カンボジアから今日は      森川泰夫

世界には逆流することで名高い川がいくつかある。最近我が家の裏を流れるバサック川も逆流を始めた。が、これはそれほど有名ではないようだ。車で10分ほど北に走るとバサック川はトンレサップ川と名を変える。この川は逆流することでかなり有名である。メコン川に繋がるトンレサップ川は上流に琵琶湖の3倍以上の面積を持つトンレサップ湖を有し、メコン川水量の多い時期に川は逆流し水はトンレサップ湖に流れ込む。メコン川の水量が減りトンレサップ川の水面高よりも低くなるとまたトンレサップ川は順流に戻る。このようにメコン川流域の洪水を緩和する自然のメカニズムが形成されているのだ。トンレサップ川の逆流は今年はまだ始まっていない。

 さて、毎朝職場に向かうとき私はこのトンレサップ川沿いの道を通るが、そこでいつもサンボに会う。サンボは像だ。いつも朝7時20分頃、私と同じ方向に向かって、ある時は歩道を、ある時は車道をゆっくりした歩調で、しかしかなりの速度で歩いている。毎朝いったいどこへ行くのだろうと思っていたら、私の職場の目と鼻の先にあるワット・プノンというお寺の敷地で観光客を乗せているのをみかけた。広い敷地を一回りして5ドルだそうだ。サンボも毎朝出勤し、数少ないプノンペンの観光産業の一躍を担っているのだ。
 カンボジアの観光と云えばアンコールワットが有名だ。屋久島同様ユネスコの世界遺産に登録されている。観光でカンボジアを訪れる人の8割はアンコールワットを、いや、アンコールワットのみを目的に来るといっても良いであろう。多くの日本人もやはりアンコールワットを目的にカンボジア観光に来る。プノンペンで見かける観光客はフランス人を中心にした欧米人の団体かバックパッカーが主だ。サンボが相手にするのはそういった欧米人である。

 観光客以外では昨年秋頃から世界仏教徒会議、アセアン首脳会議、アセアン観光フォーラムなど様々な国際会議が開催され多くの人々がカンボジアを訪れる機会が増えている。昨年クリスマスイブにはアンコールワットを舞台にスペインのオペラ歌手のコンサートや、バレエの公演が催され多くの観衆を魅了した。カンボジア観光は一気に花開くかに見えた。

 しかし1月29日、プノンペンで暴徒によるタイ大使館襲撃事件は隣国タイとの関係を一挙に険悪なものとした。その後最近までタイとの国境は閉鎖され、タイ国境に点在するリゾートは打撃を受けている。その後始まったイラク戦争で世界的に海外への観光が減少しているところへ新型肺炎である。今のところカンボジアでは新型肺炎患者は認められていないがこれも観光客の足かせとなっていることは確かだ。いまのところアンコールワットを基軸とした観光産業が主要な外貨獲得手段となっているカンボジアにとってこれらは深刻な問題となり、過酷な逆流にさらされているとも云えよう。トンレサップ川のようにその逆流が一時的なものであることを願う。

クメール正月
プノンペンより


地球最後の日

「急な話でビックリしただろう。でも、これは事実だ。地球への総攻撃は、まもなく始まる。明日までに結論をだしてくれ。きみにとっては、決して悪い話ではない。よく考えてみるんだ。明日の午後0時に、またここに来る。その一時間後に、われらメトロポリタン星人の総攻撃が始まるということを忘れるな」
 一見すると普通のサラリーマンだが、この男こそは、何を隠そう宇宙人だった。その宇宙人はマリノスと名乗った。マリノスはそれだけ言い残すと、地球で覚えたのだろう、不自然なウインクをして立ち去った。
 さて、困った。俺はタバコに火をつけて、今までのあらましを頭の中で整頓した。
 公園を散歩している途中、蜘蛛の巣に捕らえられている蛾を見つけた俺は、その蛾を蜘蛛の巣から助けた。その蛾が、マリノスの故郷であるメトロポリタン星の女王だったとは、誰が気づくだろうか。
 嘘みたいな話だが、地球に極秘で旅行していた女王は、仮の姿である蛾に化けて地球を探索していたそうだ。ところがお供のマリノスとはぐれてしまい、蜘蛛の巣に捕らえられてしまったのだ。そのとき俺が女王を助けたことにより、一つの恋が生まれた。女王は、俺をメトロポリタン星の大王として迎えたいとマリノスを通じて打診してきた。そんな話、信じられるかい。俺がお隣の吉田さんの家で飼われているメス犬のマリーに恋心を抱くようなもんだぜ。
「せめて、きれいな蝶だったらな」
 俺はタバコの火を灰皿に押し付けて、外に出た。鬱屈した心境とは裏腹の快晴だった。春特有のそよ風も心地良い。子供たちは無邪気に公園を駆け回り、若いカップルが幸せそうに歩いている。
 こんな幸せそうな風景が、明日を境に変わるのだ。メトロポリタン星の総攻撃は、俺が蛾の女王と結婚しようと、しまいと、確実に始まる。もし結婚したら、俺の命だけは助かるそうだが、俺の親や友達はみんな死んでしまう。
 嘘のような現実に、俺は頭を悩ませた。今から総理官邸や国連本部に行って、事実を話しても、精神病院に送りこまれる関の山だろう。どうしたらいいんだ。ハリウッド映画なら、どんな結末を用意する?
 まず初めに主人公の苦悩を描き、主人公が政府関係者に直訴に行くがまともに取りあってもらえない場面があり、主人公一人でメトロポリタン星の侵攻に立ち向かい、絶望の場面から一筋の活路を見いだし、無事、地球は助かったとなるだろう。でも、現実はどうだ。地球で起こる戦争すら止めることができないのに、異性人の侵略を止めることなんてできるだろうか。俺はどうしたらいいんだ。地球に残って、このまま死んだほうがいいのか。蛾の女王と結婚して、自分だけ生き残ったほうがいいのか。何とかして地球人の団結を促し、地球人全員でメトロポリタン星人と戦ったほうがいいのか。
 本当なら、地球人全員で戦ったほうが、もし仮に地球が滅びても本望だろう。でも、こんな地球の状態で地球人全員が一丸になるなんて、できるかい。今も、地球人は醜く争っているじゃないか。自分のためだけに、平気で他人を傷つける人間がどれだけいる。本当の意味での平和を願っている人間がどれだけいる。こんな地球なんて滅びたほうがいいんじゃないのか。
 俺は半ば自暴自棄になりながら、ふと、浮来亭の存在を思い出した。
 浮来亭とは、毎週金曜日に浮来亭メンバーが集まり、お酒を飲みながら色々なことを語ったり、森の木を植える活動をしたり、毎月一回「浮来亭」という発行物を出している有志団体だ。俺も、一応、浮来亭に原稿を送っている一人なのだが、浮来亭の飲み会にはほとんど出たことがなかった。独りで色々なことを考えるほうが楽しかったからだ。しかし、いざ、こんな悲惨な現実が自分の身に降りかかってみると、自分の辛さを誰かに話さずにはいられなかった。
 今日は、偶然にも金曜日。俺は大牟礼に軒を構えている浮来亭を訪ねた。
「おう、一平。ひさしぶりだな」
「一平君。ひさしぶり。さぁ、こっちにきて、焼酎でも飲まんね」 
 親父や浮来亭有志の声に悲壮感はない。俺は事のあらましを語った。
 嘘のような信じられない出来事に、浮来亭有志は言葉を失った。けれども、誰かがぽつりと言葉を漏らした。
「今、できることをしよう。たとえ地球最後の日になっても、一生懸命生きよう」
 浮来亭有志は全員立ち上がった。
「どうするの」と俺は訊いた。
「きまっているじゃないか。人間として最高の生きかたをするんだよ」と親父は答えた。
 人間として最高の生きかたとは何だろう。俺にはわからなかった。
 明日は地球最後の日。
 俺は最後まで人間らしく生きることができるだろうか。


 指宿百名人47

 西森 ヨシさん

 浮来亭百号記念に、小牧の蕎麦打ち名人のことを書きたいと常々思っていた。久しぶりの快晴。車で家を飛び出した。ラジオが県内各地で26度を超える真夏日になったと言っている。名人の名前もお顔も知らないので、小牧の曲がりくねった道路の脇で、野良仕事帰りらしいおばあちゃんに尋ねた。名前と住居を聞いてその場所に行くも不在。周りの家にも人の気配がない。犬に吠えられて退散する始末。「今日は運がなかった。出直そう」車を発車させ大通りに出ると、向こうからデイケアーの送迎らしい大型バスが来て目の前で止まった。離合できないのでしばらく待っていた。すると一人の日よけ帽をかぶった老婦人がバスから降りてきてすたすたとこっちに歩いてくる。とっさに「西森さんですか」と声をかけていた。「ハイそうですよ」おばあちゃんはきょとんとしている。「蕎麦の話を聞きに来ました。今からいいでしょうか」「ああいいですよ。ついて来なさい」とまたすたすたと歩いていかれた。何か不思議な気分になった。

 西森さんは、我が家に続く三十度を超える坂道を軽々と登って行った。もう夕方なので家の前の日当たりのいいところで写真を撮らせていただく。「わたしゃ手が大きいの。ほれ」と大きな手を見せてくださった。「そこのイチゴやうずら豆、それにほうれん草にとうもろこし、全部あたしが植えました」 よく手入れされた畑のイチゴには、白い花がたくさんついている。「さあどうぞ上がってください。一人暮らしだから構わんよ」「今まで病気一つしたことはないよ。大正7年生まれだから今年で85歳になりました」「どうして蕎麦を食べたかて?」 西森さんは小牧で生まれここで育った。「そりゃ米がない。昔は子どもが7人も8人もおったでしょう。家族みんなでご飯代わりになって腹一杯食べられるといったら蕎麦しかなかったわけ。蕎麦ずしと言ってね、野菜を一杯入れて味をつけ、打った蕎麦を大きめに切って入れる。親から蕎麦ずしを食べさせられて私たちは大きくなったんだよ」 小牧に電気が来たのは西森さんが小学校一年生の時。それから精米所ができ米が食べられるようになったという。

 「天気がいい日に打ったのと、雨の日に打ったのとでは出来上がりが違うよ。押しがうまくいったときは粘りがあるからね、長くてきれいなのができる。水が多いとね湯がいたときにぐじゃぐじゃになるよ」「だしはさば節でとって味は味噌でつける。そうすると蕎麦が柔らかくうまいよ。醤油の汁は蕎麦の舌触りが固くなって好きじゃない」 西森さんは身を乗り出すようにしてはきはきと質問に答えてくださる。「あなたが来ると分かっておれば、蕎麦を打っていたのにね」「今日はそまんけと言うてね、直ぐ食べられる方法があるから蕎麦粉を持っていきなさい」帰り際できがいいという今年の蕎麦粉を袋に入れてくださった。蕎麦粉を椀に少しとりたぎった湯を注ぎながらこねてみた。西森さんが言うそまんけができた。ぷーんと蕎麦の何ともいえない匂いがする。だし汁につけて食べる。その昔主食のようにして食べたという蕎麦の力が、体中にみなぎってきた。名人打ちたての蕎麦きっと食べに行きますからね。


の幸ちゃん

「浮来亭100号、おめでとうございます」本当に今までの努力!スタッフの方々の目に見えぬ御精進があられたと思われます。(200号を目指して)「想い出の温泉」あのニィールトンがブラジルに還る前に、山川の砂蒸し温泉に行ったのです。指宿の物程、ハデではないけれど、穴場的存在ですね。近くに又、温泉も出来上り、食事も出来ますので、行って見て下さい。 「私の近況」来年一杯で退社(停年)との事。五年後の予定が…。家周囲を片づけ、日本一周でもと考えているが、どうなる事やら…。日給も減ったので、生活をきりつめないと。仕事、見つからなければホームレスも考えています。 「浮来亭」100号記念。「吉野四代生活記」@生誕から高卒迄。小中学の頃は友達も居ず一人で通学していた。大人しい性格で真面目との評判だったみたい。両親が夫婦ゲンカばかりしていた記憶が有る。父は子供に興味を示さないし、姉兄も友達と遊びに行って、私はいつも一人だった。上京の日も家族だけで、友人も先に上京しており、一人身がしみつき、上京して彼女が居ても「冷たい」と言われた。私は子供の頃、人間形成が出来ていないと悩んだ。Aさて東京から帰って来て、母の実家でデザイン会社みたいな事を二年位していた。この頃は鹿児島も遊ぶ所なくて(?)、九州内の温泉へ行ったり、日本一周していた。「想い出の街角」もうからない仕事をするよりと、会社勤めし、笹貫近くの寮に入った。地方から新人が入寮して来たり、出て行ったりと色々と有った。谷山方面で飲む事も有り、退社後も近くのアパートに住んでいたが、車のローンが有った為、吉野・母宅へ又、還る事にした。吉野B母・兄とも相談して新築する事に。冷媒の仕事から牛乳配達へ。この頃、指宿の人々と知り合う事になる。畑を良く作り、休日は友人とバーベキューを食していた。腰痛で火災。その後、滑川アパートへ。吉野C今のプレハブ生活へ。 「浮来亭」200号を目指して「想い出の温泉」指宿に行った時、必ずと云っていい程行った「東郷湯」ちょっと温いけど、じっとガマンしていると腰痛に効きそうだ。滑川温泉に棲み出してから内風呂の狭い所は嫌いになり、温泉ばかり行く様になった。 「3月22日、晴れ」余りに天気が良く、このままドライブに行きたい気分だった。土曜も殆ど仕事だったので、久々の休み。メガネを作り換えたので、取りに行った。遠近両用だ。いよいよ私もトシを感じる。庭の桜んぼや昨年購入した桃も花咲き、色気のない畑に色どりを添えていた。思い切って小さな竹や草を取り、大きなゴミ袋3つにまとめた。
 …さア、春です。浮来亭も200号目指して行きますか。私も2年後は、どうなっている事やら、先も想いつかない始末です……。

土のにほいのする草々のやさしさ
手づくりの人と心の織物展
本草木染手織紬 純手織協会本場大島紬 重要無形文化財結城紬
現在 うしなわれつつある 心から心に伝えること
自然にもどることを 原点とした
今に伝える織物を展示いたします

日時 2003年5月10日(土)・11日(日)10:00〜17:00(11日は16:00迄)
場所 指宿市COCO橋牟礼(2F特別展示室)入場無料
主催 湯富宿手織工芸
後援 本場大島紬純手織協会
問合せ先 湯富宿手織工芸 上原達也
〒891-0401 指宿市大牟礼2−1−5 0993-24-4336

     蓮太郎

 二日酔いで目が覚めた。顔を洗い、風呂に入ったらしゃんとした。自転車で仕事に向かう時、知らない人だったが挨拶をした。気分がよくなった。日々平安っていいなと思った。


 区切りの100号になりました。
あらためて、浮来亭を愛して頂いた方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。



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