究極のゲーム        一平

 ここは、ある四畳半の部屋。主人公の名を通称、ポロと皆は呼んでいる。
 ポロの職業は、ゲームプログラマー。今まで数々のヒットゲームをこの世に送り込むほど、売れっ子だった。
 ポロは今、究極のゲームを思案中だった。
 ゲームの魅力とは、仮想空間のような異次元的世界があたかも現実世界ではないかとユーザーに思わせることだと、ポロは思っていた。だからポロが創りだしたゲームは創造性豊かなものが多かった。
 ポロが若いころに造ったインターネットを利用した世界対戦的ゲームは、加入者が世界中から集まり、一種の独特な世界を創りだしたと話題になった。ゲームは、部屋の枠を越えて宇宙にも進出した。宇宙空間の無重力を利用したアクションゲームは、子供の成長の発育に影響を及ぼすということで、十八歳以下はゲームに参加できないという法律が可決されたほど、ポロの造ったゲームは社会的影響が強かった。
 次のゲームは、火星のような惑星に及んだ。惑星一つに、世界中から集まった参加者を放り投げ、自分の陣地を広げていくというゲームだ。その惑星は当然、無人星なので、地球上でいうお金や権力などは関係ない。裸一貫で領土を拡大し、一番広い領土を築き上げた人間が優勝するのだ。優勝者には、その惑星を丸ごともらえるとあって、参加者は後を絶たなかった。一人、十億の参加料をとられるとあっても、爆発的人気を誇っていた。ここでいう領土とは、やはり土地のことで、どれだけの人間を家来にして、自分の保有する領土を守れるかということだった。ここまでくると人間社会と一緒で、参加者同士で主従関係を結んでも裏切りなどが発生したり、四大文明のように川などの肥沃な大地を保有しているものだ強かった。
 ポロが今、発案しているゲームは、ずばり神様。今までのゲームは、自分自身が主役で自分自身の行動でゲームの勝敗が成り立っているものが多かったが、今度は実際に自分が神様となって世界を創造するゲームなのだ。水槽のような小さな空間に地球を造り、川やら海やら大地やら人間やら動物やらを創って地球で生活させるのだ。しかし、ただ生活させるだけではおもしろくないから、現在の地球にどれだけ近づけるかを競うゲームにしようと考えた。だから、当然、キリストや釈迦のような偉人を創り宗教を確立させたり、エジソンのような科学者を創り、科学の発展を促せたりしないといけない。ありとあらゆることを考慮して地球を想像していくゲーム。
 これこそが究極のゲームだとポロは思った。でもポロ自身、他の誰かによって創造されたゲーム世界の仮想人間だった。
 ひょっとしたら、この世の中も誰かのゲームによって創られているのではないかと作者は思った。それはそれでおもしろいとも思った。


の幸ちゃん

 前号の「平成にして昭和」の文中(24年代に…)は(ニ千年代に…)の誤りでした。
前号で旅に出る」ち書いたが、朝、起きて気力無く、夜はコタツ無しでは眠れないので出発していない。年内に紅葉狩りにでもと考えているが…。「腰痛が完治」した訳でもないので職探しはしていないが、50歳代で職が見つかるだろうか?ハローワークの前には毎日の様に車が並んでいます。そこでノートをもう一冊購入して来て、「サバイバル老後!!」と題目をつけ、野菜作りに励み出した。発砲箱・プランターを集め、畑の土を利用して苗を購入・植え付けたり…。多忙の日々だが、腰の調子が良いからと一時間位、作業すると再び腰痛が。翌日は又、温泉へ。
 幸いにして土地の広さが永田病院の三軒分位有り、プランター箱等をドンドン増加させ、大体の野菜は揃えたい。「生命保険会社」から「お金借りられます」と連絡が来た。満期金を今迄の入金状況で貸しますとの事。これって、生きている内に保険金を受け取れるって事?
 満期まで入金できなかったら?途中で死亡したら、満期金は清算されるのか?もう少しは、この金で生き延びられそうだ。「芋焼酎」を卒業して、米・麦・栗・そば焼酎等を飲んでいる。最近、唐芋を買って来てストーブの上で焼いたり、フライにすると食べられるので、たまに食べるとツマミにもなって旨い。「簡単!ストーブ料理」夜は少々寒くなりストーブを出している。上にヤカン位は乗せている人も多かろう。少人数なら、こんな料理をお楽しみ下さい。里芋をアルミで巻いてストーブの上へ。大きさにも寄るが一時間位で焼けます。唐芋も同じく、大きい物は切るか、隠し包丁しておくと良く火が通る。ハシが通ったらOK。皮をむき正油/塩/ドレッシング等で食して下さい。私は焼魚、焼鳥もストーブの上で。ただし油が出ます。別にキレイな金網を購入して来て、餅も焼き始めた。アルミを四角い弁当風に折って、バターを少々、正油、砂糖、酒を入れ、しいたけ、とり皮、チンゲンサイ等を好きな具を入れ、酒のツマみに。――他にも味付けを変え、具を変え、ストーブは冬場に大活躍です。「想い出の温泉」高校を卒業して新社会人になった18歳の時の私。
 会社寮の隣に銭湯が有り(洗うぞ!!)と意気込んで行ったが、内風呂で育った私。人前で全裸になった事はない。一瞬止まっていたが、来た以上洗わなくてはと、意を決して浴室へ。石けんで股間を洗っていたら、(ヤバイ)大きく隆起。隣の人に気付かれぬ様、両足で押え、水をかけ、元に戻るまで何度も髪を洗うマネして…。感じる18歳でした。――夏はパンツ一枚の下駄バキで銭湯へ走る。向かいには酒屋も有り、風呂上りのビールが楽しい青春時代だった。「私の住む吉野町」の隣に吉田町が有る。物価は安いし温泉が四軒有るので、朝の渋滞を避けて遂々、吉田町へ走る。大きな酒屋、金物店。スーパーも2軒有るし、最近「県酪特選牛乳」のビン入りを販売している店も見つけ、殆ど鹿児島市街地の方へ降りなくなった。「宝くじが当たったら」と云うか超大金があったら、今の土地をもっとキレイに整地して、バス・トイレ付の150万円位のプレハブを建て、ドラムセットを入れたり、ワイドスクリーンで映画館みたいにしてビデオを観たい。更にもっと金が有れば、私の住んでいる周囲五軒分の土地を買い占めて整地し、ミニ団地で分譲したい。今は竹が伸び放題で手入れもされていないので。ああ、不可能な夢だし、出来たにしても後継者もいない。「室内に仏壇が」無かったので、三段ボックスの一箱に父やオバ、恩師の写真を貼り、線香を点す様にした。代々の犬の写真や寅さん(渥美清)等、故人(犬)の全てがまつって有るのだ。御冥福を……。「浮来亭」が随時発行になるそうで。今まで書いてない人もドンドン原稿を送って下さい。私からも頼みます。★金曜日の飲み方の話題も掲載したら、どうでしょうか…? ’(以下、次号)


 
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特定非営利活動法人 
縄文の森をつくろう会に認証されて


 「お話することがたくさんありまして」いつも今頃指宿を訪ねてくれる友人が今年も元気な顔を見せた。Yさん。まだ50前。九州全域から沖縄まで息つく暇もないほどに飛び回っている。仕事を着々とこなしている風。こうでああでと胸にため込んだ話を順繰りにしながら焼酎を飲む。ただそれだけの短いまるで逢瀬のような時間を、彼は「生命の洗濯」と呼ぶ。Yさんは来年1月早々、菜の花マラソンで指宿路を走るという。短いけれど料理も酒もうまかった。「じゃまた」

 縄文の森をつくろう会がいよいよNPOに認証された。かといって今までと大きく変わるわけではない。ここで着実に一歩でも前進したい。一体今何が必要なのか。何をどうすべきなのか。自分のできることは何か。毎週金曜日の浮来亭にどんな方が現れるかわからないが、どんな人が来ても、皆その人の言うことを静かに聞いている。一体今自分はどこにいて何をしようとしているのか。話が白熱してくるにつけ、皆そのことを胸の中で反芻している。こんなことをやってみようか。あんなことはしていいのだろうか。焼酎を片手に気持ちよく酔いながら、思ったままを口に出す。浮来亭で話が練られ「よしこれでいこう」となる。

 そんなことを繰り返しながら縄文の森をつくろう会も動いている。一人一人は複雑怪奇な個性ある人間。話をしながらそれぞれを好きになり、協力してある一つのことをやり遂げていく。これを「道楽」と看破した人がいる。「道を歩いているとどんな人と道連れになるかわかりませんね。またいろんな道草をしながら、そこら中にどんな楽しみが落ちているか知れませんな」の「道楽」 かといって仲間達は何かを求めて力んでいる風でもない。語り終わると飄々と立ち去っていく。

 先日指宿で環境を語る会というのがあって、そこで縄文の森をつくろう会のことを話した。その最後に金子みすヾの「灰」という詩を朗読した。この詩に託し我々の気持ちを伝えたかった。

 花咲爺さん、灰おくれ、

 ざるにのこった灰おくれ、

 私はいいことするんだよ。

 さくら、もくれん、梨、すもも

 そんなものへは撒きゃしない、

 どうせ春には咲くんだよ。

 一度もあかい花咲かぬ、

 つまらなそうな、森の木に、

 灰のありたけ撒くんだよ。

 もしもみごとに咲いたなら、

 どんなにその木はうれしかろ、

 どんなに私もうれしかろ。


               蓮太郎

 いつも行っているT温泉が改装とのことでI温泉に行くことにした。T温泉はいつでも入れたので朝出勤前に寄っていたが、I温泉は午後の一時からなので、朝風呂には入れなくなった。少々残念である。
 夜の9時過ぎに、新参者らしくそっと入っていったら見覚えのある方と目があった。場所が違うが裸友達である。それも二人もいた。T温泉のときには挨拶程度の付き合いだったのに、古い友の様に良く喋った。一遍に縄張りが広がったようで、出る時には堂々と出た。
 風呂の後、ビールを飲みながら、人とは「いつもの場所でいつものように」会うのも良いが、「違う場所でいつものように」会うのも良い物で有ることが良く分かった。今度は「いつもの場所で違うように」会ってみようかなとも思ったし、「違う場所で違うように」会ってみようかなとも思った。


  ● 魚見校区巨木調査

 11月2日(日)14:00 どんより薄暗く小雨が降る中、魚見校区公民館に9人が集まった。以前からお願いしてあった上吹越の公民館長さんや尾掛の公民館長も来られた。
このあたりでは家を建てたり道路を作るときに多くの樹木が切り倒され、ほとんど残っていないという。
雨も降ることだし今日は中止にしようということになったが、せっかくだから二箇所ばかり行ってみることにした。秋葉神社と馬頭観音が祭ってある道路わきのこんもりとした高台に行った。
神社といっても鳥居もなく、地区の人々の入り会い場所。ここに樹高20メートルばかりで根の張った立派なエノキが立っている。枝ぶりもいい。12月になると神主さんを呼んでお祭りをするのが恒例らしい。高台の奥のほうにはツタが一杯からんだ一抱えもあるハゼが立っていた。日頃人が入らない場所なのだろう、狭いところなのにこんもりとしている。
そこから歩いて直ぐのところに上吹越さん宅がある。ここの庭に幹周1メートルほどのイヌマキが二本、夫婦のように並んで立っている。枝ぶりもよく元気がいい。「私が50年ほど前嫁に来たときはもうここにありましたから、樹齢は100年ほどじゃないでしょうか」「でもこっちにもまだ2本、同じくらいのイヌマキがありました。家を建て替えるときに切ってしまいました」
雨は間断なく降っている。ここで解散することにして、縄文の森をつくろう会の会員だけ5人ほど残り魚見小学校のイチョウやゴムの木を調べに行った。どちらも樹齢50年前後といったところ。イチョウ3本、ゴム1本、桜1本を調べ終わることにした。他に小学校の裏山にカシやセンダンなどを見かけたが、これらはまた天気がいいときに再調査することにした。
魚見岳にも大きな木がありそうだがこれも次回以降に。樹木の写真も恨めしいかな、なかなかうまく撮れない。楽しみにしていた地域の方々との飲ん方も後日ということになった。
今日は色々な行事と重なった上に久しぶりの雨。「でもね、農家にとっては恵みの雨よ。水を撒いても表面にほんのちょっとしかかからんでしょう。わたしも昨日たまねぎを植えたばっかり。今日は本当に恵の雨です」満足に樹木調査はできなかったが、その言葉にちょっぴり慰められた。
(レポート 永田)

● 全国どんぐりこま回し指宿大会

日時:2003.10.26
場所:指宿市 菜の花館

全国大会指宿会場の結果

ジュニアの部(小学3年生以下)
優勝   丸田大輝   (小3)  41秒
準優勝  中村ひふみ  (小3)  38秒
3位    小野翔世   (小3)  30秒
※昨年の優勝は、29秒でした。(全国では30位でした)

シニアの部(小学4年以上)
優勝   西信治 59秒
準優勝  吉本隆晃         54秒
3位    山下謙           50秒
※昨年の優勝は、57秒でした。(全国では3位でした)

親子で楽しそうにこまを作っていました。
親の方が昔を思い出したのか、一生懸命の様子でした。
学校でポスターを見たと、家で作って参加した子がいました。
(レポート 今村)

望年会の予定
・12月26日午後7時(3000円)
・場所未定
・出席希望者は今村か安間に連絡を


    蓮太郎

 
寒かったり、暖かかったりで体調を維持するのが大変です。
 今年こそ早めの年賀状と思っています。

感想・原稿をお待ちしています。
rentarou@po.synapse.ne.jp



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