1号 日の出

平成七年 元旦 午前七時二十八分
 太陽にも表情があった
照れ臭そうに笑顔で顔を出した
暖かい朝だったので
人々は早々と車から出て迎えた
出た瞬間、人々は緊張感から解きほぐされた
笑顔に笑顔で迎える人が殆どだった

『浮来亭』を発刊して遊ぶ事にした
浮来亭には、深い意味はない
毎週金曜日に飲みながら
語っているのでフライデー
色々な漢字を当ててみて『浮来亭』とした
 語って、残らないのも良い
語って、残すのも良いのではと残す事にした
 見た事を見たままに
聞いた事を聞いたままに
思った事を思ったままに表現したいものだ


2号 菜の花マラソンの表と裏

 菜の花マラソンを走るようになって三回目である。「頑張って!」と、よく声を掛けられ、少しいきがっていたようだ。
 体育館の横では、市役所の方が一心不乱に薩摩芋を準備していた。(写真)
 沿道では、多くの方が声援を送ってくれた。何時間位応援してくれてるのだろうかと思う。
 駐車場係りの方に聞いたら、朝の5時から来ているそうだ。
 まだまだあるようだ…。

 来年も走らせてもらいます。でも心で『そっちこそ頑張って!』と言いながら走ります。


3号 無し


4号 『三月』

 三月と言えば、年度末ということになる。年度末と言えば、異動があり送別会がある。送別会に出席して何時も思うことであるが寂しい。別れるということを思うからだろう。特に船の見送りは涙が出ることもある。日本人全般に言えるようだが、歓迎会より送別会を重視するようだ。入学式より卒業式もしかり。
 でも、本当に寂しいことなのだろうか。寂しい会でないと、送別会とか卒業式にふさわしくないように思うからではないのだろうか。
 いや、やっぱり寂しく思う。一時的にせよ、会えなくなる。会えないと思うから寂しく感じるわけだ。
 息子が宮崎の学校に行ってから一年になる。息子のことを考えた時とか、息子が宮崎に帰る時には寂しく思う。しかし、他のことを考えている時は思わない。
 両親が亡くなって久しい。あんなに悲しかったのに、今ではさほど思わない。
 それを思うと人の気持って変わることがよく分かる。「あの人の気持はよく分からない」と腹が立ったが、これからは「人の気持は変わるのが当たり前だ」と思うことにする。
 気が楽になった。

 先日、面白い経験をした。先生方の送別会に出席した時のことである。
 よく知っている先生から殆ど喋ったこともない先生もいた。礼儀として一通りお別れの挨拶をして回った。
 後日、殆ど喋ったことのない先生から転勤の挨拶状を頂いた。返事を書いた。つまり、送別会で知り合い、知人となったわけである。
 どこに出会いがあるか分からない。
 おもしろいものである。


号 「四月に思うこと」

 「風人間」
 四月になると異動があり、指宿に移ってくる人がいる。学校の先生、銀行の方、警察の方、合庁の方etc…。定期的に異動の方はもちろん、個人的にも転入してこられる方もいる。私も18年前に、個人的に来た。
 来た当初は毎日の温泉、山と海、おいしい空気、お墓のきれいないっぱいの花といろいろに感動したものである。今は当たり前になったので感動はしない。
 よそから指宿に来たのだから『よそ者』と言うことになる。でも『よそ者』と言う言葉のイメージは決していいものではない。
 そこで提案したい言葉がある。『風人間』である。
 「風土」から考えられる。辞書を見ると【風土】その土地の地勢、気候、人間の文化的環境。と出ている。
 風と土だから、指宿で生まれ育った人を土と言い、よそから来た人を風と言いたい。土は風の、風は土の良さを知り、うまく調和してほしいものである。特に古い土と新しい風を大事にしてほしい。

 「総会」
 四月になれば年度変わりで各総会の時期である。
 総会で思うことは儀式だなである。まあ執行部にとってはスムーズにいくほうがいいのは当たり前であるし、会員にとっても長引くのはいやに違いない。そこでほとんどの総会というのはシャンシャンで終わる。
 総会資料が整っていて、会の内容、お金の動きがハッキリしていれば、それはそれでいいと思う。しかし、時に質問したいことがあっても、執行部がベテランであったり、会が重すぎたりして質問出来ない時もある。別に執行部を責めているのではないのに質問するとムードが堅くなる。会の内容をよく知りたいから質問したいのにできないと益々会員としての自覚が薄くなる。そんな時に議長さんが大事なことがよく分かる。質問、意見がたくさん出て審議されても、そんなに時間がたっていないし、会員の目の輝きが違う。さらには協議の決定事項に皆が納得する。
 総会だけでなく、どんな会でも思ったことを言えるいい会をしたいものだ。
 総会資料を充実させて、いい議長を選びたいものである。


6号 「五月に思うこと」

 『子供の日』
 五月五日は子供の日。正式には端午の節句と言い男の子の日である。
 以前は鯉の吹流しをよく見たものだが、最近はあまり見かけない。
 そう言えば、三月三日の桃の節句の鄙かざりも最近見た記憶がない。
 なぜだろうか?
 自分のことで考えてみた。子供は男の子が二人いるが、鯉のぼりは持っていないからもちろん飾ったことがないし飾れない。私はズボラでめんどくさがり屋なので仕方ないかと思っていたが、どうも私だけではないらしい。五月晴れの空を気持よさそうに泳いでいる鯉を見るのは決して嫌いではない。
 どなたか端午の節句の良い所、桃の節句の大事な所を教えてください。
 もう一つ。
 子供の日の夜に毎年思うことがある。
『今年も何処かに連れて行ってやれなかったな。来年は連れて行ってやろう』である。そう思っているうちに長男は来年成人式で、次男は高校生。ごめんなさい。でも、幾つになっても私にとっては子供であるから、いつか?一緒に旅したいと思っている。
 私は去年子供でなくなって少し寂しい。

 『母の日』 
 母よ!言いたいことをはっきり言うな!
 父よ!言いたいことをはっきり言え!
 これは今ベストセラーになっている『父よ!母よ!』という本の冒頭に出ている言葉である。なるほどなと納得した。
 我が家でも毎朝、女房と息子がやりあっている。こっちが心配するほどの戦争であるが、本人達はさほど深刻ではない。30年前の自分を思い出して苦笑いしてしまう。こんなにもけんかをするのに、何故仲がいいのか不思議でならない。
 すべてとは言わないが、『母よ!言いたいことをはっきり言うな!』にあるような気がする。お互いに本音でぶつかっているのだろう。こっちも本音(言いたいなと思っても、言わないほうが良いのではと判断)で接しているつもりだが、本音と思われていないのかもしれない。
 これからは出来るだけ言いたいことははっきり言うようにしたい。

 朝から雨が降っている。今日は暇そうだなと、店で自分のワープロを打ち始めた。(自分のワープロというのは数年前に初心者用の19800円で買ったワープロである)
 二週間ほど前に知人が、『忙しくて、なかなか使う時がないから貸そうか?』と言って結構立派なワープロを貸してくれた。
『そのかわり…』
ちょっと緊張が走ったが、『時々、会の資料をワープロで打ってくれないか?』
『いいよ』
で契約が成立した。
 立派というのは性能だけでなく、見掛けも貫禄があり、図体が大きい。大きいから店の机に置くわけにはいかず、住まいの方に置くことにした。
 機種が違うので最初は戸惑ったが、大人のおもちゃを与えられたようで夜な夜な遊んでいる。女房は息子の弁当作りで朝早く起きるので、早くから床につく。
(最近はそれが不満でなくなった)
 夜の孤独な時間をいつもは本かビデオでこなしていたが、それもワープロのために時間が削られてしまったし、むしろ時間が足らないくらいになった。気合いを入れるということは解説書をよく読み、機能を一つ一つ習得するということである。
 一つ階段を上るともう一段登りたくなり登る。途中で躍場もあるだろうが、何段あるか楽しみである。

 自分のワープロを打っている時、立派なワープロの持っている機能も試してみたくなりやってみたら、意外といろいろな機能を持っていることが分かった。嬉しくなり、改めて解説書を見始めたら、これも出来る、あれも出来るとびっくりした。たったの19800円のワープロなのに(ワープロに失礼)立派なワープロに少ししか負けないくらいの機能を持っていた。
 さらに(これは本当には言いたくないほど恥ずかしいことなのかもしれないが)フロッピーデスク(外部記憶装置)が付いているではないか!何年間使っていたかは定かではないが、あれ程必要性を感じていた機能があったとは天にも上る気持である。
 嬉しさが恥かしさに勝り、声を大にして回りの者に喜びを表してしまった。
 もともと機械類には弱いと思っていたが、これは余にもひど過ぎた。
 でも、これを良い経験として、これからは解説書を一生懸命に読むことにする。
 一つ心配なことができた。それはこの文がワープロをを貸してくれた方の目に触れることである。
 目に触れないことを願うしかない。


7号 「六月に思うこと」

 『父の日』
 私だけなのか、それとも大体の人間がそう考えがちなのか、自分を中心(利己ではない)に考えてしまう。
「父の日」に父のことを考えた。父は5年前の暑かった夏が終わりの頃の台風の日に79才で死んだ。死に目に間に合わなかったというより、間に合わせなかったように思う。訳は幾つかあるが今日は触れない。死んでしまったから、会いたいと思ってももう会えない。会えないと思うと寂しいと思うが、普段父を思い出す時はそうは思わない。私のイメージの中では元気に生きているからである。
 私は父が37才の時に生まれているから、父が今の私の年の時は、私は10才だったことになる。物心がついてから父に怒られたという記憶は殆どないが、一つ覚えていることがある。丁度10才頃だった時に隣のうちのレンガ造りの塀に登った時である。近所の遊び仲間数人で畳に座らせられて説教された。でも悪いことをして怒られているという感じではなく、ケガをしたらどうするんだ、ケガはするなと説教されたように覚えている。
 怒られた記憶ではなく、もう一つ何時も思い出すことがある。
 それは弟が交通事故で死んだ時のことである。数日(数ヶ月かもしれない)悲しんでいた。
 今、私は二人の息子がいるから私も「父の日」の父であった。息子達と接していて、どんな父親をやりたいかと考える時に何時も父がちらつく。「こうしなさい」「ああしなさい」とは殆ど言わなかった父である。私も余り言わない。口では言わないが態度では言っていたし私も言っている。
 そう思うと口うるさくなくても厳しい父だったし、私も厳しいのかもしれない。
 私は成人してから父の死ぬまでの22年間で父(もちろん母とも)とは合計でも30日間位しか会っていないが、息子達と接するときに父のことがよく思い出される。つまり実際に会った回数よりもずっと多くに頭の中で会っているのである。そう思うと私は今でも父に教育を受けているようである。
 父と私(息子)、私(父)と息子達をオーバーラップさせている。
 両親がいなくなった今、はっきり言えることがある。両親が好きであり、両親より長生きできたである。


8号 「七月に思うこと」

 『ラジオ体操』
 夏休みに入ると楽しいことがたくさんあるが、その中の一つにラジオ体操がある。私は普段は9時過ぎに起きるので、ラジオ体操が始まると3時間早く起きなくてはいけないから、3日間くらいは時差ボケで辛い。でもこの40日間(ここ2年は前後の20日間)の早起きがいい。
 子供達は半分は寝ているような感じで集まってくる。大きな声で『おはよう』と声をかけるとニコッと笑ってくれる。ラジオ体操が始まってもまだ半分は寝ている子が多く、ダラダラやっているが可愛いものである。一生懸命にしている子は気持がいい。終わりに近づくと殆どの子がやりながら移動し始める。目標は印鑑を押してくれるオジサンである。その時は完全に目が覚めているようだ。その素直さが本当に楽しい。
 私の子は上が大学生で下が高校生になったので、一緒に遊ぶことが少なくなった。ラジオ体操を利用して地区の子と遊べるから、有り難く思っている。
 夏休みくらいゆっくり寝させたいし、寝たいという声も聞かれるが、ラジオ体操をこよなく愛しているものもいる。
 なくならないことを切に願う。

 『いぶすき温泉祭り』
「踊るアホーに見るアホー、同じアホなら踊らにゃソンソン」と言われて、40年近くお祭りで騒いできた。
 生まれ育った静岡(天竜市)で山車を引き、指宿ではんやを踊り、みこしを担いでいる。声を潰してまでも騒ぐのが楽しい。
 錯覚していたようだ。祭りは参加して騒ぐのが楽しいとばかり思っていたが、どうもそれだけではないようだ。『花火がきれい』『夜店で買うのが楽しい』『踊りを見るのが好き』と、主催者側になったので聞こえてきた声である。
 いぶすき温泉祭りもあと2回で50回になる。祭りが大好きなのでそれまでは係っていたい。
 そこで気になることがある。『年に一度の祭りじゃないか』と言える祭りになればということと、各地区で行われている「六月灯」が指宿の祭りなのではと思っている。
 でも、やっぱり自分が楽しめるような祭りになればいいなと思っている。


9号 「八月に思うこと」

 『夏の甲子園』
 8月に入ると阪神の甲子園で高校野球が始まる。
 甲子園でプレイすることを夢見ていた全国の高校球児の中でも、選ばれた者しかプレイできない。6月下旬から県予選が始まり、トーナメント方式だから負ければそこで終わりである。最初から負けてもいいなどとは(中にはいるかもしれないけど思いたくない)思っていないから一生懸命プレイするし真剣である。
 さて、いよいよ甲子園であるが、県予選と違い全国ネットで放送されるから、かなり多くの人から注目されるわけである。注目されるから緊張する。人間緊張するとミスをしやすくなることもあるが、しばしば自分の持っている以上の力を発揮する。だからいいプレイが数多く見られ、見ていても気持がいい。さらには前述したように負けたらそこで終わりであるから真剣である。その気持が勝負がついた時に表われる。勝ったものはこれ以上の喜びはないというように喜び、負けたものはまるで身近なものが亡くなったかのような悲しみを表す。
 この場面を見ていて感動しないはずがない。特に日本人はそうだと思う。
 4000以上のチームで、最後まで負けて悲しまないチームはたったの一チームしかいない。『夏の甲子園』という悲劇のドラマだったのだ。

 『お盆』
 お盆と言えば墓参りである。『お墓のきれいな花』で有名な指宿に十八年住んでいても、年に片手も行かない私でもお参りはする。それがお盆かもしれない。自分の家の墓だけでなく親戚のお墓をお参りすると血の繋がりの系図が分かる。でも、それはどちらかと言えば男の系図がよく分かるようだ。つまりお墓というのは『家』が基本にあるようだ。私は娘がいないから考えなくていいが、娘のいる人は一緒の墓に入りたいと思わないのかな?女房はどうなんだろうか?親とも一緒にいたいと思わないだろうか?人のことより自分の墓のこともあった。私は何処の墓に入りたいんだろうか?まだまだ思うことが沢山あるが紙面が足りない。


10号 「九月に思うこと」

 『運動会』
 とんぼが舞う頃になると色々な運動会が始まる。
 保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、地区、校区、市、その他会社とかもある。毎週の日曜日にどこかで行われているように思う。
 その中で見に行きたくなるのは小学校以下の子供たちの運動会である。
 無邪気にそして一生懸命に楽しんでいるからだ。
 声援する回りの者たちも子供たちにつられて真剣にそして無邪気になっている。
 一生懸命することがこんなに楽しいんだと教えられるようである。
 先日、ある運動会に呼ばれて困ったことがあった。何人かに呼ばれていたし、自分でも見に行きたいと思っていたので出かけた。ところがお弁当の時間になり、3、4箇所を回るのも辛いが1箇所だけはより辛い。結局用事を思い出した振りをして帰ってきた。おかげで午後の部は見ることができなかった。

 『敬老の日』
 私は地区の役員をしているので、何度か9月15日の敬老会に顔を出させて頂いている。湊上地区には70才以上の方が90名以上おられるのに出席される方は30名ほどである。体調の悪い方がたくさんいるのではと思っていたのがそうではないらしい。
 以前は還暦を迎えた方から老人といっていたのでしょうか?今は70才未満も方は「老人なんてとんでもない」と思っている方がほとんどではないでしょうか。大賛成です。『年を取ったから大事に』を人に決めてもらうなんてまっぴらです。敬老会のメンバーに入るのは年齢ではなく自己申告がいいのではと思われてなりません。『人生を長く生きたご褒美に、年に一度くらいハメを外して騒ぎましょうよ』という会なら入りたいです。こんなことを思うのも、60代はこんなに生きたいな、あんな70代もいいな。80代になってもあんな元気なんだと考えるようになったのも……。


11号 「十月に思うこと」

 『食欲の秋』
 秋になると「○○の秋」の活字が目に付きます。日本人にとって、一年のうちでも秋という季節が一番好きで過しやすいことが分かりました。
 その中でベスト3を上げれば『食欲』『読書』『スポーツ』となるのでは。
 私は47才になったのに、まだ息子達に負けないくらいよく食べます。毎日の二度か三度の食事が楽しみですし、大変美味しく食べています。
 私の子供の頃の食事のことを思い出して見ました。朝はご飯と味噌汁で昼はあまり覚えていません。夕食はおかずが各人に一品で、あとは盛ってあるおかずがあったように思います。
 六人兄弟で育ったせいか、生存競争が激しく、盛ったおかずを兄達に負けないように早く食べました。早く食べないと無くなるからです。
 それと、少ないおかずでご飯はたくさん食べました。肉料理なども滅多にしか食べなかったし、スキヤキに牛肉を使うことも家を出るまで知りませんでした。風邪を引いた時に、身体を温めなくてはとラーメンの出前を取ってもらって食べたことも嬉しかった思い出です。果物なんてとんでもないです。お客さんが来た時の残りとか、お客さんから頂いたときくらいしか食べられませんでした。
 こんな事を思い出して書けば、当然「今の子供達はおいしいものがいつでもたくさん食べられるから幸せだ」と続くと思うでしょうが、私はそうは思いません。逆にかわいそうだと思います。なぜなら、おいしいものをいつでもたくさん食べられることが当たり前になってしまい、食べる楽しみ、喜びが感じられなくなってきているように思えてなりません。
 さらに、栄養とか健康のことを考えてこれを食べなければいけないという物まであります。
 他に楽しいことがあるのでしょうが、毎日の三度の食事を楽しく食べられない子供達がかわいそうな気がします。
 そう思うと、食べることをおいしく楽しくさせてけれた(せざるを得なかった)両親、時代(テレビが出てくる前)に感謝したいと思います。
 欲しいものがたくさんあることが喜びに繋がることもあることが分かりました。


12号 「十一月に思うこと」

 『文化の日』
 十一月の第二日曜日に、「市民文化祭」を見に出かけた。市民会館で行われている演芸部門は今までに何度も見ているのだが、体育館の展示品はあまり見たことがなかった。最近カメラを持って歩くことが多くなり、ほんの少しだが写真に興味を持ち始めた。そんなわけで今回は写真を中心に体育館に足を向けた。驚いたことに、市民のたくさんの方が色々な部門に出品されていた。知った人の作品の前でしばし立ち止まり、その方の顔を思い浮かべて楽しんだ。
 十一月三日は『文化の日』である。他の祝日に比べて陰が薄く感じていたのは私だけなのだろうか?『母の日』には母を思い、『体育の日』には体を動かしたくなる。『文化の日』には何をするのだろうか?今まで考えたこともなかった。
 気になったから「文化」を辞書で引いてみたら『人間が学習によって社会から習得した生活の仕方の総称。衣食住・学問・芸術・道徳・宗教など物心両面にわたる生活様式と内容とを含む』とあった。
 なるほど!少し偉くなったような気がした。まさに「市民文化祭」は理に適っていたわけである。多くの人がそれぞれの生き方にこだわりをもって生きていたようだ。あの人がこんな作品を!こんな生き方を!と感じるはずであったのだ。
 今までは文化人っていえば凄く偉い人と思っていたのだが、どうも勘違いしていたようである。すべての人が文化を持っているようだ。違いといえばこだわりの濃淡。強弱ではないだろうか。
 楽しく生きることにこだわりをもつことが文化のような気がしてきた。じゃあ、楽しい事って何だろうか?人それぞれ違うでしょう。私はここ数年、楽しく生きる時間が多くなったと自負できる。種を明かせば日記だと思う。書き始めて九年。今年は四種類の日記を書いている。日記を書くことにより、自分をより知ることができた。特に、したいこと・楽しい事が見えてきた。
 あと少しで新年を迎えます。日記を書くには絶好のチャンスです。ぜひ書いてみて下さい。(日記とは毎日の記録ですから、文にこだわらなくてもいいのでは。食べたものとか、あった人とかをメモする気持でどうですか)


13号 「十二・一月に思うこと」

 『年賀状』
 正月の楽しみの一つに年賀状がある。
 十二月の始めに、今年は早目に自筆でたくさんの年賀状を書こうと思う。まだ時間はあるなと数回思っているうちに二十日過ぎになってしまう。自筆を諦める。次に枚数を削り、やっとポストに。
 元旦、届いた年賀状をおもむろに見る。しまった。今年来なかったから来年はいいかと出さなかった方々から数枚来ている。それも、目上の方のもあるから赤面してしまう。逆もあるが…。
 それぞれの個性のある年賀状を頂いた時はすこぶる嬉しい。
 姪との会話を思い出した。
「たくさん来てよかったね」
「だって、たくさん書いたんだもん」
 今度は頑張ろうと思う。


14号 

 昨年、甥と姪の結婚式があり、二度ほど出掛けた。私は静岡の出身で兄弟がそっちの方に住んでいるからである。そっちの方だから、滅多に会わない。私でさえ滅多にだから子供達は殆ど会わないということになる。それでは寂しいと思い、系図を作ることにした。私の親から線を引いていき、4世代ができた。私は7人兄弟だから、私側の従兄弟がたくさんいて、子供達はびっくりしたようだ。
 もっとびっくりしたことがあった。上に系図を考えたときである。10代前の御祖父ちゃん、御祖母ちゃんが1024人になった。
 さらに、20代前には100万人以上になってしまった。
 ひょっとしたら人間はみな血のつながりがあるのかもしれない。
 これからはなるべく、人の悪口は言わないようにしようと心に決めた。


15号

 テレビで将棋の生中継をしていたので見た。もともと将棋に興味を持っていたけど、今回は羽生名人が七冠王になれるかもということで力を入れて見た。
 しかし、画面は国会中継の静止画面を見ているようで全然変化がない。さらに、プロ棋士の解説者がいて解説はしてくれるのだが、プロ棋士らしくて炎々と喋るから退屈で仕方ない。
 私が将棋を指すときは大体20分くらいで一勝負がつくのだが、プロ棋士のときは一手がそれくらいかかるし、1時間以上もかかる時もある。
 その時も丁度、長考の最中だったようだ。最善の手を指すために長く考えるそうだ。
 才能ではとてもプロ棋士には勝てないが、長考の癖はつけたいと思った。


16号

 前夜のビールが丁度良かったのか早く寝てしまい、朝5時に起きてしまった。机に向かい
煙草を一服。実においしい。目の前のカーネーションが『どうしてこんなに早く起きたの?なにか用事でもあるの?』と聞いてきた。『いや、別にないんだけど…』『今から何をするの?』『別に…』
 このカーネーションは、1年前の私の話が良かったからと頂いた花である。1年前のことだし、そんなにお礼されるなんてと思ったが、遠慮なく頂いた。
 それで思い出したことがある。
 昨年の夏のことである。
「あんたにお礼をしたかった」とスイカを持ってきてくれた方がいる。聞けば、6〜7年前にその方の子供が迷子になり、私が家まで連れて行ってあげたようだ。そう言われるとそんなこともあったなと思うくらいのことだった。でもその時、少し気になる言葉があった。「ずっと気になっていてね。これで今夜からゆっくり寝られるよ」だった。『負担になる親切』もあるのかもしれない。そういえばこの花も逆にお礼以上の重いものがあるように思われてきた。肩が凝らないように、早く荷物を下ろさなくては…。


17号

 7時に起きた。今にも雨が降りそうな感じである。いつもはそんなに気にしないが、今日は雨は困ると思っていた。何故なら、頴娃町の『大野岳マラソン』に行くのにバイクで行こうと決めていたからである。帰りに降られるのはよしとするか、ということでバイクで出かけた。
 途中、「練馬」と「品川」のナンバーのツーリング中の4人と合流した。合流したといっても、別に許可を貰ったわけではなく、こっちが勝手に後についただけである。
 こっちはツーリングとはこんな感じなんだと楽しみながら走っているけど、連中はいやな奴だと思ったに違いない。へんてこなバイク(250CCだけど5万円)で、服装はジョキング用のジャージにリックサックを背負っている中年のオッサンが仲間のような顔をして付いてくるのだから。
 でも、いやな素振りは全然見せなかった。きっといい環境に育った人達なのだろう。
 もう一つ嬉しい事があった。信号で止まった時、連中はダンプの横をすり抜けて前に行ってしまった。こっちは腕が未熟だからそのままダンプの後にいた。信号が変わり連中はドンドン先に行ってしまった。諦めかけた時に、前のダンプが徐行を始めた。駐車灯を付けて窓から手を出し『先に行け』のサインを送ってきた。ツーリングの仲間と間違えられた事が少し恥かしかったが、有り難く好意を受けた。
 人間は弱い立場の人には優しいことがよく分かった。
 今社会で問題になっている「いじめ」は複雑なような気がしてきた。


18号

 マージャンを久し振りにした。最後にしたのが何時だったのか思い出せないのだから数年前に違いない。
 マージャンに誘われた一週間前からソワソワ落ち着かない。それもそのはず独り者の時は一周間に三〜四日くらい徹夜で遊んでいたし、自慢じゃないが時間が許す限り自分から終わりをお願いしたことがない。それくらい好きである。好きを通り越してキ印かもしれなかった。
 そんなだから、一週間は十分に楽しんだ。当日も、あと何時間でマージャンだと何度も時計を見た。午後八時と同時に店を閉めて駆けるようにして雀荘へ。今は自動になっていて牌を積まなくていいから楽である。最初の半荘(1ゲーム)は久し振りだったせいか、遠慮してたのか?上がれなかった。でも段々勘を取り戻し、終わって見ればまあまあだと自分を誉めてあげたい結果だった。
 でも帰り道がどうもおかしい。勝ったのに巨人が勝ったときのような喜びがなかった。マージャンをする前と、している時は本当に楽しかった。
 その夜はなかなか寝つけなかった。
 次の日の夜のことである。いつものように走りに行こうと思ったが、ちょっと疲れ気味だから今日はサボろうかなと思った。でもしばらく走ってないし、明日も用事があって走れないからと走りに行った。
 帰ってから風呂に入り、ビールを飲んだ。凄く美味しかった。
 その夜はグッスリと気持よく寝れた。
 どっちの方が楽しいのか分からなくなった。どなたか教えてください。


19号

 コスモスを咲かせたいですねと誘われて、出かけていった。
 場所はひばり保育園を少し下った二反田川で、以前菜の花を咲かせたところである。
 仲間の庭に生えたコスモス(3〜10cm)の苗を持っていき、そこへ植えるわけである。邪魔になる草を抜き、穴を掘って植えた。川に並行に2列のコスモスの苗がきれいに並んだ。一段落したのでお茶にした。
 日曜日の朝に少し早く起き、花にかかわるなんて事は今まででも数えるくらいしかなかったので、大変に気持が良かった。
 秋にコスモスが見られるからと喜んでいた。でも、それまでには何度も草を取りに来ないといけないと言われたが、コスモスのためなら頑張ろうと思った。
 煙草を吸いながらコスモスのことやら花のことを色々考えていて、気になることがあった。それは周りに生えている草のことである。コスモスの邪魔になるし、コスモスの敵だといって抜いた草である。草は悪いと思って抜いたが、なぜ悪いんだろうか?ひょっとしたら、人間が植物の世界の差別をしてるんじゃないかと思った。私は人間だから、人間を基準として考えるのは自然な気がするが、どうも気になって仕方ない。きれいな花を見るのが嬉しいし、そのために手を掛けるのも悪いこととは思わないが…。


20号

 温泉祭りが近づくと、いつもすることだが、警察署に許可申請のために何度もでかける。真直ぐに生きていない身なので警察署に行くのがあまり好きでない。『お前はこれこれの違反をしているぞ』と言われそうで、いつもオドオドしながら出かける。
 ラジオ体操のあと、少しウトウトしているところに警察の交通課の人から電話が入った。「道路使用許可のことで署まで来てください」と決して威圧的ではないが迫力のある声であった。寝不足で疲れ気味、最近は店も暇で、昨晩は大好きな巨人も負けたしと落ち込んだ気分で警察署に行った。窓口で「○○さんいますか。道路使用許可書を頂きに来ました」と言ったら、受付の女性が笑顔で対応してくれた。待つほどもなく担当の方が来てくれ、色々と親切丁寧に笑顔で教えてくれた。朝からの沈んだ気持も警察署を後にするときには忘れてしまっていた。現金なものである。これも二人の笑顔のおかげである。
 数日後のことである。温泉祭りの準備と祭りで顔が真っ黒に日に焼けた。女房が私の顔を見て「なに、その顔は!」「どうした?」「おでこに白い筋ができてるわよ」よく見ると白い筋は日に焼けなかったシワである。私はキズつき反省した。いつも笑顔でいると思っていたのにそうではなかったのだ。さらには、相手の人に不快な気持を与えていたようだ。


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