薩摩焼酎巡礼


 本坊酒造(株)津貫貴匠蔵

   加世田市津貫6594
  Tel 0993−55−2001
訪問日   平成16年10月24(日)
瓶詰めプラント工場
正面ゲートより入る。スケールアウトした建物は本坊酒造の象徴。
手造り蔵
右手前が今年完成した蔵。右奥白い壁が昨年完成した蔵。

  加世田市津貫は今をときめく本坊家父祖の地である。本坊酒造は明治42年本坊松左衛門が津貫で焼酎造りを初めて以来営々と鹿児島県の酒造業をリードしてきており、愚生の子供の頃7階建ての威風堂々たる近代的工場は誰疑うことなく郷土の誇りであった。(拙HP本坊酒造津貫工場もご参照下さい)

  しかしながら本社が鹿児島市に移り、焼酎造りが鹿児島工場及び知覧工場に集約されてからは、この津貫工場では瓶詰め工程のみで焼酎の仕込みは行われず、僅かにタカラボシ地酒(味醂に似た薩摩独特の醸造酒。冠婚葬祭の御神酒としても使われるが、薩摩料理には欠かせない調理酒。)が細々と造られていたことに、本坊フェチを自認する愚生は津貫を通る度に忸怩たる思いでもぬけに近い工場を眺めていたのである。

  昨近の焼酎ブームで、津貫工場が仕込み蔵を新築し、昔ながらの手造り甕仕込みの焼酎造りを再開するとの朗報が届いたのは一昨年の夏である。津貫工場に勤める永留さんから昨年の蔵開きに誘われたのだが、あいにくと都合が着かず残念な思いをしたのであった。
  今年も永留さんが「桜島年号焼酎2004年」を拙宅に持参下さり、再度蔵開きのお誘いを受けたので、当日参加予定のゴルフコンペをキャンセルし、精酎組特殊部隊長こだまさんを誘って津貫工場に乗り込んだ。

仕込み蔵1
 昨年完成した仕込み蔵。絵になる光景ですな。
  工場内は広大である。瓶詰め工場横の路地を入ると、通路の両脇に石蔵の建物が連なり、明治か大正時代にタイムスリップしたかのよう風情である。  
  左手前の瓶置き場は蔵開き飲食会場に変身し賑やかな笑い声が響いていた。

  右手前に昨年完成した白い入り口の仕込む蔵が二棟並んでおり、道路からガラス戸を隔てて中を観察は出来るようになっている。 この日は一般開放のためあいにくと仕込み蔵の中に足を踏み入れることは出来なかったが、板張りの清潔な床に仕込み瓶が奥の方までずらっと整列していた。

仕込み瓶新蔵の仕込み甕。保温の為アルミホイルが巻かれている。
芋蒸し器
 新蔵に設置された巨大な芋蒸し器。
 
  床の下は解放され通気と甕の温度管理を容易にしているようである。

  隣の今年完成した巨大な蔵は屋根が極めて高い。 コンクリート張りの床であるが、もちろん一般客は立ち入り禁止!(>_<) 宙に浮かせるように設置された仕込み瓶と巨大な芋蒸し器及び奥に蒸留機が並んでいた。。
  使用している甕の大半は明治時代創業以来の古式甕で、容量が約100L 程あり、現在74甕が稼働中とのことである。 
  一日当たりの仕込量は一次が2甕、二次が6甕、また仕込み日数は一次が6日、二次は芋掛け当日だけはタンクで均一な発酵を促し、その後甕に移し7日間程掛かるとのことである。

  1日の蒸留量はしっかり聞けなかったのだが確か25度換算の焼酎にして1500Lだったような・・・。(-_-?)

貯蔵蔵1
 樫樽貯蔵用の石蔵。
 
  仕込み蔵からさらに奥の方に歩いていくと、右手に「石の蔵から」のCMでお馴染みの石蔵群が目に飛び込んできた。 残念ながら未だ行ったことはないのだがウィスキー飲みの聖地スコットランドの酒造所を彷彿とさせる光景なのだろうか?(^_^;) アンティークな雰囲気が漂い、万国ノンベー共通の郷愁を誘う建築なのである! 

  大人の隠れ家石蔵購入の願望が激しく掻き立てられ、今後も宝くじによる一攫千金に活路を見出したいと決意を新にさせられた。(^_^;) 

貯蔵樽
 ずらりと並んだ樫樽。
  石蔵の中は薄暗くやはりヒンヤリとしている。 樫樽は二段になって蔵の隅から隅まで整然と配置され、洋酒工場も斯く有りなんと思わせる絶景が広がっていた。
  ここには440Lの樫樽が500個程保管されており、その内の300樽程が「石の蔵から」である。その他は麦焼酎「蔵の置き土産」なのだろうか? このような静かな眠りを誘う素晴らしい環境があらばこそ上品で深みのある味わいが生み出されると納得したのだが・・・、観るだけではね〜。(^^ゞ

  樫樽の中には昭和57年検定と書かれた物があり、「20年物の焼酎!(・_・)」と色めき立ったのだが、樽の検定年のことで内容の焼酎は2〜3年で抜き出しているとのこと。(^_^;)

  
貯蔵蔵2
 甕貯蔵用の石蔵。
  道路に戻ると左側の石蔵に案内の方が立っており、招かれるままに中へ・・・。ここは甕貯蔵蔵で、「甕幻」の原酒が貯蔵されている。
  石蔵の中は中二階構造になっており、上階に昇ると板張りの床に容量約1000L貯蔵瓶が50個程整列していた。 試飲用の柄杓を目を凝らして探したのだが、残念ながら見当たらなかった・・・。(^_^;)

  階下は空気が効率よく対流し湿度温度を均一に保つように甕は地面から浮かして設置されている。
  この石蔵で1〜2年間熟成の後「甕幻」は瓶詰めされる。
  
甕貯蔵1
 貯蔵瓶。残念ながら試飲は出来なかった。(^_^;)
甕貯蔵1階
甕は通気性を保つように設置されている。
  















  
蔵全景
工場内メインストリート。小樽運河沿い倉庫群のような趣がある。

  
  工場敷地最奥部では、一般の方々が巨大な芋洗い桶を車座に囲んで和気藹々と芋切り体験中であった。
  さらに左奥の通路沿いには恐らく使用されてないと思われる原酒タンクが野晒しされていた。

  見学を許された場所だけを観てきたのだが、広大な敷地に焼酎造りの施設が整然と配置されており、何かしら巨大な焼酎テーマパークに迷い込んだような夢想状態であった。 映画のセットになりそうな趣のある道を元に戻って、昨年完成した仕込み蔵前の蔵開き飲食会場に腰を落ち着けた。 
 

 蔵開き飲食会場。奥で蔵人がせっせと肉を焼いていた。
  

  丁度昼時で、近隣の善男善女が宴会さながらのように蔵開きを祝い打ち興じていた。本坊酒造社員の方やパートの方々が、焼き肉、おでん、焼きそば、ツケアゲ、モツ煮及び焼き物を作り、しかもテーブルで給仕までして下さり、何と無料!(・_・)
  さらに「貴匠蔵新酒」「貴匠蔵」さらに「桜島黒麹仕立て」それぞれのお湯割り焼酎サーバーが鎮座し、しかもこれも飲み放題!
\(^O^)/  
  新酒は確かに華やいだ味わいである。ガス臭に反応する口腔粘膜もまた醍醐味の一つである。 しかし通常酒のブレンドされ落ち着いた深みのある味わいも捨て難い。まあ兎に角何でも旨いのである。(^^ゞ

特殊部隊長焼酎運搬す
焼酎もお変わり自由。自然に顔もほころぶ。(^_^;)
  ただ酒となると死に物狂いで飲まないと罪悪感を感じるのは焼酎ノンゴロに共通する習い性なのだろうか、あちこちで楽しげで賑やかな会話が花開いている。もちろん、我々も精酎組の名誉に掛けてゴイゴイ飲んだのだが、知った顔もチラホラ見かけるので、真っ昼間からずんだれる訳にも行かず・・・。(^^ゞ

  途中、永留さんが我々のテーブルに来られた。 本坊フェチとしては、「おはら」は我々加世田人に刷り込まれた芋焼酎の原点であり、伝統的なラベルは比類無き秀逸さであることを告げ、本坊酒造の代表銘柄として復活させて欲しいと懇願する。 焼酎ノンゴロの原点回帰の悲願が僅かでも造り手の心に響けばいいのだが・・・。(^_^;)
社長と共に
中央が本坊修社長。右端が永留さん。

  永留さんが本坊 修社長を紹介して下さった。社長は松左衛門から数えて3世代目に当たり、年の頃は60少し過ぎの温厚篤実な紳士である。 そして羨ましい程スリムな理由を尋ねると、ここ数年来ジョギングが趣味で一月に500kmは走ると豪語された。 国内各地のフルマラソンはもとよりホノルルマラソンにも出場されたとのことで、記録もなんと4時間を切るらしい。(・_・) こだまさんとは菜の花マラソンで覇を競ったことになるらしいが、もちろん当人同士はこの日が初対面である。(^_^;)

  さらに、「津貫屋」を販売している本坊商店の本坊松一郎社長とも久しぶりに遭遇し話が出来た。 これから明治蔵の新酒祭りにも顔を出さなければと焼酎も飲まず慌ただしく席を立たれた。 相変わらず忙しい人である。(-ー;)

  蔵という焼酎ノンゴロにとっての聖地で、石蔵を吹き渡る薫風を頬に受けながら飲む焼酎は格別である。 そして至福の一時は瞬く間に過ぎ去り、周囲には客が一人もいなくなってしまった。 なんと2時間以上も痛飲したことになる。(^^ゞ 甲斐甲斐しく給仕をして下さった方々も徐々に店仕舞を始めたようなので、後ろ髪を引かれながら蔵を後にした。
  広大な敷地に伝統が息吹く薩摩焼酎の故郷津貫! そして加世田の焼酎ノンゴロの誇り本坊酒造!
 子供の頃に抱いた憧れのまま、これからも鹿児島のいや日本の焼酎業界のリーダーであり続けて欲しいと切に願っている。 お世話になった皆さん、本当にありがとうございました。


   
表紙 焼酎の部屋 薩摩焼酎巡礼 本坊酒造屋久島工場伝承蔵 大石酒造