第23話の14 どうして「英語」を学ぶのか 2
〜 カニレタスはカニでなければならない 〜



突然の話で申し訳ないが
手巻き寿司のメニューの中に
「カニレタス巻」なるものがある。

コンビニ等で100円程度のモノを購入すると
だいたい「カニかまぼこ」が入っている。

これでは,「カニレタス」ではない。
「カニかまレタス」である。



正直に告白しよう・・・

あの日,あの時,あの場所でカニに会えなかったら
ボク〜は
「カニレタス巻きにはカニカマが入っていて当然!」
と,思っていたのである。


やがて,運命の出会いは訪れる。


ある寿司屋で,注文した「カニレタス巻」
ひと口パクついて,思わず声に出してしまったのである。

「え〜っ!これ,本物のカニが入ってる〜!」

その瞬間の寿司屋の大将の
「ムッ!」とした表情は今も忘れない。
店内は非常に気まずい空気に包まれたのである。

そうなのだ。

カニレタスには本物の「カニ」が入っているべきなのである。



それはさておき

DVDで外国映画を見るとき,いくつかの見方がある。

小学生には
「日本語吹き替え」がオススメである。

小学生は英語がワカラナイし,日本語を読む速さも足りないからである。


中学生には「日本語字幕スーパー」がオススメである。
日本語なら,なんとか読めるし,オリジナルの声の方が,
よりリアルだからである。


そして,英語に自信のある人には
「吹き替えなし・字幕なし」がオススメである。
吹き替えや字幕と縁を切って,オリジナルに近い
本感動が伝わってくる。



そして,それら3種類の見方で
映画の味わいは大きく違ってくるのだ。

カニカニフレークカニカマくらい違う!
のである



「字幕」や「吹き替え」は,言ってみれば「加工品」である。

英語と映画に詳しい人が,いろいろと工夫をして
映画の雰囲気を壊さないように
言葉を「加工」してくれている。

しかし,「翻訳」という加工には
どうしても限界がある。

カニカマを,どう料理してもカニにはならないのと同じである。
「翻訳」された「加工食品」は
所詮「本物」には勝てないのである。
いや,「勝ってはいけない」のである。
そんなことをしたら,映画監督さんはショックだし
カニもかなり落ち込むだろう。


それは,言葉が「生き物」だからである。




言葉は,受け取る人の心の状態や,考え方によって
大きく変化するものなのだ。

「この言葉は,こう訳したらいい」
と翻訳担当者は考えても,決してアナタが
「そうだよね」
と感じるとは限らない。

いろいろなことを感じたり考えたりするには
できるだけ
自分のアタマ「言葉」を受け取らなければならないのだ。

他の人が「こう言ってますよ」という翻訳された言葉より
自分が「どう言っているか」を判断することが重要なのである。

できることなら
「本物」を味わえる大人になりたいものである。


同時に,本物のカニの入ったカニレタス巻を
もう一度食べたいものである。
あれ以来,カニとの再会は果たせない。
見知らぬふたりのままである。


う〜ん,どうも今回は説得力に欠けるのである。
英語より,カニが前に出ている・・・