第13スキル「出水兵児修養掟(その3)」
 〜 え? 読んだが意味がわからない? 〜



ウルトラいじわる「まくべん」は
「出水兵児修養掟」の「読み」を伝授したのだが
なんと非情にも,その「意味」を指南せず
「勝手に読んだらぁ〜?」的な態度をとってしまったのである。


それはそれで十分に意図的な振る舞いなのであるが

「ワカラナイっ!」といった声を聞くと

「それくらいは自分で考えなさいっ!」
と言い放つワケにもいかないなぁ〜と感じているのである。


なにしろ,
現代の中学生には
極めて
難解な文章である。

「その1」から必死になって辞書を引き
自分なりの「解釈」を得た中学生もいることだろうが

おおかたの中学生は
たぶん,ナニもしていないハズだろうと思う。

「やってもやらなくてもヨイ宿題」は
だいたい「やらない」モノである。

そこで,今回は

「出水兵児修養掟」
現代的な解釈を添えて
三度(みたび)紹介申し上げるのである。


では,参るのである。



その前に…である。

「出水」とは現在の鹿児島県の出水市周辺のことである。
「兵児(へこ)」とは,鹿児島県で昔使われていた言葉で
「若者」のことである。
であるからして
「出水兵児」とは「出水の若者」と考えてもらいたい。

江戸時代,出水は薩摩(鹿児島)と肥後(熊本)との県境にあった街で
国境の守りとして武道が盛んに行われていたのである。

その出水で300年以上も昔
名地頭といわれた山田昌巖(やまだしょうがん)は
厳しい訓練によって出水兵児の肉体と精神を鍛えた。

その「教え」をまとめたものが「出水兵児修養掟」である。
当時の出水兵児たちは,この教えに従い
自分を磨くために日々鍛錬に励んだのである。




出水兵児修養掟
い ず み へ こ し ゅ う よ う の じ ょ う


士ハ節義を嗜み申すべく候
しは  せつぎを  たしなみもうすべく  そろ
武士(人)は日頃から「節義」を心がけなければならない


節義の嗜みと申すものは 口に偽りを言ハず
せつぎの  たしなみと  もうすものは  くちに  いつわりを  いわず
「節義の心がけ」とは,嘘(うそ)をつかない


身に私を構へず 心直にして
みに わたくしを かまえず  こころ すなおにして
自分勝手な発言や行動はしないで,ひねくれたりもしない


作法乱れず 礼儀正しくして
さほう みだれず れいぎ ただしくして
社会のきまりに合った動作や礼儀などをキチンと身につけ


上に諂らハず 下を侮どらず
うえに へつらわず  したを あなどらず
地位の高い人に気に入られようとペコペコせず
地位の低い人を見下してバカにすることなく


人の患難を見捨てず 己が約諾を違ヘず
ひとの かんなんを みすてず   おのが やくだくを たがえず
他人の災難や心配事を見捨てないで
自分が引き受けた事はキチンと最後までやり通す


甲斐かいしく 頼母しく
かいがいしく  たのもしく
勢いがあり,苦労することをいやがらず
手ぎわよく,テキパキと働き
人から頼りにされるようになることが大切である


苟且にも 下様の賤しき物語り悪口など 話の端にも出さず
かりそめにも  しもざまの  いやしき ものがたり あっこうなど  はなしのはしにも  ださず
一時的であっても,下品な話や他人の悪口(わるくち)などは
会話のちょっとした部分にも出さない


譬恥を知りて 首刎ねらるゝとも
たとえ  はじをしりて   くびはねらるるとも
たとえ名誉を傷つけられて,仕事を失うようなことになっても


己が為すまじき事をせず
おのが  なすまじきことを  せず
やってはイケナイ事は絶対にしない


死すべき場を 一足も引かず
しすべきばを  ひとあしも   ひかず
決死の覚悟を決めたときは,弱気にならずに頑張り通す


其心鐵石の如く 又 温和慈愛にして
そのこころ てっせきのごとく  また おんわ じあいにして
その精神は鉄や
のように固く,また,優しく深い愛情があり

物の哀れを知り 人に情あるを以て
ものの あわれをしり  ひとに なさけあるをもって
自然・人生・芸術などが理解できる洗練された心と
優しさと思いやりのある温かい心を持つ


節義の嗜みと申すもの也

せつぎの たしなみと もうすもの なり
それらの事を「節義の心がけ」と言うのである。


以上である。





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