開聞岳登山
      
                     平成17年5月15日(日)

  

駐車場からの開聞岳。艱難辛苦と歓喜が待っている。
 

  薩摩半島の最高峰開聞岳(924m)は秀麗な三角錐の山容から薩摩富士と呼ばれ、深田久弥著の「日本百名山」にも挙げられている。 阿多カルデラの外輪付近に位置するこの山は約1万年前カルデラ活動が終了した後、再びマグマが上昇し形成された。6世紀ごろから噴火記録があるらしく、貞観16年(874年)と仁和元年(885年)の大噴火により山頂に溶岩ドームが噴出し、現在の山容になったらしい。
 平成12年12月に中腹付近から噴気が観測され、「すわ大噴火の前触れ!」と騒いだのも記憶に新しい。
 加世田周辺ではちょっとした高台に登ると南西方向に美しい単独峰が望める。


登山道入り口の案内板。
  これまで2回登山したことがあるのだが、極度の痴酔性健忘症に陥り、登山の様子や眺望など殆ど忘れてしまった。 山頂からの眺めをカメラに納めたいと常日頃から望んでいたが、梅雨入りを前に前夜急に思い立ち、快晴の朝決意したのである。いつもながらの無計画、行き当たりばったりである。(^_^;)
 開聞山麓ふれあい公園草スキー場横の駐車場に車を止め、入念な準備運動の後、歩き始めた。

10:00、駐車場出発。
 草スキー場ゲストハウス横に登山口があり、標識は二合目を示している。山頂まで3.4km約150分の行程である。待ち受ける難行に身の引き締まる瞬間でもある。(^_^;)
 

昼なお暗き、雨水にえぐられた登山道。
   
  登山道は深い樹林帯の中にあり、あまり陽も差さず昼なお暗いといった風情だろうか。紫外線防止のためサングラスを遠近両用眼鏡に取り付けていたのだが、これでは足下がおぼつかなくなりそうで外す。
  登山道は所々大水の時の水路のようなえぐられた所に作られており、何かしらボブスレーのコースのような雰囲気もある。

  黙々と樹林帯の中を歩くのだが、鈍った身体には辛い!僅か5Kg弱のリックが身体を後すだりさせそうな錯覚にとらわれる。(^_^;)
  登り始めの30分は特にきつく感じるが、その間にペースを掴めば後が楽になると若き頃に得た教訓を言い聞かせながら、忍耐強く黙々と歩く。


七合目から岩づたいの道が多くなり、眺望も開ける。
  10:48、六合目到着。
 樹林帯の中は直射日光が射さずにさほど熱くは感じないのだが、それでもかなりの汗をかく。 「百里を行くものは九十九里を半ばとすべし。」との徳川家康の教えの如く、一歩でも頂上に近い所で休もうと、休憩している人達を尻目に歩を進める。

  11:01、七合目(残り1.1km)到着。 
 6分間休憩。リックを降ろし腰掛ける。心なしか吹き渡る風がひんやりとして心地よい。周囲の樹木も幾分低くなり若干眺望が効く。ペットボトルから水を流し込むが、砂に染み入るようにいくらでも飲めそうである。やはり水分喪失が著しいらしい。夏場の登山は水分補給が肝要である。行動食としてレーズンを貪る。(^_^;) 


仙人洞。手前に杖に使用された木枝らしきものが見える。
  七合目を過ぎた当たりから岩づたいの登山道が多くなり、日差しも強く感じる。また木々の間から長崎鼻方面が見える。
  
  11:14、仙人洞到達。
 その昔山伏などの修行場として使われた洞窟である。今では開聞岳登山の途中ここまで使ってきた杖をここに投げ入れ、今後の安全を祈願するのだそうだ。なるほど杖らしき木枝が多数投げ込まれている。

  11:32、9合目(後0.4km)到着。
  この山は外周を一貫して時計回りに螺旋状に登っていくのだが、登山口は北、7合目が東、この位置は南である。即ち外周を約半周したことになる。


頂上直下の急峻な岩場。お母さん方は辛そう・・・(^_^;)
  すれ違う下山者の大半が中高年である。しかも団体が多い。この時間に下山と言うことはかなり朝早くから行動開始したのだろう。それにしても皆さんスキーのストックのような杖を持っていますな〜。(・_・) 上り下りで足に加わる負荷が腕に分散されるのだろうが、岩場等では邪魔にならないのだろうか。(-_-?)

  頂上直下がもっとも急峻であるのは登山の常だが、ご多分に漏れず開聞岳も9合目から垂直に近い岩場や階段が続く。それに伴い登山者の往来でやや渋滞気味になり、これまでよりペースダウンを余儀なくされる。 直登で高度を稼げるのは気持ちがよく、ひょっこりと頂上に達してしまった。
 

頂上中央部最高度岩より標識を望む。

  11:48、頂上到着。
  開聞岳の頂上はゴツゴツした岩が折り重なるようになっており、平らな場所が殆ど無い。登頂時は丁度昼飯時で黒山の人集りに近い状態であった。頂上標識の後当たりにちょっとしたスペースを見つけリックを置いた。
  頂上の人達は家族連れ、若者の集まり、そして中高年の団体と様々ではあるが、愚生より年長者が多いのが目を引いた。まあ私も中高年の部類にはいるのだろうが、中高年の登山ブームを実感させられることに。さらに鹿児島弁以外の言葉も良く聞こえる。さすがに百名山の一つ、県外からの登山者も多い。これらの人々は12時過ぎに漸次下山されていった。


頂上でのダイヤメ。(^_^;)
 
 食事をする前に水分補給を十分に行い、喉の渇きを完全に癒す。次ぎに「七夕」の二合ペット容器に入れた5:5割水「宝満(上妻酒造)」を口にする。旨い!旨すぎる! 愚生にとって頂上で焼酎を飲むことが登山の醍醐味の一つに定着してしまった。 
 ショケは水溜食品ピロ包装漬物(漬物キャンディー)である。一口ずつ包装され携帯に最適!

 至福の時を恍惚と過ごしていると、周囲の人達が怪訝そうな顔付きで愚生を観察するが、酎愛故の義挙とむしろ鼻の穴が拡がる程の優越感に浸れるのはかなり病気なのだろうか?(^_^;)


昭和63年皇太子殿下御来鹿の際の記念碑。

人知れずひっそりと佇む一等三角点。
 カミさんの作ってくれた梅干し入りおにぎり3個と卵焼きをぺろりと平らげた。人が蟻のように蠢いているであろう下界を見下ろし、絶景に浸りながら食べるおにぎりは最高のごちそうである。この爽やかな空気の中では否が応でも食欲が増すというものである。もっとも愚生は有り余る暴力的食欲に日夜苛まれ、生活習慣病予防のために難行のようなウォーキングを余儀なくされているのだが・・・。(^_^;)

  持参した焼酎を全て飲み終え少々酔いも回り、さらにお腹が一杯になったら微睡みたくなったが、あいにくと日陰はないし、横になれそうな岩場もない。頂上の人間も少なくなったので頂上付近の探索を行う。
  開聞岳の最高点は道標より2m程高い岩の上である。道標の横には昭和63年7月20日皇太子殿下が登山なされた際お立ちになった場所に記念碑が置かれていた。 さすが山好きの殿下。故郷のさほど高くない山にも愛着を持って下されたことに感極まりそうになる。(^_^;) 一等三角点は道標の下、ひっそりと目立たない場所にあった。

 頂上からは西、北及び東方面は開け山麓が眼下に見渡せるのだが、南方面には灌木帯が拡がり、残念ながら東シナ海に浮かぶ竹島、硫黄島及び黒島さらには屋久島は見えそうもない。 特にこの日は薄く霞がかかったような状態で、佐多岬がやっと確認出来た程度で、桜島や高隈山さえ判然としなかった。(-ー;)
 

       頂上より北方向を望む。眼下が開聞町、その向こうに池田湖が拡がる。

       頂上より北西方向を望む。左上が山川町。

       頂上より東方向を望む。中央突端が薩摩半島最南端長崎鼻。

       頂上より西方向を望む。眼下は開聞町入野地区。上方が頴娃町。

枚聞神社奥宮御嶽神社。
  
  頂上北側の木立の中に枚聞神社奥宮御嶽神社があった。あいにくと賽銭を忘れたのだが、強欲にも道中安全、家業繁盛、学業成就、疾病平癒を祈願して来た。(^_^;)

  頂上で何時までも飽くなき風景を眺め仙人気分に浸っていたいのだが、オンジョの身には強烈な直射日光が堪え、さらに酔いが醒めて来たため下山を決意する。

 13:16、頂上出発。
  下りは周囲の景色を眺めながらゆっくりと降りようと思うのだが、足の踏ん張りが効かないせいか、岩の上を飛ぶように歩いてしまう。ウォーキング用運動靴で登山しようかと迷ったのだが、靴底の固いトレッキングシューズで正解と安堵する瞬間である。 しかし2年ぶりに履く靴は踵に靴擦れを作ったようでもある。(>_<)
 登る人とすれ違う度に、これからの辛苦に同情し、せめてもの励ましの言葉をかける。

  13:43、七合目。
 岩場を過ぎ樹林帯にはいると登山道は小さな火山石のガレ道になり、踵に体重をかけると極端に滑りやすくなる。 かといってつま先に体重をかけると果てしなく加速し制御不能になる恐れが・・・。(>_<)
  

宮薗病院男子寮から開聞岳を望む。鯉のぼりが薩摩の初夏らしい。
 
 両膝はカクカクと笑い出し、老いた脚力では下り坂には抗いがたく、足下は滑り易く・・・、で1回だけ尻餅をついてしまった。(^^ゞ
  それでも何のこれしき!結局一回も休憩は取らず一気に駆け下りた。v(^^)

 14:24、二合目登山口到着。
  こだまさんに連絡し、車で宮薗病院に向かう。
  愚生の渇望状態を見抜いたらしく「エビスビール」を恵んで下さった。何たる心配り!感謝感激!
  こだまさんと共に鰻温泉にゆったりと浸かり山登りの疲れを癒し、温泉の噴気で蒸したアツアツの卵をショケに「キリン一番搾り」で乾杯し、薩摩のあちこちの温泉に逸話を残された西郷南州翁に思いを馳せる。 さらには開聞周辺の焼酎事情をつぶさに視察し、加世田周辺では見掛けなくなった「薩摩の薫」を発見即ゲットしたのみならず、近海カツオの刺身用切り身まで購入出来た。もちろん帰投後自家製鰹のタタキでダイヤメをしたのは言うまでもない。v(^^)
 斯くも充実した休日を恵んで下さった南薩摩の天然・人情に感謝!



表紙 Kaseda Now 竹屋ヶ尾登山 薩摩半島半周の旅