第4言 「考える」という権利


【 今回の名言 】

人間は生まれながらに
考えることを運命づけられている。

しかもこの運命は,
あらゆる人間に共通に与えられており,
権利にもなっている。

この考える運命を避けようとする者が敗残者になり,
それをもっとも有効に使った者が
勝利者として君臨するわけなんだ。

本田宗一郎

「本田宗一郎からの手紙」より



【 まく説 】

親や先生から
「勉強しなさい」「勉強しなさい」「勉強しなさい」と
繰り返し繰り返し言われていると
なんだか「無理やり勉強させられているような気分」になってしまう。

「強制されて勉強している」と感じたり
「義務だからしかたなく勉強している」と思ったりする。

しかし,それは大きな勘違いなのである。

勉強は
「義務」ではなく「権利」なのである。


「えっ? 中学は義務教育だからじゃないの?」
と考える諸君もいるだろう。

義務教育という言葉は確かにあるが
それは
「子どもは勉強する義務がある」
ということではない。

「親は子どもに教育を受けさせる義務がある」
ということなのだ。


だから
勉強したくなければ,勉強しなくても良いのである。

勉強は「権利」なのだから
「放棄」することだってできる。

勉強しなかったからといって
法律違反で逮捕されることはない。

(親が子どもに義務教育を受けさせなければ逮捕されることはある)



「よかった,よっかた。では勉強は今日からヤメヤメ」
そう決断する前に,もう一度考えてみるのである。


勉強を放棄するのはかまわないが
「勉強を放棄した結果」まで同時にアナタのものになるのである。



映画館の入口でチケットを売っている。
映画館の前を通りがかった人には,
「チケットを買う」権利と「買わない」権利がある。
普通,映画を見たくない人は,チケットを買わない。
チケットを買わなかったからといって逮捕されることはない。
しかし,「チケットを買わない自由」を選んだ人は
絶対にその映画は見ることができないのである。

「人間は皆,平等だ〜」と叫びながら
チケットを買わずに強引に映画館の中に突入できないこともないが
そのときは,多分,「逮捕(補導)」されるのである。



【 まくげん 】

人間は生まれながらに
勉強することを運命づけられている。

しかもこの運命は,小学校の6年間と中学校の3年間,
なんと9年間も,あらゆる人間に平等に与えられており,
権利にもなっている。

この勉強する運命を避けようとする者は「人生が不自由」なり,
それをもっとも有効に実行した者が「人生が少し自由」になるだけなんだ。

「君臨できる」とか「したい」とかは,なんだか別の問題のような気がする。

(字余り)



  

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