第28話 「主観と客観 2」
〜 テストは「客観」で解答せよ 〜


テスト問題のほとんどが「客観的」な答を求めてくる。

例えば数学・・・

「1+1はいくつでしょう」

これに対して,アナタは無意識のうちに
「客観的」に答えている。

「2です…」

「自分の意見を入れないで物ごとをありのままに見る」
という立場から考えると
「1+1は?」と聞かれれば「2」と答えるのは
当然と言えば当然である。



だが,人間はイロイロ考える生き物である。

「主観」で考えると・・・つまり

「自分を中心に考えたり,感じようとすれば」
イロイロな考えが浮かんでくる。


「1ってナンダよ?」

「リンゴ1個と水1リットルでは計算できないじゃないか」

「雄のニワトリと雌のニワトリを飼っていれば増えるんじゃないのか」

「2人で協力して仕事をすれば,2倍以上はかどることだってある」

「目の前にチョコが2個もあれば,思わず食べてしまいたくなる」


などと,ホントにイロイロなコトを考えるのである。



だからといって,「1+1」の答を

「計算できません」とか
「親のニワトリ2羽と,あとヒヨコ数匹」とか
「協力は計算に勝るのである」とか
「食べちゃったから,無くなった」
などと書いても
絶対に正解にはならない。


アナタは小学校からの勉強を通して
「算数のテストは客観で答えないとイケナイ」
という仕組みを自然とマスターしているのである。

そしてそれは,
全教科のテストに言えることなのだ。



ところが,そうであるはずの
「全教科のテスト」の中で
ついつい
「主観」にハマってしまう教科がある。

「国語」である。

国語には「長文」を読んで答える問題がある。

不思議なモノで,長い文章を読んでいると
人間はイロイロなコトを考えてしまうのである。

「オイラは読書感想文がニガテだぁ〜」
などと言う中学生に限って

ホントに余計なコトまで考えながら「長文」を読んでしまうのである。

「長文問題で,なかなか点数が取れない」
という中学生は
ついつい
「主観」で「長文」を読んでいることが多いのである。



第27話でも触れたが

問題のほとんどが
「アナタの気持ちや考え,意見」なんかは聞いていないのである。

さらに突っ込んで考えるならば
「長文」の原作者の気持ちや考え,意見なんかも
ど〜でもイイのである。

「我が輩は猫である」の一部が
「長文問題」として出題されたとしよう。

あなたの気持ちや考えどころか

夏目先生の気持ちや考えも,正解とは全く関係ないのである。


ただ,そこに「長文」があって
それを「客観的」に読んでいくと

(自分の意見を入れないで物ごとをありのままに読んでいくと)
まるで
数学の問題を解くように
当然のことのように
「当たり前」の答が出てくるだけのコトなのである。


×(ばつ)をもらったら場合は
何らかの原因で
「解き方」を間違っただけなのであり
別に
「アナタの意見が悪い」というワケではないのである。



公立高校の入試やセンター試験の問題での「長文」に
現役の作家の作品が使われ
実際に,その作家が「問題」を解いてみたら
全く違った答が正解になっていたなんてことがある。

正解を解説する新聞には
「それはナイだろう」と書かれるが
実際には
「それもアリ」なのである。

覚えておきたまえ!!。
国語の問題は,原作者の気持ちや考えまで
無視して作られているのだ。


そこにアナタの主観(アナタの気持ちや考え)が入り込んでしまっては
ますます正解から遠ざかることになる。



国語の問題は「主観」で解いてはイケナイ。

誰が解いても,必ず同じ結論にたどり着くような
「客観」で解くべきなのである。

クドイようだが,もう一度。

長文の問題を解くときに
「自分はコレが正解だと思う」ではイケナイ。

「世間の人々は,コレを正解に選ぶハズだ」
くらいがちょうどイイ感じである。