第10話 信じる者は救われる
〜 まくべん教へのお誘い 〜


世の中には様々な宗教がある。
世界人類の安らぎを求めるものから,個人の幸福を求めるもの,
そして
破壊を目的とするカルト的でネガティブなモノまで様々である。

しかし,全て宗教に,一つだけ共通点がある。
それは,
「信じる」ということである。

どんな宗教であっても,信じないことには何も始まらない。
当たり前と言えば当たり前である。

 例外として「信じる」がなくても宗教が存在する国もある。
その国では年の暮れにはクリスマスを楽しみ,
大晦日に除夜の鐘で心を洗い,
年が明けると神社へお参りに出かける。

わずか一週間の短期間に
三つの宗教をハシゴするという,摩訶不思議な超常現象が起こる。




さて,今回は「宗教」の話から始まった。
実は
勉強にとっても,この「信じる」が重要なのである。

第9話で立てた
「本気目標」を達成するためには,
「信じる」が不可欠なのだ。

「まくべん教」の誕生である。
(まくべん強ではない。念のため)

では,勉強ができるようになるには,
いったい何を信じる必要があるのだろうか。

答は
「自分」である。

よく言われる言葉ではないか。
「自分を信じろ」
「自分を信じて勉強しろ」

である。



普通の勉強のガイドブックなら,ここで終わりである。
「自分を信じろ」はとっても響きの良い言葉なので,
よく
結論として使われる。

「そうか自分を信じればイイのか。わかった」という
わかったような気分になってしまう。
言葉の耳あたりの良さにだまされてしまうのだ。
だから,失敗するのだ。
それでは「まくべん教」とは言えない。

「自分のどうやって信じるのか」
こそが大切なのだ。



自分の立てた「本気目標」としばらくつきあっていると,必ず
「ホントにこれで目標達成できるのだろうか」
「自分はホントは頭悪いんじゃないだろうか」
「無駄な努力をしているんじゃないか」

という邪悪な考えに襲われてしまう。

襲われない人は大したものだ。
もう教えることは何もない。
こんな新聞なんか読んでないで,さっさと勉強をした方がよい。
サヨナラなのである。

 そんな邪悪に襲われたとき,
まずは
「本気目標」を立てたときの自分の「本気さ」を思い出すのだ。

30分も成績表を見て考えて出した目標だ。
「まちがっているハズはない!」と


5分で立てた目標なら,ちょっと不安である。
本気目標の立て直しをお勧めする。

そして


「ワタシは決してバカではない!」
 「わからないのではなく,努力が足りないんだ!」 

と強く念じるのだ。
(まくべんの掟に従い,太文字は声に出して,3回以上読んでいるだろうか。)

 それでも心がゆらぎそうな時は,
呪文を,邪悪が退散するまで唱え続けることだ。
(授業中や公衆の面前では遠慮してほしい。よい迷惑である。)
すると,邪悪は去り,再びやる気が訪れる。

しかし,時に,
努力なしで,この呪文を唱える愚者がいる。

そいう者にとって,この呪文は
「強力な麻酔薬」となる。
努力
なし「ワタシはやればできるんだ」は,
以後の
「やる気」を完全にマヒさせてしまうので要注意である。

呪文は正しく使ってこそ,正しくはたらくのだ。
(用法・用量はキチンと守ってほしいものである。)

これが
「まくべん教」神髄である。