第20スキルの2
「あとがきに見る橋本少年の姿」

~橋本左内の「啓発録」に学ぶ 解説編その6~



全6巻となった「啓発録」シリーズである。

製作期間も足かけ3年という
まくべん史上,かつて無い…
壮大なスケールでお届けしてしまったのである。
(まる1年間はホッタラカシ状態ではあったが,キニシナイ,キニシナイ)

無意味に長い…というお声もあるかもしれないが…
それには,まくべんも同感である。



それはさておき!!

橋本左内先生の「啓発録」には
二つの
「あとがき」がある。

一つ目は,啓発録執筆直後に
橋本先生が,希有初録執筆の動機と
執筆後の心境を書いている。

二つ目は,執筆後10年がたち
再び啓発録を手に取った橋本先生が
そのときの思いを書いている。

両方とも,とても興味深い内容なので
この際,紹介しておこうと思うのである。

では,一つ目のあとがきの原文から参る。



【あとがき其の一(ほぼ原文)】

以上五目,少年学に入るの門戸とこゝろえ,
書聯申候者也。

右,余,厳父の教を受け,常に書史に渉り候処,
性質疎直にして柔慢なる故,遂に進学の期なき様に存じ,
毎夜臥衾中にて涕泗にむせび,何とぞして吾身を立て,
父母の名顕し,行々君の御用にも相立,
祖先の遺烈を世に耀し度と存居候折柄,
遂々吾身に解得致し候事ども有之候様,覚申すに付,
聊書記し,後日の遺亡に備ふ,
敢て人に示す処にあらず。

嗚呼如何せん,吾身刀圭の家に生れ,賤技に局々として,
吾初年の志を遂る事を不得を,然れども所業は此に在りても,
所志は彼に在り候へば,後世吾心を知り,
吾志を憐み,吾道を信ずる者あらん歟。

嘉永戊申季夏

橋本左内誌





【あとがき その一(まくべん訳)】

これまでの5項目は,
少年学問を始めるときの
最も大切な心構えを書いたものである。

私は,父の教えを受けて,経書と歴史書を読んできたが
メンドクサガリでだらしない性格のため,
どうせ勉強してもダメだろうと思えて
毎晩ふとんの中で涙を流していた。

そこで,なんとかして
ビッグになって
父や母の名前まで有名にし
ゆくゆくは殿様のお役にも立って
御先祖様の名誉まで輝かせたいと願った。

最近になって
「このままではいけない」
強く感じるようになってきた。

その気持ちを
忘れてはいけないと考えて
書き残したのある。

決して人に読ませようと思って書いたのではない。



しかし,
いったいどうしたらよいのだろう…。

私は医者の家に生まれ,家を継がなくてはならない。

コセコセと医術の勉強をしているばかりで
私が
本当にやりたいと望んでいること
できなくて
くやしいのだ。

しかし,私の仕事が医者であっても
私の意志は,これまでに書いてきたので,
後の世で,私の気持ちを知り
夢を実現できなかった私に同情し
私の意志を理解してくれる人がいてほしいと思う。

嘉永元年(1848年)夏

橋本左内



さて,中学生諸君の心に,どのように響いただろうか?

読んでいて感じたかもしれないが…
15才の橋本左内先生は,
決して,生まれつきの天才でもなければ
上から目線のイヤなヤツでもない。


啓発録を書く以前は
面倒くさがり怠け者だったようで,
自分の
将来の職業勉強の成績について
寝床で涙を流すほど悩み
苦しんでいる。

そのころの様子を推測するならば…
厳しい父親から
「経書」といわれる儒教の教典などを読まされ
多分,強引に
勉強させられていたのではないか…と思う。

その割には成果が出ないから
非常に苦しい状態である。

医師の仕事を継がなければならないという
プレッシャーもさることながら
どうやら,
本当にやりたいことが別にあったのだ。

その夢を断ち切り,
家業を継ぐ決心をするために
自分の意志を「啓発録」に残した…。

だいたい,そんなところだろう。


そう考えると,
15才橋本少年の姿が
自分の将来や勉強の成績,進学で悩む
現代中学生の姿と重なってくるのである。

決して,遠い雲の上の人ではない…。

まくべんは,そう感じるのだ。

さて,次の「あとがき」は,
24才になった橋本左内先生が
本箱を整理していたら,
自分の書いた「啓発録」を見つけて
それを読んだときの感想である。

原文は「漢文」で書かれているため
ちょっとだけ読みやすいように
「書き下し文」として載せておくのである。



【あとがき其の二 書き下し文】

右啓発録は,今を距つること十許年前,余が手記する所也。

其言浅近なりと雖ども,当時を顧みるに憤恌の之奮ひ且つ厲しき,
反つて今日の及ぶ所に非也。

近頃偶旧簀を撿して之獲たり。
因りて一本を浄写し,愛友子秉及び弟持卿に示す。
以て啓発の地と為す。

嗚呼十年前,既に彼の如し,而して今日此の如し。
則ち今よりして十年之後,其将た何如乎。

繙閲の間,覚えず赧然たり。

丁巳皐月     景岳 紀 識

時に年二十又四




【あとがき その二 まくべん訳】

この啓発録は,約十年以前に私が書いたものである。

内容は
「まだまだ未熟だなあ」というものだが
当時の自分の
やる気のすごさは
今の自分でも
勝てないだろうと思う。

最近になって本棚を整理していて偶然見つけたものである。
そこで,一冊を書き写して私の親友の溝口辰五郎と
自分の弟の橋本琢磨に見せた。
それによって,強い
やる気を起こさせるためである。

ああ,考えてみれば十年前の私は
これほどの
強い意志をもっていた。

それなのに今はこのような状態である。
これから十年後に私はどのような心境になっているだろうか。
読み返しながら,おもわず
恥ずかしくなった

安政5年(1858年)5月

景岳紀(橋本左内) 年齢24才




自分が昔書いたものを読んで
その意志(やる気)の高さに驚きながら
同時に,今の自分の状態を恥ずかしく思う
橋本先生の思いが書かれている。

文章には
「今の自分が恥ずかしい」と書いているが
当時,橋本左内は,幕政改革や開国推進のブレーンとして
江戸幕府からマークされるほどの人物であった。

きっと,「今の自分が恥ずかしい」と感じるほど
「啓発録」の中に強い意志(やる気)を感じたのだろう。

だから,本のコピーまで作って
二人の若者に示したのだろう。

橋本左内は,このあとがきを書いてから
およそ1年半後の安政6年10月(1859年11月)に
大老井伊直弼の画策により処刑されこの世を去るのだ。

そして,「あとがき其の一」に書かれている
橋本少年の意志「啓発録」という文章として
今に受け継がれ,
現代を生きる多くの中学生
強い
メッセージを送り続けているのだ。

あとは…橋本少年のメッセージを
アナタが,どういうかたちで受け取るのか・・・
すべては,
そこにかかっているのである。

(今度こそ…完)





直線上に配置