第22話 「勉強したか」と「勉強したよ」
〜 親や先生とアナタの言葉のすれちがい 〜

親(先生)が「勉強したか」と聞く。
子(生徒)が
「したよ」と答える。

何気ない会話である。
毎日のようにくり返される言葉である。
何の問題もないように見える。

しかし,実はそこに大問題が隠れているのである。

いきなりでは分かりにくいので,場面を切り替えるのである。



親:「玄関の掃除はしたの?」

子:「したよ」

親:「でも,履き物がバラバラだよ」

子:「靴はならべなかった。でも掃除はしたよ」

親:「砂も残っていたよ」

子:「ちゃんとホウキではいたよ」

親:「傘も倒れていたよ」

子:「傘は立てなかった・・・」

親:「結局,玄関はきれいになってないよね」

子:「きれいになってないけど,掃除はしたよ」

親:「きれいになってなければ掃除したとは言えないね」

子:「でもちゃんとやったんだもん。15分もやったもん」




ここで使われる「掃除」という
「言葉のとらえかた」が問題である。

親は
「玄関をきれいにする作業」を「掃除」と考えている。

子は
「一定時間,玄関でホウキを持って身体を動かす作業」を「掃除」と考えている。

だから,子は玄関がきれいになっていなくても
「掃除をした」と思う。

親は玄関がきれいになっていないので
「掃除をしてない」と思うのだ。


掃除をしてもきれいになっていなければ何の意味もない。
きれいにする意志のない掃除は
何時間やってもキレイにならないのである。



勉強にも同じことが言える。

「勉強したか・したよ」の会話は
もともと親子間で使われる「勉強する」の意味が違っているのだ。


親や先生は「勉強」を
「わからないことがわかること」と考え,
子は
「机に向かって一定時間過ごす作業」と考えている場合が多い。

または
「決められたノートのページを文字でうめる作業」と考えている人もいるだろう。


しかし
玄関の掃除と違って,勉強の場合
「したか,しなかったか」の結果がすぐには見えない。

しばらくしてテストの結果が返されて初めて
「していなかった。できていなかった」ということがわかる。


親はテストの結果を嘆いて「ちゃんと勉強しなきゃダメだろ」と言うが,
翌日,子どもが「勉強したよ」というと安心してしまうのである。

「ホントにしたのか」とチェックを入れる親もいるだろうが,
ノートに漢字や英単語が書かれているのを見ると,
やはり「安心」してしまうのである。



勉強は,「机に向かって一定時間過ごす作業」でもなければ
「一定のページを文字でうめる作業」でもない。

「わかった」でなければ「勉強した」とは言ってはいけないのである。

試しにテストで「ダメ」な点数を取ったとき,
先生にお願いしてみるとよい。

「私は100時間頑張ったんだから100点にしてください」

「1000時間勉強したので,高校に入れてください」

聞いてもらえるわけがない。



それでは,親から「勉強したか」と聞かれたら
何と答えればよいのだろう。

「わかった」と実感できるときには「したよ」でかまわない。

しかし
「わかった」と実感できないときは

「時間はかけたけど,わからないコトがある」
が正解である。


すると
親は心配になり
「ドコがわからない?」
聞き返してくるかもしれない。

そのときは「○○がわからない」と答えてあげればよい。

親に知識があれば詳しく教えてもらえるかもしれない。

知識がなくても
「ちゃんと先生に聞くんだよ」
とか
「このアンポンタンが!ちゃんと勉強しないからだぞ」と
アドバイスやゲンコツがもらえるかもしれない。

親というのは,有り難い存在である。



えっ? 何・・・?

「あまり心配をかけたくないって?」

とんでもないのである。

そんな心配はドンドンかけるべきである。

また,親なら
「ウチの子はホントに勉強がわかっているのだろうか」
と毎日心配しながら過ごすべきである。