の幸ちゃん


私の定年旅行」前月号で来年一杯で定年と書いたがヘルニアも再発し、眠れない程、体が痛むので四月一杯で退社した。しばらく静養を兼ねて定年旅行に出かけ様と考えている。 「本年初のドライブ」は吹上の「みどり荘」温泉へ。天文舘/居酒屋のマスターに良い処だと聞き、急遽休日になった月曜に出発。のどかでゆったりとした庭園。桜吹雪の中で散策し温泉へ。目前の池さえもっとキレイだったら…。露天風呂有り。いいお湯でした。一度訪ねてみて下さい。 「退社した若者」と再会できた。ここ2〜3年で次々と色々な不幸に出会った彼。近年内に独立すると笑顔の彼。私も元気をもらい、放っていた庭を片付け始めた。 「TV 50周年」今年、私も50歳。TVに育てられたと云っても過言では有るまい。「トムとジェリー」「名犬ラッシー」「ポパイ」「宇宙家族ロビンソン」…と枚挙に暇なし。最近「サンダーバード」「ひょっこりひょうたん島」も再放送。「鉄腕アトム」だって…。50年の時代の流れ、報道が色々と頭中によみがえる。さて読者は?その時の私はどこで、何をしていたやら…。TVは次に何を見せてくれるのだろうか…。 「思い出の温泉」@永田先生に教えて頂いた頴娃町の畑のド真中に有る温泉。天気が良いと露天風呂から開聞岳が見える。良い処です。A20代に大分県の山中を軽ワゴン車で走破した。壁湯温泉は川の横に有る。男女混浴だが、若い女性は深夜に入浴すると云う。隣の民宿に一泊したが、女主人が馬刺を出してくれ、焼酎がハズんだ。末吉町の友人と一緒だったので懐かしい。 「おしゃれな若者」私が若かった時より、今の若者はすっごくおしゃれだ。モデル風にまとめているのは、マガジンを見て研究するのか?どんクサイ人間を探すのがむつかしい位。上下、白で決めヘルメットをかぶりバイクでさっそうと走っている。茶髪より色白の顔で黒髪の方が、まるでファミコンの主人公モデル的人間が、街頭を歩いていると、ドキッとする。女性も美容室で良くしてもらって、私の目は楽しむばかり。帽子の似合ってる子も最高です。いい時代では有るのかナ…。 「今朝、畑に」久々に大根とニガウリを植えてみました。育つかナ?六月は、この結果と旅先から定年旅行の紀行文でもお送りしましょうか…?

                       蓮太郎

 膝に良い・ガソリン代がいらない・車がない…という訳で自転車に乗っている。
仕事に行く途中に公園の中を通る。いろいろな生き物と会う。まず、朝多いのは鳥類。カラスだけは知っているが後は知らない鳥が多い。襲われるのではないかとびっくりするような小鳥の大群の時もある。今、カラスと友達になれたら襲われないかもと声をかけているのだが、なかなか仲良くはなれない。蝶と蛾。蛇とか虫類。先日は市役所とひばり保育園の中間でリスのような動物が前を横切った。あとで黄鼬(てん)と教えられた。
 自動車学校から五郎ヶ岡に行く道ではカニが道路を横切っていた。そういえば、前はもっと沢山いたことを思い出した。
 自転車もなかなかいいものである。


湊川探検
目 的 川遊びをしながら自然にふれあい、川や両岸の様子を観察する。
実施日 平成15年4月27日 日曜日《今後2回〜3回を予定》
時 間 11時集合(当日11時24分が干潮です。4時を終了とし、その後浮来亭にて獲物を料理し食しながら談笑の予定。
場 所 湊川河口付近から、終了時間までに行ける所まで。
駐車場 製材所付近(尾辻建設協力)田中産業敷地
準 備 各自目的をもって、各自が必要とするものを持ってくる。(例 ウナギつり道具、アミ、カメラ、図鑑類、弁当、飲み物、長靴、軍手、他)

湊川に関するこ
・西方宮之前にかっては、柴立温泉という名が三国名勝図会にもでてくる、『その流れ川となる』と明治のころから湯量が豊富で情緒豊かな温泉場として知られていた。
・湊川周辺は、いたるところで遺跡が存在する。
・湊川橋(てこ橋)は市の有形文化財である。第27代島津斉興の時、家老調所笑左門広郷は、今和泉島津館傍に出張し指宿、今和泉両郷の交通、土木工事、神社造営などの事業を企画し、架橋には肥後の石工岩永三五郎を招き弘化元年完成したと伝う。
・『郷土誌 みんなが語る宮ヶ浜』から
湊川を溯ればイノコ釣りとエットイが楽しめた。いつのころかクランクボ付近に揚水用の堰ができ、イノコは上流へ上がれなくなった。それ以前は、テッカン(温かい水の出た掘削井戸)横の川縁でおしめの洗濯をしていると、イノコが集まって足をくすぐったという。遡上を阻まれたイノコは堰より川下でしか釣れなくなった。ただシラスだけは懸命に遡上に挑戦していた。
 エットイも結構面白かった。川縁に雑草が覆い被さり、流れの澱んだ所が穴場である。ザルや網を川下に仕掛け、足で追い込むと手ながエビなどがぴちぴちと中で跳ねた。
 滅多にお目にかかることはなかったが、ダンマえびを手にすると小躍りした。小半日かけて湊川を遡れば、バケツの半分くらいの収穫が得られた。
 水の流れは昔のままだが、もう大分前から湊川には人が入れなくなっている。護岸工事が進み、川に降りることさえできない。もちろん鰻の巣穴も奪われ、以上に繁殖したテラピアだけがわが物顔に遊泳し、時折餌を求めて白鷺や鴨が姿を見せるなどしている。

平成15年4月27日 日曜日 快晴
 今日は湊川探検の日である。朝は指宿の揚げ場で伊勢海老の味噌汁を食べることになり、贅沢な朝食となった。
 昨日は、鰻釣りの餌(ミミズ)を捕まえようと、家の回りを探しに探して15匹、それから妻の実家にも行き19匹を捕まえることができた。なかなかミミズを捕るのも骨が折れるものだ。子供のころは、簡単にたくさんのミミズを捕っていたような気がする。それから鰻針を買いに行き、その夜にハリスに結び、あとは、30cmから50cmの竹を準備するだけにして、寝ることにしたが、チョッピリ、子供のころの遠足の前日の気持ちになった。
 準備万端、少し早めに子供二人も一緒に出発し、河口の砂浜で、昼食をとることにしたが、子供はそこそこに川の中へ、さっそく魚を見つけ、捕まえようと追いかけ回していた。
 河口付近では、小さいイノコと、小さいエンナンコ、石などに隠れているのは、ハゼの仲間二、三種類。深みには、テラピアがいたがそれほど数多くはいない。
 私も、鰻釣りの道具にミミズをつけて、鰻がいそうな穴を見つけては、探ってみるがなかなか釣れない。湊川橋の堰の手前でようやく手ごたえがあり、釣り上げたがまだまだ小さい。
 湊橋の堰から上流の湊橋手前までになると、川幅が狭くなり水深が少し深くなる。下流のほうでは、排水臭がしたがこの辺ではしなくなった。手長エビ、モクズ蟹、赤手蟹、巻き貝(かわにな等)、テラピア、ハゼの仲間らしきものも数種類いた。エビは、ビックリするほど沢山観ることができる。
 尾辻さんは、子供に見せようと、バケツに沢山の蟹、エビを捕まえて子供に観せてくれた。
 それから今村さん、下川路さん、私三人で、湊橋(元最上歯科近く)から中川橋の手前までを歩いてみた。両岸の風景も変わり、ところどころ護岸工事されてない所もあり、りっぱな木もあった。巨木調査する価値がありそうだ。川の中は、コイ、テラピア、エビ、巻き貝(かわにな等)、蟹、タニシ、それにマツバガイに似た貝を観ることができた。
 当日夜のウナギを楽しみにしていたのですが、残念な結果になりました。体は疲れたけど、子供のころを思い出したり、中川橋から上流ではどんなものに出会えるか、などと焼酎を片手に想いを廻らせた。………楽しい一日になりました。感謝。



銀蝶ビルからの眺め 38   歯笛

新永吉棚田のゲンジボタルを保守しよう

 6月末の浮来亭に、ホタル博士の大村俊朗さんが真っ黒に日焼けした顔を見せた。指宿のゲンジボタルの生息地はもう2ヶ所しか残っていない。その一つ、池田湖畔の新永吉のゲンジボタルは、棚田近くの側溝でかろうじて生きている。三面側溝が整備され餌となるカワニナが減り、その上泥が側溝に溜まってきているためホタルはいよいよ棲めなくなった。何とか棲める状態にしてやらないと近いうちにホタルはいなくなる。一人で側溝の掃除をするのは不可能に近い。縄文の森をつくろう会のメンバーにお願いできないか。「何とかしないと手遅れになります」早口にとつとつと語る大村さんの情熱がじわっと胸に迫ってきた。その場で7月6日(日)9:00から新永吉地区の方々と作業することが決った。

 ずっと続いていた長雨も6日には止んで天気は曇り。14−5人がやすらぎ公園に集合。歩いて棚田に下って行く。水が湧き出しがけ崩れがよくあるという細長い道の草払いはすでに済んでいた。地区の方々は7:00から作業を始めていて、我々が着いた頃は皆さん一休憩しているところだった。

 池田湖に続く急な斜面に見事な棚田が並んでいる。水が枯れて使われなくなった上段の棚田は草薮になっているが、その他の棚田では50センチほどに伸びたみずみずしい黄緑色の稲が風に揺れている。その棚田を縫うように走る道の片側に目的の側溝があった。その側溝の全長は100メートルはあろうか。一部竹やぶが覆いかぶさっている。幅30センチもない側溝に入って見ると、泥は厚さ20センチほども溜まっている。こんなところでゲンジボタルもよく生きのびているもんだ。皆黙々と泥をかき出し、竹やぶを払う。若い時のように体力に余裕はない。ひとかきごとに深呼吸し汗をぬぐう。「明日大丈夫ですか」と声をかけてくれた大村さんはランニング一丁、一番端っこの方から猛烈なスピードで泥をかき出している。切った竹やかき出した泥は重機や軽トラックで運び出す。各自休みを取りながら11:30まで作業を続けた。「そろそろ昼飯にしましょうや」 新永吉の館長さんが言った。頑張ってはみたがやはり午前中だけでは済まなかった。

 昼は13:00に再開。後片付けに16:00頃までかかる。棚田にきれいな水と風が戻った。夜は新永吉公民館で地区の方々と飲ん方。よほど楽しかったのだろう。どうやって帰ったか分からない人もいたとか。ともかくこうやって一緒に働いて飲んだことを忘れまい。来年は何頭のゲンジボタルが舞ってくれか。ほんに気持ちのいい一日でした。  


「海岸清掃」    皓以兆
 6月1日晴れ。午後1時に宮ヶ浜の海岸に集合。この日は指宿校区主催の湊川と海岸の清掃の日です。以前「縄文の森をつくろう会」の巨木調査で、指宿校区の巨木を調査した際、校区の方々が協力してくれました。今度は校区のほうから協力要請があり、わが縄文の森のメンバー数名が参加しました。
以前、青年部の時、海岸清掃をしていましたが、そのとき以来です。意外といったら失礼かもしれませんが、沢山の方が参加しているのには、少しびっくりしました。子供たちも多数参加していて、指宿校区のまとまりのよさに羨ましい思いでした。
さて、早速作業にかかりましたが、ビニール、空き缶、発泡スチロール、タイヤなど沢山のゴミが散乱していて、ゴミを入れたビニール袋が沢山回収され、あらためてゴミの多さにびっくりしました。
このゴミはどこからくるのだろう?風でとんだりして、側溝から川に流れ込み、それが海に流れ込んでくる。
海洋生物の「イルカ」「亀」などが、ビニールをクラゲに間違って食べて、たくさんの動物が人間の知らない間に、命を失っています。コンピュータでシュミレーションしたところ、日本から流れ出たゴミはハワイ沖まで達するそうです。
太平洋の海洋動物も、間違ってゴミを飲み込んで、死んでいるかもしれません。
自分が出したゴミのせいで、かわいい動物たちが死んでいると思うとゴミのことを、今まで簡単に思っていましたが、できるだけゴミの減量化に自分でできる範囲で努力したいと思います。
さて、指宿市の焼却炉は2本とも現在使えません。1機はダイオキシンの基準オーバーのため使用中止。1機で2機分の処理をしたため、パンク。今、指宿中のゴミがうず高く積まれています。
昔の日本は、理想的なリサイクル社会だったそうです。人糞は野菜にまかれ、腐らないプラスチックもなかったので、
循環社会ができていました。便利な現在のほうがゴミに悩まされているとは、皮肉なものですね。
電気屋さんで売っているゴミ処理機に指宿市も補助金をだしているそうですから、できるだけ多くの市民が処理機を買ったら、生ゴミも減ると思うのですが。ちなみに私は持っています。リサイクルした生ゴミを野菜や花の根元に蒔いて、肥料にしています。1度、海岸清掃や地域のクリーン作業に参加してみてください。
そうしたら多分ゴミのことについてもっと身近なことと感じると思います。
なお、NHKのホームぺージ「たったひとつの地球」をのぞいてみてください。ゴミのことが沢山のっています。
アドレスはhttp:www.nhk.or.jp/tattaです。1度覗いてみてください。

・青振連が温泉祭りのポスターのお願いを市内の小中学校にしたら、何と290枚が集まった。温泉祭りをこんなに楽しみにしているんだと元気がでました。今年もきっと楽しい祭りになりそうです。
・ナイトバザールが盛り上がってきています。来月8月9日は平和通りです。是非どうぞ。

縄文の森をつくろう会から
・縄文の森をつくろう会のホームページが出来ました。
 アドレスは http://www.synapse.ne.jp/jomon-mori/
・NPOに向けての書類も揃い、県に申請します。秋頃には認定してもらえるのではと思っています。
・ケナフ、綿畑の草が元気です。草には悪いのですが、ケナフと綿と我々の為に、たまに行って抜いて下さい。
・新永吉地区の皆さん、7月6日はご馳走様でした。また、おじゃましたいです。その節もよろしくお願いします。







長い梅雨がやっと明けそうです。どこかで災害がないと梅雨が明けないようでちょっと気になります。
 三月振りの発行で、原稿を早くに寄せて頂いた方には本当に「ご免なさい」。



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