第23話の2 どうして「国語」を学ぶのか 1
〜 包丁を研ぐが如く言葉をみがけ 〜



第23話の言葉から始めよう。

日本語を話すことができるのに
どうして国語を勉強しなきゃいけないんだ?!




この国に生まれ,中学生まで生きてきたのなら
まあ,
だいたいの日本語は遣(つか)えるようになっているハズである。

日頃の生活では,その程度の日本語で十分だ・・・
と感じるのも無理はないのである。



気が向いたら漢詩を読み,和歌や俳句を詠(よ)んだり
演壇に上がって演説をする必要も無い。

漢字は別に覚えなくても,辞書を引けば分かるし
ワードプロセッサで文章を打てば,AI辞書がサポートしてくれる。

文学なんて趣味の世界だから,好きな人だけ読めば良い

だから,国語を勉強する必要なんか無いのではないか・・・
そうなふうに感じているのではないか?
中学生諸君!



では,ここで・・・

今までの人生を簡単に振り返っていただきたい。

あなたは,どのようにして日本語を獲得してきたのか・・・

簡単に言えば,「どうして日本語が遣えるようになったのか」である。



「日本に生まれて,生活してきたから,自然と・・・」なのだろうか。

違うのである。
訓練を受けてきたからなのである。



生まれてスグには,身近な大人から(母親や父親)
繰り返し繰り返しトレーニングを受けてきたのである。

犬のことを「ワンワン」と教えられ,車のことを「ブッブー」と教えられ
食べ物のことを「マンマ」,小便のことを「シーシー」と・・・


やがて,アナタが成長するに伴って
「ワンワン」は「ワンちゃん」に
「ワンちゃん」は「イヌ」に
「イヌ」は「いぬ」を経て「犬」へと
レベルアップされてきたのである。

その訓練は,家庭の中や
幼稚園,小学校の勉強の時間を通して
根気強く,計画的に行われてきたのである。



日常の生活の中では,なかなか触れることのない
レベルの高い言葉は,中学の「国語」の授業の中で
今もみがかれているのである。



言葉という「包丁(ほうちょう)」を
今も研ぎ続けていると考えてもらいたい。


いい加減な研ぎの包丁でも,見た目は立派な包丁である。
でも,使ってみると・・・切れないのである。

少し研いだ包丁は,少しは切れるのである。

でも・・・
切り口はザラつき,美しくない。

そんな包丁で作った料理は,おいしくないのである。

ちなみに,切れない包丁を使って料理すると
自分の手を切ることが多い。
切れないから,よけいに力を入れてしまい
ついつい手が滑って切ることが多いのである。

言葉も同じである。




良い料理を作るなら,包丁をしっかりと研がなければならないのである。

包丁研ぎは料理人の「基本」である。

より良く生きるためには
言葉をしっかりみがかなければならない


言葉をみがくことは
私たちの「生活」の基本である。




では,なぜ,そこまでして言葉を磨かなければならないのか?

それは,次話で考えるのである。

期待しない程度に待て・・・である。