鰻の「スメ」について

深い森林に覆われた火口湖鰻(うなぎ)池は、燃え立つ新緑が陽光にきらめき、水面までこぼれ落ちている。西側の山並みと背中合わせになった池田湖は、指宿スカイライン経由の車でにぎわうけれど、こちらは温泉地というのに観光バスはあまりこない。定期の路線バスが朝夕二回通うだけである交通量も極めて少ないため、湖畔のドライブは快適だ。段丘が桜並木の道路になっていてそのどん詰まりに64戸160人の集落。家々の庭にスメと呼ばれる温泉蒸気の自家用噴気孔があり、人々は昔から炊事に利用してきた。

スメは、噴出する温泉地獄を活用したカマドである。最近は蒸気の噴出孔にビニールパイプを取り付けたり、周囲をコンクリートで固めて小奇麗なこん炉風にするなど”台所改善”も進んだ。からいも、ジャガイモやダンゴを蒸し、卵をゆでる。今の時期、ツワブキやタケノコも多い。甕(かめ)にはいつも湯がわいている。

10年前、石油ショックで省エネルギーが叫ばれたころ、ここの生活ぶりがテレビなどでよく紹介された。「自然を利用した地域ぐるみの省エネ生活」というわけだ。温泉を自宅の風呂場にひている住民も多い。

福村さん宅のスメは、石で囲っただけの粗末なつくりだ。 昔ながらの古典的なスタイルを頑固に守っている。「手間暇がかからんので便利。とんこつ料理や丸ムギのご飯を炊くのに都合がよい。火力調整の必要もないし」。福村さんはスメの効用を並べるとともに、マイナス面もつけくわえた。硫黄泉特有の蒸気が建物の老朽化を早めるのだ。金属製の雨どいをはじめくぎなど腐れやすい。テレビの故障がしょちゅう起こる。

「まぁ良かったり悪かったり。これが世ん中でしょうな。」と住民たちは屈託がない。スメには蒸気を勢いよくふきだす木箱のような蒸篭(せいろう)がどかっとすえてある。その光景は、わが国古来の調理法である蒸し物の数々をしのばせた。

かつて郷土では、どこの家庭にも角型や丸型の蒸篭があった。餅つきのときのフッ(よもぎ)のダンゴを作るとき、主婦たちは蒸篭の底にクマタケランの葉を敷いたものだった。サネンともよばれるこの大きな葉っぱは、とても香りが良く、遠足のおにぎりを包むのにも用いた。竹の皮よりもこちらを重宝がっていた。

今はもう、農村の台所でもサネンの葉を見かけない。竹の皮もない。中高年になった世代が、昔の少年少女時代を思い出すのは、せいぜいタカナん漬物ぐらいだろうか。包丁を入れる前のタカナん葉で丸ごとご飯をくるめば、往時の遠足風景がよみがえってくるかもしれない。

変わったのは食生活だけではない。民家のつくりも外見こそ昔のままだが、サッシを入れ、土間を板の間に改造したり、すすけた梁(はり)や柱をベニヤの化粧板で隠すなど、内装は現代”文化住宅”風。「今はどこの家も同じようになってしもた」と福村さんは述懐する。全国共通版になった。

鰻地区では、住民がこぞって姓を変えるという事態まで体験した。もともと鰻姓と福村姓で占めていたのだが、昭和30年代に入り、子供たちが鹿児島市や県外に進学・就職するようになって、鰻姓の子が「変えたい」と言い出したのである。読みにくいし、奇妙な姓と受け取られがちだったのだろう。

トップバッターは、息子がラ・サール高に進学した一家では、家族ぐるみ母方の籍に養子縁組する形をとった。前例がないせいか改姓は難しく、なかなか受け付けてもらえなかったからだ。苦肉の策の養子作戦でやっと姓を変えることが出来た。親にとっても深刻だったに違いない。

二番手以降は、改姓がすんなり認められ、「鰻さん」はいろいろな姓を名乗った。現在、住民の姓は実に30種近いという。このようにして若者たちは全国に羽ばたいていった。ここも過疎地である。スメだけが、暮らしと渾然と一体になって昔と変わりなく生き続けている。