第20話 記憶方法エトセトラ
〜 鎌倉幕府はホントに良い国だったのか 〜



第19話で,「成長にともなって記憶法が変化する」ことを書いた。

そこで,今回は小学生から高校生への「記憶方法の発達の話」である。
しかし,こんなことを教えてくれる中学はないだろう。
これは大学生が学習する「心理学」のお話なのだ。



では,思い出してもらおう。
前話にある記憶の発達は次のようだった。

@ 小学校から中学1年までが「機械的記憶法」
A 中2から中2くらいが
「図式的記憶法」
B 中3から高校にかけてが
「理論的記憶法」



@の
「機械的記憶」とは
諸君が「かけ算九九」を覚えたときの記憶方法である。

声に出したり,書いたりして
まるで機械のように「くり返す」ことで記憶する方法なのだ。

一気に大量に記憶できないので,
「小さく区切る」(二の段,三の段と分けただろう)ことや
「リズムにのせて」覚えることで記憶するのだ。
(ニンニンガシ,ニサンガロクと呪文のように繰り返しただろう)

 そして,面白いのは
「ニニンガシ」という言葉には,何の意味もないのだ。

「ニニン」というモノもないし,人もいない
(いるかもしれないが)
地名でも,辞書にも載っていない。
(二人という記載はあった)
だから
「無意味記憶」と言われることもある。

小学校低学年から中学1年の時期に,最も脳が得意とする記憶方法なのだ。
ただひたすら「くり返して覚える」それが,「機械的記憶方法」なのだ。




Aの
「図式的記憶」とは
「機械的記憶」から「論理的記憶」へ変化する途中の記憶方法なのだ。

Bのところを先に読んだ方がわかりやすいと思うが,簡単に説明する。


学習する内容が「難しく」なればなるほど,
人の脳は
「機械的記憶」だけでは記憶できなくなる。

記憶することに「意味」を求めるようになるのだ。

だから
「鎌倉幕府は1192年にできた」を覚えるときに
「カマクラバクフハセンヒャクキュウジュウニネンニデキタ」と機械的に覚えるよりも
「イイクニツクロウカマクラバクフ」と語呂合わせで
「いい国作ろう鎌倉幕府」という「仮の意味」で覚えた方が簡単になってくる。

「仮の意味」を考えられない小学生にこの方法で覚えさせると,
「鎌倉幕府って本当に良い国だったんですか」とか,
「1192年にできたから良い国になったんですか」
なんてとんでもないことになる。

「覚えること」と「仮の意味」を使い分けられる中学生でないとできない記憶方法なのだ。

「覚えなくてはならないこと」に無理やり「別の意味」を持たせたり,
図に表して覚えたり,
いろいろ工夫するのが
「図式的記憶方法」なのだ。



Bの
「論理的記憶方法」とは
究極の記憶方法である。

別名
「有意味記憶」とも言われている。

「覚える」ことと「本物の意味」をキチンと関連づけて覚える方法なのだ。

例えば
「速さ」を求める公式は
「速さは距離わる時間」である。
「速さ」と「距離」と「時間」の関係をわかっていれば,
「じゃ,距離の公式は」と聞かれても,
公式を自分で作り出すことができる。
(意味をわかっていれば・・・の話である)


だから
「速さ」を求める公式をひとつ記憶しておけばよいのだ。

これが
小学生では

「速さを求める公式」
「距離を求める公式」
「時間を求める公式」

の3つを暗記していなければならない。
これは大変な話である。

「覚えることの意味づけ」がキチンとできれば「暗記」する必要はないとまで言われている。

つまり,授業中にキチンと意味を理解できた人は,
強引にに暗記する苦労から解放されるのだ。
それが
「論理的記憶方法」なのである。



@からBの記憶方法は,「覚えること」によって使い分けるほうが良い。

短い英単語を覚える場合には,@が有利だろう。
しかし
長い英単語はAが有利である。
「まくべん」は中学生のころ「辞書」という英単語(dictionary)ディクショナリーを
「字引く書なり」と英語の先生から教えられた。
そして,今でもその方法で記憶している。


歴史の年号などはAが有利で
数学や理科の公式はAかBが有利になってくる。

大切なのは「使い分け」である。

しかし
ほとんどの人はこれを無意識で使い分けているので,
ホントにスゴイのである。

いや〜ぁ,今回の「まくべん」はホントに高レベルだったのである。
だが,高レベルすぎて,勉強に直ぐに役立つ情報は,あまり無かったのだ。
こんなことは,知りたい人が大学に入って学べばよいことなのだ。
どこの中学でも教えないわけである。