第16スキル
「稚心を去る」

〜橋本左内の「啓発録」に学ぶ 解説編その1〜



「2回に分けて紹介する」と言った
橋本左内「啓発録」であったが
その解説編を作成するうちに
「こりゃ,とんでもない量だな…」と冷や汗が出てきたのである。

舌の根も乾かぬうちで申し訳ないが
5〜6回のシリーズものになりそうである。

全く…後先を考えずに発言するので
こんなコトになってしまうのである。

賢明なる中学生諸氏は,このような失敗を犯さぬよう
「よく考えてから発言するのだ」よ…。
(ポリポリ…)



では,「啓発録」の現代語訳…いや,まくべん訳である。
第1回目は「稚心を去る」である。
いささかクドイようだが,再び原文からである。



「稚心(ちしん)を去る(ほぼ原文)」

稚心とは,をさな心と云事にて,俗にいふわらべしきこと也,
茶菜の類のいまだ熟せざるをも稚といふ,
稚とはすべて水くさき処ありて物の熟して旨き味のなきを申也,
何によらず稚といふことを離れぬ間は,物の成り揚る事なきなり。

人に在ては竹馬紙鳶打毬の遊びを好み,
或は石を投げ虫を捕ふを楽み,
或は糖菓蔬菜甘旨の食物を貪り,
怠惰安佚に耽り,
父母の目を竊み,芸業職務を懈り,
或は父母によりかゝる心を起し,
或は父兄の厳を憚りて,
兎角母の膝下に近づき隠るゝ事を欲する類ひ,
皆幼童の水くさき心より起ることにして,
幼登の間は強て責るに足らねども,
十三四にも成り,学問に志し候上にて,此心毛ほどにても残り有之時は,
何事も上達致さず,迚も天下の大豪傑と成る事は叶はぬ物にて候。

源平のころ,並に元亀天正の間までは,
随分十二三歳にて母に訣れ父に暇乞して,初陣など致し,
手柄功名を顕し候人物も有之候。
此等はみな稚心なき故なり。

もし稚心あらば親の臂の下より一寸も離れ候事は相成申間敷,
まして手柄功名の立つべきよしはこれなき義なり,
且又稚心の害ある訳は,稚心を除かぬ時は,士気振はぬものにて,
いつまでも腰抜士になり候ものにて候,。
故に余稚心を去るを以て士の道に入る始と存候なり。




「稚心を去る(まくべん訳)」

「稚心」
とは「幼(おさな)心」のことで,
まあ,わかりやすく言えば
「子供っぽい心」
である。

人間だけにあてはまるワケでなく
例えば果物,野菜などでも
まだ十分に熟していない時期を「稚(ち)」というのである。
それはだいたい水っぽくて
きちんと成熟した本来の味がしない時期なのである。
(まあ,半人前とか未完成品…というワケだ。)

世の中なんでも,この
「稚」から卒業しないうちは
な〜んにも発展しないのである。

もちろん人間も例外ではなく
馬のおもちゃや,凧あげや,ボール遊びが大好きで
石を投げたり,虫をつかまえたりする事に夢中になり
とにかく甘いものを食べまくって
勉強などする気が全くなく
親の目を盗んでサボっていたり
親へ甘え心がベッタリだったり
または
厳しい父親を怖がって
あま〜い母親のひざもとから離れないような人は
み〜んな「子どもっぽい心」が原因なのである。
(他にも,子どもっぽいというのはイロイロあるのだ。)
(社会の基本的なルールが守れない…といか)
(食べ物の好き嫌いが異常に多い…とか)
(人様の話がキチンと聴けない…とか)
(自分の権利ばかり主張する…とか)
(…)
(え? そんなの大人にもたくさんいるジャン!って?)
(はいはい,確かにたくさんいるのである。)
(そういう方々も含めて,みんな「子ども」なのである。)


これも,本当に幼い頃ならば,仕方がないのである。
しかぁ〜し
13歳や14歳になって
本格的に勉強を始めなければならない頃になっても
この心が少しでも残っているならば
物事は,な〜んにも上達しないのである。


とてもとてもビッグな人物に
なれるハズはないのである。

(ずいぶんと古い話になるが)
源氏と平家が東西に別れて戦ったときのこと
また最近
(と言っても左内さんの時代の最近である)では
戦国時代、元亀氏(正親町(おおぎまち)天皇)
のことを考えてみるとよいのである。

元亀氏は,天正
(平成みたいな年号)の頃
12歳か13歳の頃
父母から離れ,初めて戦場に立ったのである。

だいたいメジャーでビッグな人物はこんなものである。

それらの人々は,そのときすでに
完全に「稚心」を捨て去っていたのである。
もしも,「稚心」が残っていたら
親のそばから,ち〜とも離れられないので
戦場で大きな手柄を立てるなんて
全く考えられないのである。

「稚心」を捨ててしまわなければ
絶対に戦う気力や気迫などは起こってこない。
永久に腰抜武士として人々から軽蔑されることになる。

だから,私(橋本左内)は武士道の第一歩の心得として
「稚心」を捨て去ることを主張するのであ〜る。



以上,橋本左内氏による「啓発録」の第1目
「稚心を去る」の現代語訳
いや…まくべん訳である。

要は
いつまでも子どもっぽい心構えのままでいたら
どんなに勉強しようが
どんなに頑張ろうが
何もなし得ないし,上達しない。
中学生くらいの年齢になったら
「稚心」はキッパリと捨て去ることだ。

…というコトである。

いやはや…
本当に15歳が書いた文章であろうか?

現代の中学生にとっても
なんとも有り難い教えである。



だか…
今さら大声で
「戦場で大手柄を立てるのだ!」
と叫ぶと
「好戦的な危険思想だ!」とか
「軍国主義だ!」とか
「人の命をぞんざいに扱っている!」
様々な方面からお叱りを頂きそうであるが
そこはそれ…
時代の価値観の違い
というヤツである。

「戦場で大手柄を立てる」という言葉は
「社会に出て活躍する」くらいに
読み替えていただきたい。



しかし,もう一歩踏み込んで考えるならば…

アナタが橋本氏の時代に生まれていたならば
戦場で刀や槍を振り回し
不特定多数の相手と
命のやり取りをしなければならなかったかもしれない。

現代に生まれ,そして生きていることに
深く感謝したいのである。

ちなみに橋本左内は
26歳のとき「安政の大獄(1859年)」で処刑され
この世を去っている。





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