第23話の15 どうして「英語」を学ぶのか 3
〜 ご先祖様をリスペクトするのである 〜



先ずはアタマに置いて欲しいことがある。

私たちのご先祖様は
「とても勤勉だった」「勉強熱心だった」


ということである。



中学生にとって,「試験結果のランキング」は気になる数字である。

それを,世界中の「国家のランキング」で考えてみる。

世界中に(推定)200弱の国があるが
私たちの国は,トップグループに入っている
と・・・思う。
この考えに反対する人は,多分,少ないだろう。
「心の豊かさ」などから考えると
違う結果が出るかもしれないが
今回は,あえて無視するのである。


それは,ナゼか?
なぜに,
面積が小さく,
資源を持たない,
四方を海に囲まれたこの国が
世界のトップグループの仲間入りができたのだろうか。

それは
ご先祖様の「勤勉さ」「勉強熱心さ」のお陰である。



昔々から,私たちのご先祖様は
「外国」「先生」として
謙虚に,そして必死に学んできたのである。

遠い遠い大昔・・・
聖徳太子は小野妹子たちを「隋」の国に送っている。
遣隋使である。
それに続く遣唐使も,超メジャーな存在である。


遣唐使や遣隋使は,
決して「観光旅行」や「NPOの国際交流事業」ではない。

航海技術の未熟な時代に
命をかけて「唐」や「隋」まで出かけて行ったのである。


理由は様々であろうが
「大陸文化の勉強」が大きな目的であった(と思う)。

大陸から流れ込んだ文化は
私たちの国に大きな影響を与えたのである。

つまり,「唐や隋に学んでいた」わけだ。



時代は流れ,私たちの先生となる国は
アジア大陸からヨーロッパへと変化する。

ポルトガルやオランダ等々である。


江戸時代の鎖国中でさえ,一部の港を開いて
ヨーロッパ文化を吸収してことは
諸君も知っているだろう。



江戸時代の終わりごろから,また,先生が入れ替わる。

イギリスやドイツである。

これもまた,日本の近代化に大きな影響を与えることになる。


そして,明治,大正,昭和の激動の時代を経て
先生国は,アメリカなど変化する。



このようにして
それぞれの時代の最先端の国から学び続けてきたご先祖様である。

まるで
有名塾・予備校の人気講師の授業をハシゴして
勉強してきたようなものである。

「一貫性がない」とか「浮気者」という
声も聞こえてきそうだが

次々に優秀な先生方の門をたたき
その教えを学び取り
そして
「適応」してきた
私たちのご先祖様は

「実にスゴイ!」
と思うのである。



話が長くなってしまった・・・。
でも,これから先も長い。
覚悟するのである。



さて,「英語」の必要性の問題である。

学問や勉強だけでなく,生活も
突き詰めていけばいくほど,
どうしても外国を無視できなくなる。


特に
「学問」「研究」などの世界では
「外国を無視する」ということは
ただの
「引きこもり」と同じことになる。

「世界的には,どうなっているのか」
それを知らずに研究を進めるても,
すでに発見・発明されていた。


とか・・・

とても参考になる資料があったのに
それを知らなかったため
何倍もの苦労や遠回りをしてしまった。


というお粗末な結果を招いてしまうのである。


だから,「学問」「研究」の世界では
外国語の原書や論文を読む力が求められ
自分が新発見した場合には
外国語で発表する必要が出てくるのである。


もちろん,外国人と会話したり
議論したり情報交換する必要もある。

「私は日本文学の研究が専門ですから・・・」
そんな人こそ,外国人が日本の文学を
どう研究しているのかを知る必要があるし
日本文学のすばらしさを世界に伝える必要もある。

そして

それらのこと全てが
私たちの国だけでなく
世界のの「学問」や「研究」を
大きく前進させるのである。




最初に話したとおり
ご先祖様は「勤勉」であり「勉強熱心」だった。

鎖国の時代でさえも
決して
「引きこもり」になることなく
精力的に外国に学んできたのである。

そんな,優秀なご先祖様の子孫であるアナタが
「外国語」を無視できるハズはないのである。


「外国語の無視」・・・
それは「国際的な引きこもり」と考えてもよい。


それにしても・・・である。
今回は,ずいぶん「固く」まとまってしまった。
カニ呪縛から逃れたい気持ちが見え隠れする。