第15スキル
「幕末熱血少年の作文に学ぶ」
〜 橋本左内の「啓発録」 〜



今回紹介する人生訓・勉強訓は
橋本左内(はしもと・さない)

「啓発録(けいはつろく)」
である。

少々,原文や中身がハードなので
2回に分けて紹介するのである。



橋本左内は全国各地の中学校で
「立志式」「立志の集い」が開催される
節分の頃になると
「お約束」のように引き合いに出される
福井県出身の幕末の大偉人である。

左内は15才のときに
自分自身を奮起させるため
「啓発録」という文書を記している。

人生における目標の大切さや
その実現のために必要な心構えをまとめたモノである。

その中に「立志(りっし)」という項目があることから
「立志式」で引き合いに出されるワケである。



「いったい何をした人なの?」
そんな疑問がわいてくるだろうが…
その辺の詳しい解説は
歴史の先生におまかせしたい。

まくべんが解説すると
きっとトンデモナイコトになってしまうのである。
全国の中学生にデタラメを教えるワケにはいかないのである。


というワケで…早速,「啓発録」の中身を覗いてみるのである。
これから,260行は「啓発録」の原文である。
(限りなく原文に近い…といった方が正確である)

まず…
読めないと思う…
そして…
内容なんてとても理解できない
…と思うが
そこはそれ…
雰囲気だけでも味わってもらいたい。
幕末の15才が書いた文章である。

アナタも幕末熱血少年少女になったつもりで
読んでもらいたい…のである。

では!
参るぞ!!



「 啓 発 録 」
橋本左内 著(ほぼ原文)



稚心を去る

稚心とは,をさな心と云事にて,俗にいふわらべしきこと也,
茶菜の類のいまだ熟せざるをも稚といふ。
稚とはすべて水くさき処ありて物の熟して旨き味のなきを申也,
何によらず稚といふことを離れぬ間は,物の成り揚る事なきなり。

人に在ては竹馬紙鳶打毬の遊びを好み,
或は石を投げ虫を捕ふを楽み,
或は糖菓蔬菜甘旨の食物を貪り,
怠惰安佚に耽り,
父母の目を竊み,芸業職務を懈り,
或は父母によりかゝる心を起し,
或は父兄の厳を憚りて,
兎角母の膝下に近づき隠るゝ事を欲する類ひ,
皆幼童の水くさき心より起ることにして,
幼登の間は強て責るに足らねども,
十三四にも成り,学問に志し候上にて,此心毛ほどにても残り有之時は,
何事も上達致さず,迚も天下の大豪傑と成る事は叶はぬ物にて候。

源平のころ,並に元亀天正の間までは,
随分十二三歳にて母に訣れ父に暇乞して,初陣など致し,
手柄功名を顕し候人物も有之候。
此等はみな稚心なき故なり。

もし稚心あらば親の臂の下より一寸も離れ候事は相成申間敷,
まして手柄功名の立つべきよしはこれなき義なり。
且又稚心の害ある訳は,稚心を除かぬ時は,士気振はぬものにて,
いつまでも腰抜士になり候ものにて候。
故に余稚心を去るを以て士の道に入る始と存候なり。



振  気

気とは,人に負ぬ心立ありて,
恥辱のことを無念に思ふ処より起る意地張の事也。

振とは,折角自分と心をとゞめて,振立振起し,
心のなまり油断せぬ様に致す義なり。

此気は生ある者にはみなある者にて,
禽獣にさへこれありて,禽獣にても甚しく気の立たる時は,
人を害し人を苦しむることあり。
まして人に於てをや。

人の中にても士は一番此気強く有之故,世俗にこれを士気と唱へ,
いかほど年若な者にても,両刀を帯したる者に,
不礼を不致は,此士気に畏れ候事にて,
其人の武芸や力量や位職のみに畏れ候にてはこれなし。

然る処太平久敷打続,士風柔弱佞媚に陥り,
武門に生れながら武道を亡却致し,位を望み,
女色を好み,利に走り,勢に附く事のみにふけり候処より,
右の人に負けぬ,恥辱のことは堪へずと申す。

雄々しさ丈夫の心,くだけなまりて,腰にこそ両刀を帯すれ,
太物包をかづきたる商人,樽を荷ひたる樽ひろひよりもおとりて,
纔に雷の声を聞き,犬の吠ゆるを聞ても,郤歩する事とは成にけり。
偖々可嘆之至にこそ。

しかるに今の世にも猶未だ士を貴び,
町人百姓抔御士様と申唱るは,
全く士の士たる処を貴び候にて無之,我。

君の御威光に畏服致し居候故,無拠貌のみを敬ひ候ことなり。
其証拠は,むかしの士は,
平常は鋤鍬持,土くじり致し居候共,
不断に恥辱を知り,人の下に屈せず,心逞しき者ゆへ,
まさか事有るときは,吾 大御帝,或は将軍家抔より,
募り召寄せられ候へば,忽ち鋤鍬打擲て,物具を帯して,
千百人の長となり,虎の如く狼の如き軍兵ばらを指揮して,
臂の指を使ふごとく致し,事成れば芳名を青史に垂れ,
事敗るれば,屍を原野に暴し,
富貴利達,死生患難を以て其心をかへ申さぬ,
大勇猛大剛強の処有之ゆゑ,人々其心に感じ,其義勇に畏候へども。

今の士は勇はなし。
義は薄し,諜略は足らず,迚も千兵万馬の中に切り入り,
縦横無碍に駆廻る事はかなふまじ,
況んや帷幄の内に在て,運籌決勝之大勲は望むべき所にあらず。
さすれば若し腰の両刀を奪ひ取候へば,
其心立其分別尽く町人百姓の上には出申まじ,
百姓は平生骨折を致し居。
町人は常に職業渡世に心を用ひ居候ゆへ,
今若し天下に事あらば,手柄功名は却て町人百姓より出で,
福島左衛門大夫,片桐助作,井伊直政,本多忠勝等がごとき者は,
士よりは出申さゞるべきかと思はれ,誠に嘆かはしく存る。

箇様に覚のなきものに,高禄重位を被下,
平生安楽に被成置候は,偖々君恩のほど男す限りなきこと,辞には尽しがたし。
其御高恩を蒙りながら,不覚の士のみにて,
まさかのときに,我君の恥辱をさせまし候ては,返す返す恐入候次第にて,
実に寐ても目も合はず,喰ても食の咽に通るべき筈にあらず。

ことさら我先祖は国家へ奉対,聊の功も可有之候得ども,
其後の代々に至りては,皆々手柄なしに恩禄に浴し居候義に候へば,
吾々共聊にても学問の筋心掛け,忠義の片端も小耳に挟み候上は,
何とぞ一生の中に粉骨砕身して,露滴ほどにても御恩に報い度事にて候。
此忠義の心を撓まさず引立,後還り致さぬ様に致候は,
全く右の士気を引立振起し,
人の下に安ぜぬと申す事を忘れぬこと,肝要に候。
乍去只此気の振立候而已にて,志立ぬ時は,
折節氷の解け酔のさむる如く,
後還り致す事有之者に候,故に気一旦振立候へば,
方に志立候事甚大切なり。



立  志

志とは,心のゆく所にして,我こころの向ひ趣き候処をいふ。
士に生て,忠孝の心なき者はなし,
忠孝の心有之候て,我君は御大事にて,我親は大切なる者と申す事,
聊にても合点ゆき候へば,必ず我身を愛重して,
何とぞ我こそ弓馬文学の道に達し,古代の聖賢君子英雄豪傑の如く相成り,
君の御為を働き,天下国歌の御利益にも相成候大業を起し,
親の名まで揚て,酔生夢死の者にはなるまじと,
直に思付候者にて,此即志の発する所也。
志を立るときは,此心の向ふ所を急度相定,
一度右の如く,思詰候へば,弥切に其向きを立て,
常々其心持を失はぬ様に持こたへ候事にて候。

凡志と申は,書物にて大に発明致し候か,
或は師友の講究に依り候か,
或は自分患難憂苦に迫り候か,
或は憤発激励致し候歟の処より,立ち定り候者にて,
平生安楽無事に致し居り,
心のたるみ居候時に立事はなし。

志なき者は魂なき虫に同じ,
何時迄立ち候ても,丈けののぶる事なし。
志一度相立候へば,其以後は日夜逐々成長致し行き候者にて,
萌芽の草に膏壌をあたへたるがごとし。
古より伐傑の士と申候んとて,目四ツ口二ツ有之にてはなし。
皆其志大なると逞しきとにより,遂には天下に大名を揚候なり。
世上の人多く碌々にて相果候は他に非ず。
其志太く逞しからぬ故なり。

志立たる者は,恰も江戸立を定めたる人の如し。
今朝一度御城下に踏出し候へば,
今晩は今荘,明夜は木の本と申す様に,逐々先へ先へと進み行申候者也。
譬ば聖賢豪傑の地位は江戸の如し。
今日聖賢豪傑に成らん者をと志し候はゞ,
明日明後日と,段々に其聖賢豪傑に似合ざる処を取去り候へば,
如何程段短才劣識にても,遂には聖賢豪傑に至らぬと申す理はこれなし。
丁度足弱な者でも,一度江戸行き極め候上は,
竟には江戸まで到着すると同じき事なり。

偖右様志を立候には物の筋多くなることを嫌ひ候。
我心は一道に取極め置き不申候はでは,
戸じまりなき家の番するごとく,盗や犬が方々より忍び入り,
迚も我一人にては,番は出来ぬなり。
まだ家の番人は随分傭人も出来候得共,心の番人は傭人出来不申候。
さすれば自分の心を一筋に致し,
守りよくすべき事にこそ。

兎角少年の中は,
人々のなす事致す事に,目がちり,心が迷ひ候て,
人が詩を作れば詩,文をかけば文,
武芸とても,朋友に鎗を精出す者あれば,
我今日まで習ひ居たる太刀業を止て,
鎗と申す様に成り度きものにて,これは正覚取らぬ,第一の病根なり。
故に先づ我知識聊にても開候はば,
篤と我心に計り,吾所向所為をさだめ,
其上にて師につき,友に謀り,吾及ばず足らはぬ処を補ひ,
其極め置たる処に心を定めて,
必多端に流れて,多岐亡羊の失なからんこと,願はしく候。
凡て心の迷ふは,心の幾筋にも分れ候処より起り候事にて,
心の紛乱致し候は,吾志未だ一定せぬ故なり。
心定まらず心収まらずしては,
聖賢豪傑には成られぬものにて候。

何分志を立る近道は,経書又は歴史の中にて,
吾心に大に感徹致し候処を書抜き,壁に貼し置き候か,
又は扇抔に認め置き,日夜朝暮夫を認め咏め,吾身を省察して,
其不及を勉め,其進を楽み居り候事,肝要にして,
志既に立候時は,学を勉むる事なければ,
志弥ふとく逞くならずして,動もすれば聡明は前時より減じ,
道徳は初の心に慚る様に成り行くものにて候。



勉  学

学とは,ならふと申す事にて,
総てよき人すぐれたる人の善き行ひ,
善き事業を迹付して,習ひ参るをいふ。

故に忠義孝行の事を見ては,直に其人の忠義孝行の所為を慕ひ傚ひ,
吾も急度其人の忠義孝行に負けず劣らず,
勉め行き候事,学の第一義なり。

然るに後世に至り,宇義を誤り,詩文や読書を学と心得候は,
笑かしき事どもなり。

詩文や読書は,右学問の具と申すものにて,
刀覇鞘や,二階梯の如きものなり。
詩文読書を学問と心得候は,
恰も柄鞘を刀と心得,階梯を二階と存候と同じ,
浅鹵粗麁の至りに候。

学と申すは,忠孝の筋と文武の業とより外には無之,
君に忠を竭し,親に孝を尽すの直心を以て,文武の事を骨折勉強致し,
御治世の時には,御側に被召使候へば,
君の御過を補ひ匡し,御徳を弥増に盛んになし奉り,
御役人と成り候時は,其役所役所の事,首尾能取修め,
依怙贔屓不致,賄賂請謁を不受,
公平廉直にして,其一局何れも其威に畏れ,
其徳に懐き候程の仕わざをなし可申義を,平世に心掛け居り,
不幸にして乱世に逢ひ候はば,各々我居場所の任を果して寇賊を討平げ,
禍乱を克定め可申,或は太刀鎗の功名,組打の手柄致し,
或は陣屋の中にありて,謀略を賛画して,敵を鏖にし,
或は兵糧小荷駄の奉行となりて,
万兵の飢渇不致,兵力の不減様に心配致し候事抔,兼々修練可致義に侯,

此等の事を致し候には,胸に古今を包み,
腹に形勢機略を諳し蔵め居らずしては,叶はぬ事共多く候へば,
学問を専務として勉め行ふべきは,読書して吾知識を明かに致し,
吾心胆を練り候事肝要に候。

然る処,
年少の間は兎角打続き業に就き居候事を厭ひ,
忽読忽廃し,忽習文講武といふ様に,暫く宛にて倦怠致すものなり。
此甚だ不宜,勉と申すは,力を推究め,
打続き推遂候処の気味有之字にて,何分久を積み,
思を詰不申候はでは,万事功は見え不申候。

まして学問は物の理を説,筋を明かにする義に候へば,
右の如く軽忽粗麁の致し方にて,真の道義は見え不申,
中々有用実着の学問にはなり申さぬなり。
且又世間には愚俗多く候故,学問を致し候と,
兎角驕謾の心起り,浮調子に成て,或は功名富貴に念動き,
或は才気聡明に伐り度病,折々出来候ものにて候。
これを自ら慎み可申は勿論に候へども,
茲には良友の規箴至て肝要に候間,何分交友を択み,
君仁を輔け,吾徳を足し候工夫可有之候。



交 友 を 択 ぶ

交友は,吾連朋友の事にて,択とはすぐり出す意なり。
吾同門同里の人,同年輩の人,吾と交りくれ候へば,
何れも大切にすべし。

乍去其中に損友益友候へば,則択と申す為肝要なり。
損友は,吾に得たる道を以て,其人の不正の事を矯正し可遣,
益友は,君より親みを求め,車を詢り,常に兄弟の如くすべし。
世の中に益友ほど難有難得者はなく候間,
一人にても有之ば,何分大切にすべし。

総て友に交るには,
飲食歓娯の上にて附合,遊山釣魚にて狎合は不宜,
学問の講究,武事の練習,士たる志の研究,
心合の吟味より交を納れ可申事に候。

飲食遊山にて狎合候朋友は,其平生は腕を扼り肩を拍ち,
互に知己知己と称し居候へ共,
無事の時,吾徳を補ふに足らず,
有事の時,吾危難を救ひくれ候者にてはなし。

これは成り丈屡出会不致,吾身を厳重に致し附合候て,
必狎昵致し吾道を褻さぬ様にして,何とか工夫を凝して,
其者を正道に導き,武道学問の筋に勧め込候事,友道なり。

偖益友と申すは,兎角気遣な物にて,
折々不面白事有之候,夫を篤と了簡すべし,
益友の吾身に補ひあるは,全く其気遣なる処にて候。
士有争友雖無道不失令名と申すこと,経に有之候。

争友とは即益友也,吾過を告知らせ,我を規弾致しくれ候てこそ,
吾気の附ぬ処の落も欠も補ひたし候事,相叶候なり。
若右の益友の異見を嫌ひ候時は,
天子諸侯にして諫臣を御疎みなされ候と同様にて,
遂には刑戮にも罹り,
不測の禍をも招く事あるべきなり。

偕て益友の見立方は,
其人剛正毅直なるか,温良篤実なるか,
豪壮英果なるか,俊邁亮明なるか,濶達大度なるかの五つに出でず。

此等は何れも気遣多き人にて,
世間の俗人どもは甚しく厭弃致し居候者なり。
役損友は,佞柔善媚,阿諛逢迎を旨として,
浮躁弁慧,軽忽粗慢の性質ある者なり。
此は何れも心安く成り易き人にて,
世間の女子小人ども,其才智や人品を誉居候者なれども,
聖賢豪傑たらんと思ふ者は,其所択自ら在る所あるべし。



以上五目,
少年学に入るの門戸とこゝろえ,
書聯申候者也。

右余厳父の教を受け,常に書史に渉り候処,
性質疎直にして柔慢なる故,遂に進学の期なき様に存じ,
毎夜臥衾中にて涕泗にむせび,何とぞして吾身を立て,
父母の名顕し,行々君の御用にも相立,
祖先の遺烈を世に耀し度と存居候折柄,
遂々吾身に解得致し候事ども有之候様,覚申すに付,
聊書記し,後日の遺亡に備ふ。
敢て人に示す処にあらず,嗚呼如何せん。

吾身刀圭の家に生れ,賤技に局々として,
吾初年の志を遂る事を不得を,然れども所業は此に在りても,
所志は彼に在り候へば,後世吾心を知り,
吾志を憐み,吾道を信ずる者あらん歟。



どうだろう…
サッパリワカラナイだろう…


まくべんも…
サッパリである。


しかしである…

これが…江戸時代末期の15才の文章である。
なんだか,
とってもスゴイ…と思わないか?


では次回でジックリと
「啓発録」の中身について考えていきたい。

橋本先生…
よろしく御指導お願いいたします…
である。






直線上に配置