の生徒もたくさん顔を見せた。満潮だったので砂浜は波打ち際までわずかしかない。堤防の下にはアシやグンバイヒルガオ、ハマボウフウなどが生えている。昔はよく畑の肥料にしたというホンダワラも打ち上げられている。さあと40人ばかりで100メートルほどの砂浜の清掃にかかった。すると知林ヶ島の向こうから黒雲が湧いてきて空一面に広がった。最初ぽつりぽつりきていた雨が、瞬く間に大粒の雨に変わった。皆一斉に近くの倉庫まで走った。「やあ久しぶり。長く会いませんね」砂浜では気づかなかった仲間と初めて挨拶を交わす。しばらくして雨も止み日が照ってきた。大人も子供たちも黙々と時には歓声を上げながら発砲スチロールやペットボトルなどを拾い続けた。10時頃には砂浜はすっかりきれいになった。ごみは軽トラック二台分を越えた。

 尾掛浜に降り立つのは何年ぶりだろう。あらかたごみが片付いて、童心に返ったような気分で堤防近くの砂を掘ってみた。あっと驚いた。細かく砕けた発砲スチロールが真珠のように砂粒の中に混じっている。砂の表層に近いところほどその数は多い。場所によっては10センチの深さまで見られる。砂浜に吹き溜まった発砲スチロールが時間の経過と共に砕け砂に混じって行ったのだろう。ああとため息が出た。一瞬、夢と希望が霞んだ。「何かおかしいぞ」そう感じた時は自分の感覚を信じよう。そう頭では思ってきたが、この現実はどうだ。砂浜もすでに本来の砂浜ではない。自然は着々と私たちの怠慢を突きつけている。尾掛浜から眺める知林ヶ島、小島。その上に広がる青い空。でもその下の潮の香りのしない海。「日本国中どこも一緒ですよ。川砂が供給されませんから、砂浜はどんどん痩せています。そのうち砂浜はなくなりますよ」 隣にいたAさんがそうつぶやいた。「供給されないといっても砂はどこへ行ったんだろう」「どこに消えたんだろうか」Bさん、Cさんも顔を曇らせた。

 昼食後14:00から湊川河口へ。ここへ行くのは初めて。河口には大きなごみは少なかった。一週間ほど前に先遣隊のカメが上陸したらしい。宮ヶ浜地区の方々や北指宿中の生徒達が150名ほど集まっていた。ここも瞬く間にきれいになった。河口のあちこちから流木などを燃やす白煙が上がっている。ごみの量は尾掛海岸よりも少ない。16:00前には片付けも終りバーベキューが始まった。潮の引いた河口から見る魚見岳、知林ヶ島、小島は一幅の絵画のよう。湊川の水量は減っているようだったが、以前に比べ水はきれいになっていた。

尾掛海岸


尾掛海岸


湊川河口から見た知林ヶ島、小島


 一番大事な財産とは「目に見えないもの」

 いま、日本人は「日本のこころ」を探しなおす時期にきているのではないでしょうか?
 二十年ほど前、ぼくは日本の行く末に心底絶望しかけていました。みなさんは息子や孫たちにどんな日本を望んでいるのでしょう?
 一番大事な財産は目に見えないものです。信用、友情、健康、やすらぎの方がお金よりもずっと心地よいものです。
 北には流氷が着岸して、南にはサンゴ礁の海を持っている国なんて他にありません。人も自然の一部です。常に畏敬の念を持って自然に接し、その恵みに感謝しながら日本の人々は暮していたはずです。
 ぼくはいま、C・W・ニコル・アファンの森財団を設立し、森の再生に取り組んでいます。この仕事は手間ひまを惜しんではできません。まずは、荒れ放題だった森の間伐を行い、一本一本に養分が行き渡り、充分な太陽の光が当たるようにしました。丈夫でまっすぐな木が育つようにするためです。小鳥たちが好んで巣を作る茂みだけを残して、地面を覆う熊笹をはらいます。こうして地表にまで日光が届くようにすれば、そこにはさまざま花や若木が育ちます。さらに池を掘り、水路をきれいにし、カエルやイモリ、水生昆虫、サギやカモたちのための環境も整えました。
 一九九五年以降、アファンの森は生物学のフィールドワークと「エコツーリズム」を学ぶ学生たちの訓練場にもなっています。
 すでに七百名以上の学生がここで実習を行いました。欧米からの見学者も増えてきました。そして、ぼくの故郷ウェールズのアファン森林公園と姉妹森の提携も実現しました。
 私が世を去った後も「森は大好きな日本で長く生きつづける」。そう思うことで心がどれほど穏やかになることか…。
 外国人であったぼくは、ようやく名実ともにこの国の一員になれたと感じています。

        C.W ニコルさんの新聞記事より


■縄文の森をつくろう会より
今年度以降の計画です。
  事業名と実施 年・月
1 丹波校区の巨木調査 04・9or11
2 柳田校区の巨木調査 04・9or11
3 魚見岳の山(中村さんの山と市の山)の活用 06・3
4 揖宿神社の林の活用 08・3
5 田良浜での塩作り 04・8
6 ドングリの苗木作り 04・10
7 ドングリ駒回し大会(05の全国大会に向けて) 04・10
8 樹木葬の検討 07・3
9 なのはな館の隣の土地(市の土地)の整備 未定
10 河川清掃 年4回 3・6・9・12月
11 池田湖の水質検査等 05.・3
12 市民への啓蒙

随時連絡しますので、御協力をよろしくお願いします。

■6月6日の尾掛海岸の清掃には40人以上の方々の参加がありました。かなりきれいになったようです。事業計画にもありますように、年間4回の清掃をしようということになりましたので、したらいい所とか、して欲しい所がありましたら御連絡下さい。

■6月19日午後7時に丹波小学校の校庭で灯りのない夜を楽しむ会があります。ぜひ御参加ください。(過ぎていたらゴメンなさい)


梅雨が明けたのでしょうか?よい天気が続いてます。
 年一回・月一回・周一回・毎日と楽しみにもいろいろありまして、意識して楽しめられる人は幸せなのかもしれませんね。一日三度の食事も楽しく食べられる人なんて最高の人だと思います。
 さて、浮来亭も月一回の楽しみと思って頂いている方には、大変申し訳無く思っています。やや発行が不規則になって来ています。本当にすみません。
 頑張りますので、投稿の御協力をよろしくお願いします。



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