第19スキル
「勉学(べんがく)」

〜橋本左内の「啓発録」に学ぶ 解説編その4〜



さてさて…である。

「稚心」ったし,
「気」ったし,
「志」てた中学生諸君!

(オイオイ…そんなトントン拍子に進むわけはない。)
(でも,一切構わない…お話はドンドンドンと先へ進むのである…申し訳ない。)


次は,そのテンションを持続するための
「学」のお話である。

「立志式」での校長先生のお話は
だいたい「立志」の部分でオシマイになるのだが
さすがは幕ノ内勉強新聞である。

「こうなったら,最後まで行ってみたい。」
そんな中学生のために,まだまだ続くのである!
(はい!ここで拍手!…パチパチパチ…)

では,原文から参ろう…!



「勉学(ほぼ原文)」

学とは,ならふと申す事にて,
総てよき人すぐれたる人の善き行ひ,
善き事業を迹付して,習ひ参るをいふ。

故に忠義孝行の事を見ては,直に其人の忠義孝行の所為を慕ひ傚ひ,
吾も急度其人の忠義孝行に負けず劣らず,
勉め行き候事,学の第一義なり。

然るに後世に至り,宇義を誤り,詩文や読書を学と心得候は,
笑かしき事どもなり。

詩文や読書は,右学問の具と申すものにて,
刀覇鞘や,二階梯の如きものなり。
詩文読書を学問と心得候は,
恰も柄鞘を刀と心得,階梯を二階と存候と同じ,
浅鹵粗麁の至りに候。

学と申すは,忠孝の筋と文武の業とより外には無之,
君に忠を竭し,親に孝を尽すの直心を以て,文武の事を骨折勉強致し,
御治世の時には,御側に被召使候へば,
君の御過を補ひ匡し,御徳を弥増に盛んになし奉り,
御役人と成り候時は,其役所役所の事,首尾能取修め,
依怙贔屓不致,賄賂請謁を不受,
公平廉直にして,其一局何れも其威に畏れ,
其徳に懐き候程の仕わざをなし可申義を,平世に心掛け居り,
不幸にして乱世に逢ひ候はば,各々我居場所の任を果して寇賊を討平げ,
禍乱を克定め可申,或は太刀鎗の功名,組打の手柄致し,
或は陣屋の中にありて,謀略を賛画して,敵を鏖にし,
或は兵糧小荷駄の奉行となりて,
万兵の飢渇不致,兵力の不減様に心配致し候事抔,兼々修練可致義に侯。

此等の事を致し候には,胸に古今を包み,
腹に形勢機略を諳し蔵め居らずしては,叶はぬ事共多く候へば,
学問を専務として勉め行ふべきは,読書して吾知識を明かに致し,
吾心胆を練り候事肝要に候。

然る処,
年少の間は兎角打続き業に就き居候事を厭ひ,
忽読忽廃し,忽習文講武といふ様に,暫く宛にて倦怠致すものなり。
此甚だ不宜,勉と申すは,力を推究め,
打続き推遂候処の気味有之字にて,何分久を積み,
思を詰不申候はでは,万事功は見え不申候。

まして学問は物の理を説,筋を明かにする義に候へば,
右の如く軽忽粗麁の致し方にて,真の道義は見え不申,
中々有用実着の学問にはなり申さぬなり。
且又世間には愚俗多く候故,学問を致し候と,
兎角驕謾の心起り,浮調子に成て,或は功名富貴に念動き,
或は才気聡明に伐り度病,折々出来候ものにて候。
これを自ら慎み可申は勿論に候へども,
茲には良友の規箴至て肝要に候間,何分交友を択み,
君仁を輔け,吾徳を足し候工夫可有之候。




「勉学(まくべん訳)」

「学」
というのは,習うことである。
「よき人」の立派な行動や成果を習い,
自分もやってみようとすることである。
(この「やってみよう」がポイントなのだ。)
(「やってみよう」がなければ,学問は決して自分のモノにはならない。)


だから,「よき人」の忠義
(主君につくすこと)
孝行
(親を大切にすること)の立派な行いを習ったら,
すぐに「自分もできるようになろう」と決心し,真似するべきである。

自分もそれらの「よき人」の考えや行動に
負けないぞ…
努力することが,「学」ということの第一の意義である。


ところが…である。

後の時代になって文字の意味を誤解して,
「学」とは詩や文を書いたり本を読むことであると考えられているが
これは間違いである。

作詩・作文や読書は,
「学」付属品のようなものである。

刀と柄
(つか)や鞘(さや)
建物の二階と階段のような関係にある。

だから…,作詩・作文,読書を「学」と考えるのは
ちょうど柄や鞘を「刀」と考え,
階段を「二階」と考えるのと同じで
本当に幼稚な考え方なのである。


「学」の本当の目的は二つしかない。

「忠孝の精神を養うこと」
「文武の道を修行すること」
である。

主君に「忠義の
真心(まごころ)」をもって奉仕し
両親に「孝行の
真心」をもって仕える。
そして,その
「真心」で,
文武の道を
一心に勉強することである。

その努力の結果…
平和な時代に
主君の側近として就職した場合…
(今で考えると「高級官僚」というところか…)
もしも…主君が
間違った決断をしそうなときは,
間違えないようにきちんとサポートする必要がある。
(これが,ホントに難しいコトなんだけどね…)
そのことで,
「主君としての好感度」アップするように努力するべきである。
(自分の好感度ではない。自分の御主人の好感度である。)


また,
役所に就職した場合は…
(今で考えると,一般的なサラリーマンなどである。)
その役所の
仕事パーフェクトにこなし
ヒイキしたりワイロを受け取ったりしないで
全てのコトに対して
「公平・公正」であるべきである。

役所の他の職員から,その仕事ぶりに対して
心から尊敬されるほどなければならないのである。


もしも運悪く
戦乱の世になったならば…

武士の一人一人が,
自分の役割ときちんと果たして,敵を撃退し
平和な世の中にしなければならない。

そのためには,槍
(やり)や刀で戦う戦闘員
武術を駆使して敵をやっつけなければならない。

作戦本部で
指揮する者
確実に勝てる作戦を考えなければならなし

後方支援で食料や兵器の調達など仕事をする者は
味方の兵士が飢えたり,武器が不足しないように
様々な努力をしなければならない。

そのためには,日頃から様々な工夫努力
積み重ねなければならない
のである。

武士として
これらのことが
いつでもできるようになるためには,
昔から今に至るまでの
多くの知識学んで覚え,
様々な緊急事態に対する,
状況に応じたベストな解決策
暗記するくらいでなければならないのだ。

そのためには
学問を自分にとっての
第一の「つとめ」とすることである。

本を読んで知識を広げ
自分の思考力を高めることが大切
なのである

しかし,そうは言うけどね…である。

子どもというものは,一つのことを続けて頑張ることをイヤがるものだ。
本を読み始めたかなと思うと,すぐにやめてしまう。
勉強してたと思ったら,
いつのまにか武道の練習に切り替えるなど,
ちょっとやっては,すぐにあきてしまうものである。
これは,学問をする上では,
非常によくないコトなのだ。



次に
「勉(べん)」についてである。

「勉」とは…,
目的を達成するまで,自分でベストをつくす
という意味である。

何事にも影響を受けず,
長時間強い意志を持ち続け,
努力を重ね続けなければ目的を達成することはできない。

まして学問は,
物事の正しいすじみちを明らかにすることだから
前に述べたような中途半端な方法では,
いつまでたっても人としての正しい道は理解できずに,
世の中のために役立つ学問にはならないのである。

さらに注意したいのは…,

世の中には
「愚かな人」が多いことである。

そんな人が学問を始めると,
それを自慢して調子にのってしまうのである。
お金権力にだけ興味をもつようになったり,
「自分の才能や能力を自慢したい病」になったりする。

これらのことには,自分で気をつけるのは当然であるが,
「良き友」から注意してもらうことが,とても効果的である。
なんといっても「良き友」と付き合わなければならない。

「良き友」からの注意は,
自分の心をみがくためのアドバイスとして
素直に聞き入れ,
自分の未熟な部分を補っていくように心がけるべきである。



以上
橋本左内の「啓発録」より第4目「学に勉む」であった。

要は…
「学問」の目的は二つ。
「忠孝の精神を養うこと」と「文武の道を修行すること」。
今の時代で考えるなら
「社会で生きるための心構えを養うこと」と
「それを実現するために学力や体力を高めること」

と解釈できるのではないか…と考える。

また,
中途半端な気持ちでは
「学問」は身に付きませんよ〜
ということ


そして,
学校の成績がよいことを自慢するようでは
まだまだ,アマちゃんだね…

ということ…だね。



しかし,なんである。

武士の時代も現代も…
「勉強は何のためにするのか…」
という問に対して
「もちろん自分のため」…ではあるが
「人のために役立つ自分になるため」
という考え方が脈々と流れ続けているような気がする。

中学生は中学生であるだけで
既に世の中の人々の暮らしに
大きく貢献しているのであるが
さらに大きく貢献できる
主権者たる国民になるために
毎日の勉強に励んでいただきたいものである。

毎日のようにアナタが取り組んでいる「勉強」には
実は…そんな深い意義もあるのである。

ガンバレ! 中学生!
ガンバレ! ニッポン!
ガンバレ! まくべん!


校長先生のお話は,まだまだ続くのである…。





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