加世田脊梁山地を歩く ー蔵多山登山ー
      
                     平成13年12月9日(日)

  
行程図
行程図。 拡大地図はこちら →
  
  自宅から遙か彼方枕崎市境にそびえる蔵多山(475m)に登頂しようと、舞敷野〜玉虫野〜東山〜鉄山〜蔵多山〜内山田〜サザンウィンの行程で、加世田市と川辺町境南北に連なる所謂加世田脊梁山地を歩いた。

  自宅前で大げさとも思える念入りな準備運動の後、行動食の干しブドウと焼酎のショケの水溜一口包装漬け物を購入のため、ピコ食品館に向かう。
  干しブドウがなかなか見付からずに思いの外買い出しに手間取る。

  10:30、食品館出発。 
消防署前から向江を通って舞敷野に向かう。 途中御座屋敷団地の手前で蜜柑を一袋100円で売っており、食指を動かされたのであるが、荷物になるので断念。(^_^;)
しかし、この団地周辺はつい20年程前までは人家は全くなく、タヌキの棲家のような所だったのだが、団地が住宅でいっぱいになるとは・・・。 まあ、周り500m四方には人家は全く無く、陸の孤島のような団地には違いないが・・・。(^_^;)
笠沙宮跡
笠沙宮跡。整備され公園になっている。

  11:02、舞敷野笠沙宮跡到着。
笠沙宮邇邇芸命(ににぎの みこと)が日本で最初に宮殿を開いた場所である。 宮殿は後に益山宮原の竹屋神社横に移される。 前の道路沿いには「日本発祥の地」との石碑も建立されている

  舞敷野は加世田小学校校区では最も遠距離にあり、大人の急ぎ足で市街地から30分かかる。 小生小学生時代はものすごく辺境の地のイメージが強かった。
  聞く所に依ると、この地は旧士族(と言っても郷士だろうが)が多く、学区割りの時に平民ばっかりの川畑小学校を嫌い、加世田小校区になったらしい。

 ここから玉虫野に向かうのだが、大きな車道を進みながら、道路端で休んでいる老人に玉虫野への道を聞いた。
 
竹屋ヶ尾登山道入口
中央の山が竹屋ヶ尾。
 
玉虫野の誰の家を探しているかと訪ねられたので、本日の行程を話すと、信じられないとばかりに呆れた顔をされた。(^_^;)  進んでいる道は最終地サザンウインへ続くらしく、いきなり終わっちゃってどうする・・・などと自らに突っ込みを入れながら、引き返し細かい路地のような道に入る。

  10分程で玉虫野に着いた。 ここは家が10軒程散在する小さな集落である。 
  集落入り口付近に竹屋ヶ尾への登山口があった。 この山は木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめの みこと)が火遠理命(ほおりの みこと・・・山幸彦)、火照命(ほでりの みこと・・・海幸彦)等の三御子をお産みになった場所で、加世田市街地から東方面では一番目立つ山となっている。

  ここでも道は複雑に入り組み、野良仕事をしている老人に東山方面の道を尋ねる。

東山上集落
東山上。のどかな山里である。

  11:52、東山上到着。 
東山は下から上まで結構広い集落である。 しかし、廃屋が目立ち道路にも人の姿が見られない。 こんな山奥に何故人が棲んでいる?と不思議な気持ちになる。 僅かばかりの棚田と林業で生計を立てていたのだろうか・・・?瓦葺きの家が増えた以外は、貧しい薩摩の里の風景は今も昔もあまり変わらないような気がするが・・・。
  ここらも加世田川源流地帯の一つである。
  この道路を真っ直ぐ東に進むと川辺町勝目である。

尾根伝いに南に進む道路は狭くなり、大型車の離合は困難と思える程、道幅は狭く急勾配となってくる。

田仁谷手前から蔵多山を望む
東山の茶畑から蔵多山を望む。

  町境の林道を歩くと頂上にテレビ局のアンテナが林立した蔵多山が目の前に現れてくるが、まだ大分距離がありそうである。 
所々左眼下に川辺町大丸地区が見える。

  鉄山瀬戸という4軒ぐらいの集落でジョッギングしている人と出会う。 舞敷野から路上を動いている人を見たのは初めてで、道路端で野良仕事をしている人も僅か3名と言う人の少なさである。(^_^;)

12:23、田仁谷到着。
ここも人家は数軒しかない。

鉄山集落
鉄山集落。山の斜面には茶畑が多い。

12:30、鉄山ー川辺間の県道に出会うが、ここからもわざわざ遠回りの尾根づたいを歩く。
  さすがに茶所鉄山、茶畑が広がっている。 のどかな気分で周囲の景色を見渡し、また近づいてくる蔵多山の山容を楽しみながら歩く。
  蔵多山に直接取り付く道があるかと期待したが、茶畑の中に消えていくそうな小道ばかりでショートカットは諦め、一旦稼いだ高度を一気に下げて鉄山集落に向かう。

12:47、鉄山上集落到着。
  ここからは津貫方面へと続く比較的広い道路を通って高度を稼ぐ。
午後1時頃になるとかなりの空腹感が襲ってきて、ザックから干しブドウを取りだし、食べながら歩く。

開聞岳
東シナ海上に浮かぶ開聞岳。

殆どがブドウ糖で出来ているため即効性に吸収、エネルギー添加される秀逸な行動食である。 昔山登りしていた頃はチョコレート食べながら歩いたが、今そんなことしたら、せっかくの山歩きが無駄になるどころか、デブまっしぐら・・・。(>_<;)
 #今でもかなりデブですが・・・(^^ゞ)

  13:13、蔵多山への取り付き道路到着。
しばらくは簡易舗装のアスファルト道路を歩くが、5分程で砂利道になる。ジョッギングシューズでは砂利が足の裏に食い込むようで少々痛い。(>_<;)
 道は枕崎市側を回っているようで、開聞岳、枕崎市街などがよく見える。

  13:36、蔵多山頂上到着。
さすがに3時間歩き詰めだとかなり足に来てしまった。
蔵多山アンテナ群
頂上を占拠するアンテナ群。

  頂上は各テレビ局のアンテナが林立し、また周囲に木立があるのであまり眺望は効かない。 一カ所だけ鉄塔に登れ、そこから周囲を展望出来る。 この日は霞がかかったような天気で遠望は効かなかったが、桜島が微かに見え、南方は東シナ海上に三島硫黄島が見えた。

  水を300mL程がぶ飲みして渇きを癒した後、昼食の準備に取りかかる。今回は市販の鍋焼きうどんをガソリンコンロで暖めるという簡単なメインディシュになってしまった。 
  若い頃信州の山で苦楽を共にしたオプチマス8Rのゴォ〜という燃焼音を聞くと、もう一度テントを担いで山登りしたいという衝動に駆られる。 持参した割り水焼酎を水溜一口包装漬け物をショケに飲みながら、昔の想い出に浸ってしまった。(^_^;)

  昼食は小さなおにぎり3個にうどんと少々カロリーオーバーであったが、難なく平らげ、ゆったりとした気持ちで焼酎を飲む。・・・至福の一時である。
鍋焼きうどん
旧友オプチマス8R。

  1時間程休憩し、もう一度展望台に登り周囲の写真を撮る。加世田の市街も川辺もかすんで見える。
  アンテナ施設の周囲を探索すると少々盛り上がった所に蔵多山頂上(475m)の標識があり、その横に三等三角点の標識が朽ち果てていた。
  丹念に準備運動をして疲れた足をほぐし、気合いを入れ帰路に就く。

  14:50、頂上出発。
やはり最初の砂利道は足の裏に食い込む。 こういう本当の山道はやはりトレッキング専用シューズが良いのだろうが、他の舗装された道路を考えるとジョッギングシューズにアドバンテージを与えてしまう。 加速しながら、大きな砂利をよけながら、一気に峠まで降りてくる。 この峠は加世田川と枕崎を流れる花度川との分水嶺に当たる。
頂上道標
頂上標識

  ここから鉄山集落を正面に見ながら大きな道路を降り、途中茶畑の中の近道を通る。小さなせせらぎがあったが、これも加世田川源流の一つである。
鉄山分教場跡
鉄山分教場跡。門柱が残っている。
金峰山と川辺町
金峰山。手前は川辺町。
枕崎市方向
枕崎市。中央が花渡川。
立神が左上に小さく見える。
 
  15:20、鉄山集落到着。
鉄山は山間の清流を中心にした段差のある集落であり、その中心部には石橋があった。 簡易水道が施設される以前は、恐らくここで洗濯や洗い物をしていたのではないだろうか。
  鉄山分教場跡に寄ってみた。小さな運動場と公民館及び石碑が残っていた。 今はスクールバスで内山田小まで通学しているが、30年程前までは小学校の低学年はこの分教場で学んでいた。
  映画で見るような山里の分教場のシーンが、小生の少年時代にもあったのかと、いささか感慨深い物があった。 今は星空観察のメッカとして加世田市内の天文ファンが駆けつけるらしい。
ここからは広く良く整備された道路を内山田へ下る。

  16:03、田ノ野到着。
JAの公衆電話よりカミさんに後30分程で最終地到着を告げる。 足はかなりよろついて、出来れば迎えに来て欲しかったのだが、結局言い出せなくて・・・。(T_T)
  実は私の先祖はこの田ノ野の西村という部落の出身で、高校に入るまで、盆正月等は上内山田駅から歩いて墓参りをしたものだった。 道路脇の洞窟を見付けては子供の頃の想い出に浸ったりしたながらも、歩速は緩めず、ひたすら必死で歩いた。

  16:24、内山田小学校到着。
鉄山からは大人の早足でなんと1時間かかる。 距離的には7〜8kmと言った所を、昔の子供は歩いて通学していたわけであるから、身体的にも精神的にも屈強になるはずである。 今の世の中では考えられませんな。 ちなみに中学校はさらに4km程北上した所にある。(・_・)
  ここからは国道270号線を歩く。 さすがに車が多く辟易する。 排気ガスも凄いですな。(-_-メ)

  16:45、サザンウィン到着。
さすがに棒のようになった足は、屈伸運動もままならないような気になる。 温泉にゆっくりと浸かり疲れを癒し、風呂上がりに残った割り水焼酎をイッキ飲みしたのは言うまでもない。(^_^;)

  全行程約5時間、30km強、初冬の加世田脊梁山地踏破であった。 健康と自分の二本の足さえ有れば何処へでも行けるという自信と、何よりもお金を使わずに一日有意義に過ごせ、さらに未知の加世田を再発見したような充足感に浸りながら夜のダイヤメは進んだ。(^_^)v


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