の幸ちゃん

「お宝くじマネー!!初富士の夢」新春に楽しい事、有りましたか?昨年末でも五千万円以上の宝くじ60本が換金されてないのです。要らない人、私に下さい!!アハハ(笑)回りの人々や自分も幸福になれるのにネ。
「ラーメンなんて」油物を食べると腸をこわしてしまう私。若い人間と、「ラーメンってサ、小麦粉を練ってスープの中に具を入れただけだよね。」と話した。(それが又、旨いんですヨ)と若者は答えた。――私も20代の時中華料理も良く食した。ハタと気付いた。最初から味の着いた物って、果物位ですね。 他の食品は何か味を付けないと、食べられませんね。調理も長年している私が、何とバカな事、言ったのだろうと、背筋が寒くなって来た。因みに塩・正油ラーメンなら、やっと食べられる私です。★突然、思い出した話「酷寒!!」読者は最高一番、寒い体験は何でしょうか?私、20代に広島を旅行中に、疲れて昼頃、道路脇の駐車場で車中で寝入ってしまい、寒くて夕方、目が覚めた。所が歯はガタガタ鳴るし、体も手も振るえ、早くエンジンをかけ車を暖めようと考えた。カギ穴にナカナカ、キーが入らない。やっと入って車も暖って…。私、死ぬかと思った。あの体験以来、そんな寒さは経験していない。大体の寒さはガマンできてます。「新宿・赤坂・六本木」今の若者はクラブって云うんですよね。私が20代の頃はディスコでした。「サタディ・ナイト・フィーバー」が流行している頃、ディスコの梯子をしたモンです。トラブルタ張りに踊ってました。頭の毛もフサフサだったし、上下<白>のスーツで決めて、ハイヒールの靴、はいてて……。ああ、あの頃が懐かしいです。「つりの歴史」幼少の頃は吉野から花倉まで階段を降りて、釣りやビナ取りに行った。小魚しか釣れなかったが、母が油炒めで調理してくれた。中学・高校は釣りに行った記憶はない。20代途中、友人と大分へ行った。ゾウリとか小さなカニ位しか釣れなかった。旅行で湯ノ児で立ち魚釣りをしたが一匹も釣れず。が、5年位坊ノ津の港で、黒鯛を30匹位、釣りました。太陽が真上に有り、水中が丸見え。魚の位置が見え、引っかけ釣りで入れぐいだったです。「去年最後の連休」11月24日に霧島に行った。12月はクリスマス・正月準備で多忙になる筈。高千穂牧場・夢見ヶ丘は超満員の家族連れ。私は「タマゴ牧場」へ行っ田。ニワトリの間をタマゴ狩りが出来るのかと期待して行ったが、金網の中に3千羽位のニワトリが……。タマゴ牧場と云うよりニワトリ牧場だった。紅葉も少なく、一カ月半位、秋〜冬がズレ込んでいるみたい。12月に紅葉見に行きたいです。「想い出の温泉」夜、突然ドライブに行って栗野岳温泉に着いた。入口は鍵もしてなく、電灯も点けないまま入浴してしまいました。ドロ温泉か湯はドロッとしていた気がします。20年前以上の話ですから、今はどうか知りません。勝手に入ってゴメン。

  私

 名前はまだない。その人は30000金を持っていた。この国の労働賃金としては、おおよそ平均的な金額だった。
 その人は長い長い旅にでていた。少しばかり胸をときめかせながら、故郷の家に帰ってきたのだが、家には誰もいなかった。
テーブルを見ると、同居人たちの置き手紙があった。みんな、それぞれの旅にでるらしい。同居人たちにも名前はない。みんな、それぞれ旅にでなくてはならない運命だった。その人も30000金を持って、ふたたび旅にでることにした。
 この国の首都では、たくさんの買い物ができる。その人は今度は何を買おうかと期待に胸を膨らませながら、まずは手の店に入った。手の店の店主は、色々と値段の高い手を勧めてきた。手先の器用な手、ピアニストのような繊細で大胆な手、エンジニアのような職人肌の手…。色々とあったが、3000金のごくノーマルな手を購入した。利き手は右にした。
 次は足の店に入った。その人は、足は重要だと考えていた。でも、もっと他に高い買い物をしたいと思っていたので、なるべく安くて良い足の購入を考えていた。色々な足があった。一流サッカー選手の足は、20000金だった。こんな金はとても払えない。でも、そこそこ良い足がほしい。足の店の店主に相談すると、まずまず足が速くて強靭な足なら、3500金であるとのことだった。その人は、その足を購入した。だが同時に、その足には欠点もあった。足が必要以上に太くなり、長くて格好の良い足にはならないということだった。その人は格好にはあまり比重を置かなかったので、その足でも十分に満足だった。
 次は内臓の店に入った。心臓、肝臓、すい臓、腎臓、胃など平均的なものをセット価格で購入した。肝臓にはアルコールに強いというオプションを500金でつけた。全部で10500金だった。残りは、13000金だった。
 次は頭脳の店に入った。その人はいつも大抵、この店で迷っていた。ずっと前に、記憶力をかなり重視し、感受性や想像力といった能力を平均よりもかなり低い数値に設定した頭脳を購入したことがあった。その結果、人の気持ちもわからないような頭脳を持ってしまった。そのためその人の労働賃金は著しく少なくなった。なんとか次の旅で挽回し、平均的な収入にまではなったが、苦い思い出だった。
 頭脳には、感受性と想像力のオプションにかなり高額な金をだすことにした。頭脳の店主はその二つのオプションは目に見えないものだから、旅に出るには不利だといった。でも、その人はそれにこだわった。感受性と想像力だけで4000金をだした。相当に高い買い物だ。記憶力、空間認識力、理解力、分析力など他の頭脳の能力は、全部あわせて4000金なので、感受性と想像力はたくましくなるはずだ。
 その人は頭脳の店を出て、次は保険の店に行った。今、流行りの保険だ。旅での不幸な出来事を極力減らすことができるらしい。その保険に入ると、突発的な事故などが起こりづらくなり、生き残る可能性も高いそうだ。この保険ができたおかげで、高齢化社会や人口増加につながっているとの噂もある。もし事故が起こり死亡した場合は、40000金もの保険金が出る。その人は保険に入らなくてもよいと考えたが、万が一という言葉と次から次に保険に入ろうとする人の波に後押しされて、3000金のノーマルな保険に入った。手持ちは5000金しかなかったので、妥当な金額だろう。
 その人は残りの2000金を持って、役所に行こうとした。2000金もあれば、そこそこ由緒正しい家柄の権利を取得できる。しかし、その人は肝心なことを忘れていた。顔の店に行くのを忘れていたのだ。このまま顔の店に行かなければ、大変な顔になるところだった。由緒正しい家柄の権利は諦め、2000金で顔を購入した。2000金の顔は両親の遺伝にゆだねる比重が高い。だから絶世の美男や美女は諦めなければならない。その人は旅で出会うであろう両親の顔が、なるべく格好の良いものであってほしいと願った。
 最後に役所に行った。金がなかったので、人気のあるお家には行くことができない。その人は、旅人を受け入れてくれる準備のできた一般的なお家を調べた。
 調べた結果、何件か受け入れ準備可能なお家のリストがあがった。ケニアのマハライ家は、一夫多妻制だから兄弟が多くなる可能性があり、星がすごくきれいな場所に住める。しかし、猛獣に食べられる危険性もある。その人は、もっと安全なお家を探した。次の候補は、イギリスのローゼ家。家族全員が芸術家と記入されている。その人は感受性と想像力が高いため、ひょっとしたらすごい画家になれるかもしれなかった。しかし、その人は待てよと思いとどまった。手をケチったため、絵を描く能力がないのではないかと思ったのだ。どうしようかと迷っていると、日本のアンマ家が新たな受け入れリストとして登録されたのを見つけた。
 調べてみると、なかなか良さそうだった。自由な家柄らしい。その人は自分にぴったりの家だと思った。日本という国は、まずまず裕福な国だから食いはぐれることもないと旅人の間では評判だった。
 その人は、日本のアンマ家に登録した。同居人たちはどこの国に行ったのかが気になったが、旅にでたら、それどころではない。辛く、悲しい旅が待っている。しかし、困難を乗り越え、労働賃金を稼がなければならない。もちろん、次の旅に備えるためだ。旅人は、永遠に旅人のままなのだ。一つの旅を終えたら、また次の旅を始めなくてはならない。
 その人は、なぜ、ずっと次の旅の備えばかりを気にして、生きていかなければならないのか疑問に思ったが、旅にでたらそれどころではない。なにせ本当の困難が待っているのだから。
 その人は、なんて理不
尽な世の中だろうと思った。だって、永遠に旅を続けていく意味がわからないのだから。意味のわからないことが永遠に続くと思うと、自然に涙がでてきた。旅にでる瞬間、旅人は皆そう思うらしい。だから旅人は、皆、涙を流して旅にでる。
 こうして誕生したのが、私だった。

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 脇屋敷 健一さん


 随分前になる。肉、魚、野菜、惣菜など大概のものが揃ってしまう宮ヶ浜の尾曲肉屋さんでのこと。その一角に面白いパンを見つけた。ラグビーボールを小さくした形でビニール袋に入った、名前がメロンパン。一個百円。表面の半分はこんがり焦がれ、焼きあがってほんの数時間といった、食べたらうまそうなカステラ色のパン。一口食べると昔懐かしい甘い匂いと味がどこからともなくしてくる。うんうんこれだと内心わくわくしながらいつの間にか食べきってしまう。純心無垢で直球勝負、バターも何も入ってない。ところが尾曲さんに行ってもこの幻のようなパンがいつもあるとは限らない。時間帯にもよるのだろう、何日もパン棚にないこともある。このパンだけが目的で宮ヶ浜まで行ってないときは、ただしょんぼり頭をたれて帰るしかない。

 こんなパンをどんな方が焼いているのか、ある晴れた午後探検に出かけた。電話では奥さんが丁寧に応対してくださり、ご主人も「どうぞおいでください。お待ちしています」と。その「つるや菓子舗」は揖宿神社の裏手側にあった。場所はすぐわかった。お伺いした時店舗の奥で夫婦二人で仕込みをされていたようだ。「いやどうも、こんにちは」奥のドアを開けてニコニコとご主人が出てこられた。

脇屋敷少年は指宿から大阪に就職し、ここで菓子作りの道に入った。その後山川の菓子屋さんでさらに修業を続け、約30年前に現在地で自分の店を持った。「作る菓子の種類は季節によって変わりますから、数えきれないくらいあります。お客さんの意見をよく聞いて、作り方を研究します。メロンパンは卵と砂糖が同量。小麦粉を入れて混ぜケースに入れて焼くだけです」でも「それがどうしてこうもうまいんだろう」記者は内心自問した。そういえば奥さんが電話口で「焼きたてのメロンパンは本当においしいですよ」と言われたとき、「ああ、その焼き立てが今手に入りますか?ぜひ食べて見たい」何度そう聞き返そうと思ったことでしょう。「メロンパンは一日おきにしか焼きません。それも60個から100個位です。尾曲さんだけではなく、今和泉から指宿の小さなお店にも置いていますよ」「はったい粉で作るいこ菓子などは今でも大阪から注文がきます。焼き菓子やだんご類も自分なりに工夫して作っています」今日は今から仕込みに入るので、残念ながらメロンパンはまだない。焼きたての時にまた連絡を下さるという。最後に餡入りのかるかん、焼き菓子、さねん葉で包んだ団子など頂く。さあ写真を撮らせてください。奥さんも表に出てこられた。いつものように両手を挙げて頂く。ハイメロンパン!

脇屋敷さん当年68歳。これはいける。何はともあれ食べてみなされ。
 




  ウナギの旬は冬!   “俳苦?”

中学、高校のころよく五間橋に遊びに行った。夏の夜はアセチレンガスを使った照明具を携え、五間橋周辺にうなぎ、かに獲り(ノコギリガザミ)に熱中していた。

満潮時の水門前は今でも同じだが、昔の両岸は積み重ねた石で出来ていた。自家製の水中眼鏡を着け潜ってみるとこの石のつなぎ目がうなぎのベッド、ここに沢山のうなぎが顔を出しているのが見られた。今日では隙間がなくウナギが入れない

差込釣りで方法で餌をうなぎの鼻に持ってゆくと小さい奴はすぐパク付く。腹の立つことに大きいやつは知らぬ顔。キャリアで人間様のことを知っているらしい。

頭に来てゴム(自転車のチューブなどを利用)を使った戻しのついた水中銃を編み出したがうなぎの口の中を裂くだけで捕獲までいかない。

最近、縄文時代に興味を持って調べているうちに、エスキモーなどが回転式離頭銛の話が出てきた。これは、獲物(大型魚やくじら、まぐろ、あざらしなど)を捕獲するために使う道具で獲物に突き刺さった瞬間、手元の綱を引っ張ると銛と竿とが離れ、銛が獲物の体内で回転して戻し(かえし)が働く仕組みになっている。アイヌ語ではこれをキテ(kite)と呼んでおり、北の太平洋沿岸では形は変わっても同じ原理のものが広く使われている。  

縄文のころから利用されていたものである。子供のころ、この知識があればウナギ獲りに使えたのに・・・。


  赤伏目    “俳苦?”


昨日、家内と赤伏目に行ってきた。例の砂蒸しのあるところ。今日の雪空と違って、開聞さんも綺麗に見える。そこから、竹島、薩摩硫黄島が見える。家内が双眼鏡で見える見えると小騒ぐ。開聞の方を眺めると手前は目下道路(海岸端)などの工事中。その先の砂浜は誰一人いない冬の海岸。いや、肉眼で白いのが見える。眼鏡使ったら、車が一台。行ってみることにした。おじさんが高菜を海岸の塩水で洗い、ポリ樽に入れる作業を繰り返していた。  

美味そうな高菜だった。聞けば、一年分の高菜漬け。浜児ケ水というところ。足跡など見られない綺麗な海岸。歩いてみたかったが海のないところで育った悲しさ、その良さを知らない米オゴジョ。動こうとしない。

バックして砂蒸し場へ。かわらよもぎの調査が目的で、だましだましここまでやって来たのだったが、どーも空振りだった。春になったら再度挑戦するつもり。


 大晦日に、息子達が帰ってくるかもと家に行った。結局帰ってこずに別れた女房と二人で飲んでいた。だいぶ酔いが廻ってきた頃に紅白歌合戦で長渕剛が「出会った頃の二人に も一度戻ってみよう そして二人で手をつなぎ しあわせになろうよ…」を歌い始めた。二人とも無口になってしまった。
 12時になったら、花火が上がった。すてきな花火だった。

 何となく落ち着かず家に帰ってきた来た時は酔いはかなり醒めていた。
 今年の年賀状の抱負に「胸をときめかしたい」と書いたのを思い出した。もう、達成したように思った。ひょとしたら離婚はしたけど、別れてはいないのかとも思った。

●2月21日(土)午前9時半  
 池田湖えぷろんハウスで第
50回指宿地区植樹際が行われます。アラカシを植えるそうです。

 
    

 寒さの峠をこしたのかもしれませんね。それとも寒さに慣れてきたのかもしれませんね。やっぱり冬の後は春です。みなさんは春には何をされるんですか?知りたいです。


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