第18スキル
「立志(りっし)」

〜橋本左内の「啓発録」に学ぶ 解説編その3〜



「振気」を支える「志」とはナニか?

ナゼ故に
「志」「立」することが大切なのか?

どうして全国あちこちの中学校では
「立志式」なる行事があるのか?

立志式での校長先生のお話は
ナゼにあんなに長いのか…

それらの謎が,今解き明かされる…
ハズである。



「立志(ほぼ原文)」

志とは,心のゆく所にして,我こころの向ひ趣き候処をいふ。
士に生て,忠孝の心なき者はなし。
忠孝の心有之候て,我君は御大事にて,我親は大切なる者と申す事,
聊にても合点ゆき候へば,必ず我身を愛重して,
何とぞ我こそ弓馬文学の道に達し,古代の聖賢君子英雄豪傑の如く相成り,
君の御為を働き,天下国歌の御利益にも相成候大業を起し,
親の名まで揚て,酔生夢死の者にはなるまじと,
直に思付候者にて,此即志の発する所也。
志を立るときは,此心の向ふ所を急度相定,
一度右の如く,思詰候へば,弥切に其向きを立て,
常々其心持を失はぬ様に持こたへ候事にて候。

凡志と申は,書物にて大に発明致し候か,
或は師友の講究に依り候か,
或は自分患難憂苦に迫り候か,
或は憤発激励致し候歟の処より,立ち定り候者にて,
平生安楽無事に致し居り,
心のたるみ居候時に立事はなし。

志なき者は魂なき虫に同じ,
何時迄立ち候ても,丈けののぶる事なし。
志一度相立候へば,其以後は日夜逐々成長致し行き候者にて,
萌芽の草に膏壌をあたへたるがごとし。
古より伐傑の士と申候んとて,目四ツ口二ツ有之にてはなし。
皆其志大なると逞しきとにより,遂には天下に大名を揚候なり。
世上の人多く碌々にて相果候は他に非ず。
其志太く逞しからぬ故なり。

志立たる者は,恰も江戸立を定めたる人の如し。
今朝一度御城下に踏出し候へば,
今晩は今荘,明夜は木の本と申す様に,逐々先へ先へと進み行申候者也。
譬ば聖賢豪傑の地位は江戸の如し。
今日聖賢豪傑に成らん者をと志し候はゞ,
明日明後日と,段々に其聖賢豪傑に似合ざる処を取去り候へば,
如何程段短才劣識にても,遂には聖賢豪傑に至らぬと申す理はこれなし。
丁度足弱な者でも,一度江戸行き極め候上は,
竟には江戸まで到着すると同じき事なり。

偖右様志を立候には物の筋多くなることを嫌ひ候。
我心は一道に取極め置き不申候はでは,
戸じまりなき家の番するごとく,盗や犬が方々より忍び入り,
迚も我一人にては,番は出来ぬなり。
まだ家の番人は随分傭人も出来候得共,心の番人は傭人出来不申候。
さすれば自分の心を一筋に致し,
守りよくすべき事にこそ。

兎角少年の中は,
人々のなす事致す事に,目がちり,心が迷ひ候て,
人が詩を作れば詩,文をかけば文,
武芸とても,朋友に鎗を精出す者あれば,
我今日まで習ひ居たる太刀業を止て,
鎗と申す様に成り度きものにて,これは正覚取らぬ,第一の病根なり。
故に先づ我知識聊にても開候はば,
篤と我心に計り,吾所向所為をさだめ,
其上にて師につき,友に謀り,吾及ばず足らはぬ処を補ひ,
其極め置たる処に心を定めて,
必多端に流れて,多岐亡羊の失なからんこと,願はしく候。
凡て心の迷ふは,心の幾筋にも分れ候処より起り候事にて,
心の紛乱致し候は,吾志未だ一定せぬ故なり。
心定まらず心収まらずしては,
聖賢豪傑には成られぬものにて候。

何分志を立る近道は,経書又は歴史の中にて,
吾心に大に感徹致し候処を書抜き,壁に貼し置き候か,
又は扇抔に認め置き,日夜朝暮夫を認め咏め,吾身を省察して,
其不及を勉め,其進を楽み居り候事,肝要にして,
志既に立候時は,学を勉むる事なければ,
志弥ふとく逞くならずして,動もすれば聡明は前時より減じ,
道徳は初の心に慚る様に成り行くものにて候。




「立志(りっし:まくべん訳)」

「志
(し)とは心の進むべき方向を示す言葉である。

武士として生まれた者に「忠孝」の心がない者は一人もない。
(「忠孝」とは主君や親に対する真心である。)
忠孝の心を持っていて
主君と親ほど大切なものはないと理解している者は
自分に対してとても厳しく
武芸全般や,勉強の道で大きな成果を出すのである。

昔の賢者,君子,英雄,豪傑と言われる人々の仲間入りをして
主君のために自分の人生や命を犠牲にして
天下,国家の利益になるような大活躍して
自分の親の名前まで有名にするのだ。
そのためには
自分の一生を無駄にしないように考えるのが当然である。
ここまでできて初めて
「志」は完成したと言えるのである。

一度「志」を立てたからには
何よりもまず
「目標」を定め
少しの時間も無駄にせず
目標達成のために確実な方法で頑張り
途中で「やる気」を失わないようにすることが大事である。


「志」はどんなときに「立つ」かというと
だいたい,次の
4つのパターンがある。

第1は…
読書
をしていて,昔の人物のことを知り,
「自分もそのような人物になろう」と思ったときである。

第2に…
先生から何かモノスゴイ話を聞いた結果
自分にやる気が起こったときである。

第3に…
何らかの理由で
自分がピンチに立ったときである。

第4に…
自分が何かに
強く感動したときである。
日常をタダ,ボ〜ッと過ごしている人間は
心がゆるみきっているので
とてもとても「志」を「立てる」ことはできないのである。


「志」を持たない人間は魂のない虫と同じで,
いつまでたつても発展することはナイ。

だから,一度何物にも邪魔されないほどの
強い「志」が立てば
それ以後はガンガンと成長していくものであり
芽を出したばかりの草に
栄養の多い土を与えるのと同じことなるのだ。

昔から天下に名を揚げた人物は
特別に目が4つあつたワケでもなければ
口が2つあったワケでもない。
みんな,その大きな「志」と,強い意志(振気)によって
ビッグな人物になったのだ。
大多数の世間の人々がそれと反対に平凡に一生を終るのは
「志」が小さく,意志が弱いからである。



「志を」立てた者は,
何かの目的で(福井から)江戸に旅立つ者に例えることできる。
朝,福井を出発すれば,夜には今荘(地名)にたどり着き
次の夜には木の本(地名)に着くといった具合に
日に日に目的地に近付くことが可能となる。
過去の有名な賢者や勇者になりたいという目標は
目的地を江戸として旅をするようなものだ。

今日,今から賢者や,勇者になろうと決意したを者が
明日,明後日と徐々に
「それに合わない性質」
少しずつでも捨て去っていけば
最初はどんなに才能に欠けた人物でも
最後には賢者,勇者の地位にまで到達できる
ワケである。

ちょうどこれは,足腰の弱い者でも
江戸に行こうとする目的が強ければ
いつかはきっと到着するのと同じである。


次に…
「志」を立てた以上は
その目的を達成しなければ意味がない。


目的を達成するには必死になって
その方面だけに集中しなければならない。
そして
その方面以外のことは全てを犠牲にする必要がある。

自分の心を集中させられない…ということは
自分の家の戸締まりをキチンとしないようなもので
ドロボーさんやノラ犬さんなどが勝手に入り込み
とても安心なんかできないものである。

また
家の番人なら他の人にお願いすることもできるだろうが
自分の心の番は,いったい誰が引受けてくれるのだろうか。
結局
自分の心を目標に向けてしっかりと持ち
自分自身で十分に監視する以外はない
のである。

目的に向かって脇目もふらず一直線に進むのは
とても困難なことである。

特に少年の頃は,他人がすることに左右され
心が迷いやすいもので
他人が詩を作れば詩
文章を作れば自分もその方面に行こうとする

武芸も同じで
友人に一生懸命に槍(やり)を練習する者がいれば
今日まで練習していた刀の練習を中止して
槍の練習を始める。
これこそ決心の定まらない
少年にとって悪いことの第一原因だと言える。

だから
自分の知識が少しでも開けたならば
深く深く考え,自分の将来の方針を決定し
その後に
先生についたり友人に相談したりして
足りない部分を補って
自分の考えがコロコロ変わったり
フラフラするようなことがないようにしながら
覚悟を決めなければならないのである。

心が迷うのは
心が幾通りにも分かれている証拠で
幾通りにも分かれているのは
自分の目的と方針がバラバラがからである。

昔から賢者となり,勇者となった者を見ると
心が一定せず,常に動揺しながら賢者・勇者になった…
という人は一人もいないのである。

志を立てるチャンスは前に書いたとおり
4つのパターンがあるが
自分で
目的を達成する手段には近道と遠回りがある。

私がその中で
最も近道だと思うのは
賢者の
書物,又は様々な歴史の本の中で
自分が特に刺激を受けた部分を
別の紙に書き出して壁に貼っておくか
又は扇(おうぎ)の表面などに書いておき
日夜,
朝夕それをながめて,常に反省しながら
自分が不足している部分勉強しながら
自分の進歩を楽しむように努力しなければならない。

また,「志」は立てても,勉強をキチンとしないと
いつの間にかの立てた「志」を忘れてしまいがちになる。

時とともに決意が薄れ
気持ちも低下してしまうものである。
だから
次は勉強に対する自分の考へを述べるのである。



以上
橋本左内の「啓発録」より第3目「立志」であった。

要は…

「立志」というのは自分の人生を充実させるためには
絶対に必要なものであるコト。


そして
「立志」のためのベストタイミングである
4つのチャンスを絶対に逃すな!!

というコトである。

さらに…
一度「立志」したら
その目標に向かって突き進め!!

というコトである。



そういえば…以前に読んだ2コマ漫画に
次のような会話があった

青年A:「決めたぜ。俺は,やるぜ…」
青年B:「やるって…何を?」
青年A:「…何かを…」
青年B:「…」

う〜ん…これでは
永久立志以前なのである。

「志」を立てることを「立志」して
それで安心していてはイケナイのである。


それは多分…凡人としての「完結」である。





直線上に配置