第23話の8 どうして「数学」を学ぶのか 2
〜 江戸川ナンコと毛利ゴコロウの推理の違い 〜



数学や算数が身に付いていなければ
ふだんの生活が不便である。

モノの数を数えられないし
買い物に行っても計算できない。

テストの成績が返ってきても
成績が良いのか悪いのか,サッパリワカラナイ・・・ということになる。
それでは困ってしまってワンワンワワン!なのである。



しかし
日頃の生活のために算数や数学を勉強するのならば
小学校の「算数」レベルで十分間に合うのも事実!

日常生活で「関数」や「方程式」「平方根」「因数分解」は
必要ないのである。



だったら,ナゼに「数学」を勉強しなければならないのか・・・
という疑問にたどり着く。



数学を勉強して「鍛えられる力」のひとつに
「数学的な考え方」
というものがある。

別名
「論理的思考」

もっとわかりやすく言えば
「すじ道を立てて考える力」
と言っても良い。



AはBだから,BがCだとしたら・・・AはCなのではなかろうか。

とか

テストの成績が悪いと母は怒る。
母はご機嫌が悪いと怒りっぽくなる。
母はご機嫌が良いとあまり怒らない。
今日の母はご機嫌が悪い。
だから
今日,テストの成績を見せるのはマズイ。
しかし
いつまでも見せないと,バレたときに,もっとマズイ。
母がテストのことに気づくのに3日間くらいが限界である。
すると
あと2日間は様子を見ることにする。
2日間は母のご機嫌の変化に注意をはらう必要がある。
とりあえず
今日は見せないでおこう・・・。
結論!




「テストをいつ見せるか」ということについては
実際にはこんなに単純な問題ではない。

もっともっと,複雑な要因がある。

だから
もっともっと,複雑な計画を立てる必要が出てくる。


もちろん「平方根」や「関数」の知識そのものは
「テストをいつ見せるか」という問題には直接役には立たない。

しかし
「平方根」を勉強したときの
「モノの見方や考え方」
大いに役に立つのである。



この計画を
「算数」レベル」で立てるのと
「中学数学レベル」で立てるのと
「高校数学レベル」で立てるのと
「大学数学レベル」で立てるのでは
確実に方法や結果が
変わってくるのである。



江戸川ナンコの推理と,探偵毛利ゴコロウの推理の差は
そこにあるのである。



また
数学で鍛えられる
「すじ道を立てて考える力」は

他の教科の勉強にも
大いに役に立つのである。


国語,社会,理科,英語,音楽,美術,体育,道徳,その他の勉強に
なくてはならない「考え方」なのである。

それなくして他教科の勉強をする・・・ということは
直感と根性だけで勉強に挑む・・・ようなものである。

(「毛利ゴコロウ一人に,事件を任せるようなものである」という言い方もある)

「分かった」と感じられることが難しくなり
「分かったような気分」で終わることが多い。

「すじ道を立てて考える」ことの大切さを
少しでも感じていただけただろうか。