金峰山登山
      
                     平成15年2月2日(日)

  
加世田からの金峰山
加世田から観る金峰山。中央主峰が鼻。右に顎、胸と続く。
 

  金峰山(636m)の威容は加世田市、川辺町、大浦町、金峰町及び吹上町の多地域から望め、いわば南薩西部のシンボルになっている。小生を始め加世田市民は加世田から観る金峰山が妖艶で一番美しいと信じている。 それは山容が女性が横たわった姿に酷似しているからである。 今回はその威容を眺めながら、自宅から徒歩にて金峰山登頂に挑戦した。
  
浦之名田の神
1800年建立の浦之名田の神。薩摩田園の風物詩です。

  10:42、自宅出発。
地頭所から村原を通り、村原橋に向かう。 通常は万の瀬川が加世田市と金峰町との境なのだが、村原橋辺りは万の瀬川を超えて200m程金峰町寄りに加世田市が突出している。 そして市境を観ると古い堤防後が残っていた。これも暴れ川の名残だろう。

  阿多病院、砕石場前、新山、中津野を通って、11:38、浦之名田の神到着。
薩摩の長閑な田園風景に田のかんさあは良く合う。しかし、付近一帯は浦之名ニュータウンとして造成され、余す所無く新しい家が建てられている。(・_・)
 
矢杖の猪君
矢杖集落の猪君。(平成14年4月撮影)
 
  ニュータウンを抜け大阪(だいざか)方面に進むと左手に舗装された登山口が現れる。
  11:49、登山口到着。
矢杖集落までは舗装道路を歩く。矢杖集落にはが飼われている。 昨年4月には対面したのだが、小屋を窺うと何やら獣の匂がし、ゴソゴソと動く音が聞こえてきた。どうやらまだ食べられてはいないらしい。(^_^;)

  集落からは本格的な山道が始まるのだが、前日の雨の為ぬかるみ滑りやすい登山道を歩くのがイヤで、車道がこのまま頂上への林道に繋がるのではとの安易な予測の元、登山道入り口の鳥居をやり過ごし、そのまま車道を突き進んで行く。

  
登山道鳥居
登山口鳥居。集落には登山者用の駐車場トイレ有り。

  500m程行った所で、舗装道路消滅の確認を余儀なくされ、すごすごと元の鳥居まで引き返す。(>_<) この間約10分間のロス。(^_^;)

  12:12、登山口鳥居発。 
ここからは本格的な登山道が始まる。
道はぬかるみこそないが、日陰の為苔が覆い滑り易そうである。分かれ道にはちゃんと標識が付いているのが嬉しい。ほぼ直登の様にグングン高度を稼いでいく。噴き出す汗にスェーターを脱いでしまう。 山全体に植林帯が多く、途中登山道に間伐材が散乱しており、これが下山途中のトラブルの一因になろうとは・・・。(-ー;)



金峰神社鳥居
金峰神社鳥居。昔からこんな立派な境内だったかは記憶無し。
  本格的登山道を黙々と進んだ後、
12:34、舗装林道に到達。
ここから頂上神社に続く舗装された林道を歩かされる。南西面が開け東シナ海が美しい。10分程歩いた後、再び右手の登山道に入る。

  眺望の効かない暗い原生林の整備された歩道を黙々と10分程歩くと、急に目の前が開けて金峰神社社務所前境内に出る。
  実は20年近く前より、ここまでは田布施及び大阪方面から林道を通って車でも登れ、祭や初詣初日の出の時などはかなりの人出で賑わうようになった。小生も数回車で来たことがあるのだが、苦行を伴わない参拝はどうも御利益が少ないような気がするのだが・・・。(^_^;)

金峰神社
金峰神社本殿。何かしら霊験あらたかな感じが・・・(^_^;)

  鳥居から階段を100m程登ると、金峰神社本殿が現れる。
12:55、金峰神社到着。

  金峰山由来記に依れば、推古2年(594年)10月9日大和吉野の金剛蔵王の分霊をこの山に移したとのことである。以後南薩随一の霊峰として山岳信仰のメッカとなっている。
  日陰には数日前の雪がまだ残っており、5cm程迫り上がった霜柱が、寒さに脆弱な薩摩人を威圧しているかのようである。
  強欲な願い事を幾多も奏上した後、左横の丸木で整備された登山道を頂上へとすすむ。(^_^;)

金峰山頂上
頂上。観音像と、南西方向に鶴の祈念碑がある。

  13:00、頂上到着。
金峰山は本岳(636m)、東岳、北岳の3峰からなる。本岳は天空に突き出した岩のようであり、木々と段差により3つのテラスに別れている。
  三角点のある頂上には観音像と鶴が安置されてはいるが、周囲の木々の為あまり眺望が効かない。
  一番最初に到着する北側のテラスは、北から東方面を見渡せるが、何やら信仰上のオブジェが占拠し腰を下ろす所が少ない。
  最も眺めが良く腰も下ろせるのは南側のテラスなのだが、ここは垂直に切り立っており、足を踏み外そうものなら、♪はいそれま〜で〜よ〜!♪と高所恐怖症でなくとも尻込みしそうな岩場でもある。(^_^;)
 

   
   錦江湾を隔てて桜島から高隈山系のパノラマ。
 

開聞岳
 東シナ海に浮かぶ開聞岳。手前は川辺町。
加世田市長屋山
 長屋山と加世田を囲む山々。
野間岳と万の瀬川
 野間岳と吹上浜に注ぐ万の瀬川。
  南のテラスにザックを降ろし、渇いた喉を水で潤してから、「天文館」割水を呷る。かぁぁ〜〜、沁みる・・・!(^^)
  昼食はおにぎりと島津梅。野外で食するおにぎりは何故かくも美味且つ風景に溶け込むのでしょうか? いやはや最高のご馳走ですな。(^^)
  当日は快晴ながら少々霞が掛かっており、遠く三島や甑島は確認出来なかったが、南薩地方を一望出来る大パノラマは、薩摩随一と言っても過言では無かろう。

  錦江湾に浮かぶ桜島(1040m)。千メートル以上の峰々が6座も連なる大隅の雄高隈山系(1237m)。秀麗な三角錐の薩摩富士開聞岳(922m)と頴娃の海岸線。 ゆったりとした山容の長屋山(520m)。加世田の平野を悠々と流れ東シナ海に注ぐ万の瀬川。標高は低いが美しい立ち姿は開聞岳に匹敵し、笠沙富士と呼びたくなる野間岳(591m)。延々と続く白砂青松の吹上浜砂丘(一時の松枯れから若干回復しています)。溜息が出そうな絶景を独占しながら飲む焼酎はこれまた格別で、この地に生まれ棲む幸せを噛み締める。(^^ゞ)

  ここで金峰山の知られざる秘話伝説を一つ・・・。
  大永年間(1521〜1527年)、島津家中興の祖島津忠良(日新公)は金峰山蔵王権現の神官や山伏等に血の滲む激しい修業を積ませ、霊術・武術・体術を一体化した神技を身につけた薩摩忍者(くぐり衆)に育て上げたとのことである。これらのくぐり衆10名が集まって「社中」を形成したらしい。その後、薩摩には開聞社中、霧島社中、新田社中、紫尾社中、冠社中が出来たとのことである。 
  金峰山は薩摩忍者の発祥の地・修練の場であったのだが、このことは教育委員会の案内板には記載されていない。

  風は冷たいが、日差しには春を思わせる優しさがある。 何時までも日なたで恍惚としていたいのだが、酔っぱらってしまうと下山が危うい。(^_^;) 島津梅を食べ尽くした所で準備に取りかかる。

菜の花畑
麓には菜の花が咲き乱れていた。春はすぐそこまで来ている。
 
  13:38、頂上発。
午後2時半に登山口にあるいなほ館で友人と待ち合わせていた為、かなりの急ぎ足で下りを飛ばす。しかし間伐材が散乱している地点で登山道を無失い、植林の中に迷い込んでしまった。10分間程間伐材の間を泳ぐようにして登山道を探すがどうしても見付からない。(-ー;) このような場合、谷方向に下りていくと、益々危険箇所に行く恐れがあって、最悪遭難も・・・。(>_<)
  結局もう一度元のルートまで戻った所、登山道が見付かり、危機を脱出した。
  間伐材が道を塞いだことと、かなり急いでいたこと、そして境目のない遠近両用眼鏡の為、下り坂では足許が明瞭に見えなかったのが原因でしょうね。(^_^;) 

  14:33、いなほ館到着
身近で手軽な山でも一歩間違うと遭難の危険性も・・・。低山登山侮るべからず!



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