の幸ちゃん

★お正月の餅、余ってませんか?焼いてサラダドレッシングでも旨いですヨ。 ★「求人募集」本を購入して見た。45歳迄の仕事しかない。(年令不問)の仕事に気が向かない。私には水商売か、車運転が向いてる気がするが、採用するのは相手会社だ。少し、先がグレーになって来た。 ★佃煮の発祥地を御存知ですか?東京・佃島で作られた。私が幼少の頃、隣のオバさんが佃煮の行商をしていた。母は朝食のメニューに困ると、私を隣へ走らせ佃煮を買いに行かせた。中学の弁当の中にも佃煮が。今でも佃煮を食べたいと思わない。 ★音楽の種類も色々、有るけど、映画の一場面で感動的に知った音楽は忘れられない。映画タイトル名は忘れたが、クラシック・カントリーミュージック・ゴスペル・南米ミュージック等、音楽種別は置いといても、映画から色々な音楽や人間の感動を知った。それら全てを書くならば、私の百科辞典が出来てしまいそうだ。皆様も胸中で思い出に浸って下さい。 ★新春草々、誠に申し訳ない話題。――今まで死にかけた事、有りますか?私、東京・銀座の横断歩道で左折して来た車にハネ飛ばされ……。ムカッと来たが、別段、どうも無かったので、事無きを得。車も15キロ以下でしょう。気付いてブレーキを踏んだのだから、人にケられた位の感じだったが、数メートル飛ばされた。今だったら骨折か?。当時、若かったから無事だったのでしょう。●九州旅行でドライヴ中、高速道路で居眠り運転した事も有る。ガードレールすれすれに接近した時、気付いて目が覚めた。昼は観光地巡り、夜は移動で、疲れたままの旅だった。●阿蘇の山中を深夜、移動中、70〜80キロで走破していた。ライトの輪の中にS字カーブの先に橋が見えて来た。(ぶつかる!!もう間に合わない!!)とアキらめていたが、間一髪、欄干にもぶつからず通り抜けた。●クーラー工事で、七階建てビル屋上から四階部分まで降りて工事した事も有る。足場もなく(死ぬかと)思ったが、ロープの手を握りしめ、放す事だけはしなかった。●水道工事で地下四メートル位、穴を掘り下げるのだが、穴下を整地している途中、土砂崩れが発生し、腰より上まで埋ったが、近くに居た人がすぐ助けてくれた。●他にも深夜、雨の日、車でガードレールにぶつかり車を大破したり、台風・火事・自殺未遂と数限りない。今まで生きて来れたのが不思議な位だ。誰に感謝しようか…。 ★突然、想い出した&「想いでの温泉」20代前半、三宅島の民宿に着いて、風呂に入りたく浴室へ行った。(沸いてるヨー)と同伴者を呼ぼうとしたら。民宿の主が(入室順です)との事。若い私、順番が有るとも考えなかったのだ。やっと入浴できた私。待ってでも良い風呂だった事は言うまでもない。 ★今期の冬シーズンも暖冬でしょうか?鹿児島は2〜3回寒い朝が有り、雪や水道も凍り……。結局、トマトも越冬せぬまま、花まで枯れて……。春よ、早く来い!!

(この原稿は一月に頂いていましたので、季節が少しずれてしまったことをお詫びします)


海外旅行異聞

 海外旅行の途次、思わぬ事象に遭遇してアッと驚く、そして永く記憶に残ることを経験することがある。そんなこぼれ話を思いつくままに、暫くシリーズで書いてみたい。諸賢の御投稿【原稿用紙五00字以内】も暫くの間ながら歓迎致しましょう。振るって御投稿下さい。
 1986年(昭和61年)の話、アフリカはエジプト、首都カイロからナイル河沿いに南に700Km。四千年前のエジプト文化の栄華を物語る多くの神殿が残されている「ルクソール」を旅した時のこと。
 アメン神の聖獣である牡羊の顔のスフィンクスの並ぶ参道を200m程歩くと大列柱。それをくぐると大理石柱、室巾100m、奥行53mの敷地に直径2mの巨大な134本の巨大な石柱が立並ぶ。完成には一世紀を要したと云う。
 その入口に差しかかった時のこと、スフィンクスの根元に屯していた13〜4歳ぐらいの男の浮浪児5〜6名。私共は5名程でバラバラに歩いていた。どうして日本人と見抜いたかもわからないが、いきなりひとりがナカソネサーン、タケシタサーンと大声で迎えた。イヤイヤ是には仰天、一体どうして、こんな処で、そしてこんな浮浪児達が……。暫らく浮浪児の合唱は続いた。
 時はまさに、日本では中曽根内閣から竹下内閣へ政権交替の直後、浮浪児の早耳もさることながら、赤道直下に近いグレート砂漠の真中、虚を突かれた大合唱に一同唖然とした一刻であった。当時喧しく言われたアニマルジャパンのなせる結果か。因みにその5年位後にはルクソールの治安は極度に乱れ、日本人観光団が襲撃を受け全員殺害される悲劇を見たが、現在は又安定している模様と聞く。

 図南 報


                        蓮太郎  

 休みなのでゆっくりの8時半頃起きた。昨夜の焼酎が少し残っているようだったが、天気が良いので直ぐに忘れてしまった。
 10時になると子ども劇場のお母さん達が来るかもしれないと思い台所での用事を済ませ、テレビの前に。スカパー(BS)で映画を見始めた。スカパーの映画は洋画が殆どで、もちろん字幕スーパーである。英会話の勉強になると思っていたが進歩は殆どない。
 今日の映画は「サルサ」という題名だった。最初のうちは内容がよく分からなくてつまらなかったが、婚約者のいる女性がダンスとダンサーに傾斜していくストーリーであると読んだ。まあよくある話ぐらいに思っていたが、踊りが始まり目と耳とハートが点になった。立ち上がり体を動かしていた。どうもサルサというのは中南米のダンスのようだ。リズムもダンスも私にピッタリである。そう言えば以前レゲエを聞いたときの事を思い出した。その時と同じように、私の体の奥の奥のどこかを何かが指すのである。音楽とかダンスとかを習う事もしたことがない私にである。映画が終わっても暫らく興奮していた。
 インターネットでプエルト・リコを探した(本当のことを言うとプエル・トルコと思っていてなかなか見つからなかった)カリブ海の回りの島の一つだった。レゲエのジャマイカもあった。行ってみたくなったので旅行会社のホームページも見てみた。そしたら結構手頃な料金(10万円位から)で行けることが分かった。夢がドンドン広がって恐くなってきた。京都に行って坊さんの修行をしたいと言っていたが、それより私にはカリブが似合っているように思えてきたし、私のルーツはカリブなのではと確信した。もっと辿ればアフリカかもしれない。私がよく外国人と間違えられるのもその辺かもしれない。
 寝る時に思った。ひょっとしたらお袋は外国旅行をしたことがあったのかな?と。
そしたら、テレビの横の冷蔵庫の上のホコリをかぶったお袋の写真と目があった。お袋は笑いながら「連ちゃん、何を馬鹿なこと言ってんだよ!」と言ってるように見えた。 
あわてて「失礼しました」と言って布団をかぶった。


 
              歯笛


 
技芸にすぐれて名のある人を名人と世の中では言うのだそうですが、はたして私たちの周りでそのように呼べる人は何人いるでしょう。自称名人という方を除けば、隠れ名人は指宿の随所におられるはずです。これら名人を探し求めて旅に出ようと思います。どうぞ、ご期待ください

            指宿百名人50

  上村 正明さん、典さん夫妻

 十二町弥次ヶ湯に「かみむら弁当」がある。日替わり弁当が専門で記者もお世話になっている一人。弁当の蓋を開ける瞬間も楽しみ。まずその色合いにあっと唸る。全て手作りなのに毎日一つとして同じおかずがない。新鮮な材料が吟味され、味付けや盛り付けに何かしら工夫が凝らしてある。その上ふりかけや味噌汁まで当然のようについている!ご飯が混ぜご飯のときも具沢山で、昔食べた懐かしさに溢れている。母が作ってくれたあったかい弁当そのもの。栄養のバランスもちゃんと考えられている。たかが弁当、されど弁当。物言わぬ弁当にどれだけ励まされていることか。是非弁当作りの現場でお会いしたいと、昼の1時半に押しかけた。奥さんが広い厨房でひと段落着いて掃除されていた。「ああ、どうぞ、どうぞ」と招き入れてくださった。

 「東京で知り合い結婚しましたが、主人は長男で郷里に帰らなければならなかったんです。すぐこちらで生活が始まりました」しかし、正明さんはJR勤務。単身赴任も3年前の57歳で退職するまで続いた。「PTAの会長をしている時は飲み方も多かった。安くて品数が多く、野菜とか材料に工夫してもっとおいしいものが食べられないか」そう思っているときに現在の場所が空いていると声をかけてくれる方がいた。「人の下で働くよりも、自分でやった方がいい。赤字は平気だ」 典さんにはそれができると思っていた正明さんも後押しした。20数年前のことである。「独身の時はよく食べ歩きをしたものでした」「一食一食を大事にして欲しい」「添加物は一切使わず、子供にも食べさせたい。儲けはほとんどありませんから悩んでいたこともあります。でも商いは飽きないでこつこつするもんだと教えられました。お客さんに安くておいしいものが提供できればいい」正明さんは退職後弁当作りや配達を手伝い始めた。朝3時半から始め昼1時半まで、夜は掃除や買い物などで10時頃までかかることもあると言う。「何とばかばかしい」元鉄道マンは最初正直そう思ったらしい。しかし「お客さんに喜んでもらうことが一番」と思い直し今はもう迷いがない。

 今ファーストフード全盛期で、若い人は食べられれば何でもいいと思っているらしい。いやそうではない。食こそ人の基本だ。時代は変わり人の嗜好も変わる。でもちゃんと心のこもったものをしっかり食べさせないといけない。お二人は昔から受け継がれてきた真に大切な心を、何とか伝えようとしておられるのだろう。

 一度食べっみやんせ。
ほんのこてうまかよ。
 
   


 縄文の森をつくろう会から

★ 丹波のベンチ作り 3月13日
本日快晴。13:00から14〜15人が集まってベンチ作りを楽しみました。杉はすでに製材済みで今日は組み立てるだけです。長さ2メートルのベンチが全部で17もできました。アコウの大木の下やクスの木の下に8つずつ、最後の1つは校舎正面玄関近くに設置しました。夏は木陰の下でゆっくり休むことができるでしょう。作業後に手作りのケーキやパン、ふくれ菓子など頂きました。かえって有り難うございました。

★ イギリス大使館へ
2004年3月18日小雨、日英グリーン同盟2周年記念レセプションに、当会より3名出席することになりました。11時までには時間があり、国会議事堂、半蔵門、靖国神社と巡りそしてイギリス大使館へ、少々歩きつかれた。テロの危険性があるとのことで、警察官や機動隊がやけに多いでした。
サー・スティーブン・ゴマソール大使の流暢な日本語のご挨拶で始まり、環境保護活動でご活躍されている、CW・ニコルさんの過去を知る歴史を学ぶ事は、現在を知る現状を理解することになる事。日英同盟時代の頃に建造された軍艦には、オーク2000本と松などの木700本も木を切って使われていた事。ニコルさんのふるさとにある炭鉱のボタヤマに、日本の企業の協力で、木を植樹する際に、協力した国が分るようにと日本の木を植えたこと等を話されました。
 指宿セントラルパークで植樹祭をした折にもお世話になりました、指宿出身の上高原さんには、この度もお世話になりました。たくさんの方にご紹介していただいたり、写真撮影また、お土産まで頂きまして、本当にありがとうございました。
(おーくの細道)指宿に来る第一号になる、板橋区の松島くんのお父様にも、お会しお話ができました。逢える日を楽しみにしています。

★ アコウの木の土嚢積み 3月21日
今朝10時五人番アコウの土嚢積みをしました。5年振り3回目。約30人集合。曇り。7歳の女の子も来てくれました。約200個の堆肥入り土嚢をアコウの根回りに積み、その周りに小石を積んでいきました。岩だらけの海岸を100メートルばかり歩いて運ばなければなりませんが、皆黙々と運んでいました。最後に竹柵工を波打ち際に作りました。ここに砂だまりを作るためです。幸い最後まで雨は降らず、アコウの横で弁当を食べ解散しました。ご苦労様でした。ゆっくり温泉にでも入ってください。
     

 
縄文の森をつくろう会が活発になってきたので、浮来亭での話もその話が多くなりました。詳しくはホームページをご覧ください。
http://www.synapse.ne.jp/jomon-mori/


   


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