第70小ネタ 「立って発表したい」
〜 「立つ」コトの効果 〜


諸君! 突然ではあるが…
「立って発表せよ!!」
である。

授業中に答えや意見や発表したり
部活のミーティングで意見や感想を述べたり
生徒会の会議で発言したり
その他,様々な場で
自分の考えや思いを述べる場合には…
「立って発表せよ」
である。

それが基本であり,効果的である。



なに?
いつも立って発表しているって?

それなら,よろしい。
特に問題はないのである。
ここから先は読む必要はない…かもしれないがぁ〜…
「なぜ,立って発表すること」が重要なのか?
その意味を知っておいても損はないのである。

お時間が許すなら
ちょっとの間,おつきあい願いたい。



さて…本題に入る前に…

教室で発表するときには
様々なパターンの発表方法がある。

これは,中学生自身の意志というより
授業をする担任の先生の意図によるところが大きい。

たとえば
先生が「毎回」キチンと手を挙げさせて指名をする。
すると生徒は立ち上がって自分の考えを述べる。

このタイプの先生は,なかなかの
凄腕(すごうで)であり
そんな先生に教わっている中学生も
なかなかの
凄腕がそろっていると予想できる。

小学校と違って,中学校では
なかなかこのタイプの授業にお目にかかれない。
高等学校になると,ますます少なくなるのである。

手を挙げさせるところが凄腕であり
立たせるところが凄腕であり
立って答えることろが凄腕である。



現在の中学校では
生徒が「座ったまま」発表するパターンが多いように感じる。

それはそれで様々な理由がある。
「より多くの意見を引き出そう」とか
「すこしでも生徒が発表しやすいように」とか
「時間の節約」とか
「立つときに机やイスがゴトゴトするのがイヤ」とか
ホントに様々な理由がある。

だから,その先生のやり方に横から口をはさんだり
ダメ出しをしようという気持ちは全くない。

全国の中学生諸君は
それぞれの担任のスタイルを尊重し
真摯(しんし)な気持ちで授業に臨んでもらいたい。


これから先,「まくべん」が主張するコトは
「もしも可能ならば…」
「自分の意志でなんとかなる状況ならば…」
「できるコトなら…」
というレベルで受け取ってもらいたいものである。



それはさておき!!

私たちは,先生の出す問題や質問に遭遇すると
なんとかして自分の思いや考えをまとめようとする。

頭の中のボンヤリした
「イメージ」「思い」「考え」
「あ〜でもない,こ〜でもない」と
ジタバタしながら「言葉」で表現しようとする。

実は,この
「思いや考えを言葉にする作業」
とてもとても,
難しい作業なのだ。

ところが
その難しさを分かっていない中学生が多いし
多分,先生方の多くも,分かっていないのでは…と考えてしまうのである。

普段から,特に意識しないで
「言葉」を口にしているので
無意識のうちに
「ナメてかかっている」場合が多い。
文章を書コトは難しい作業なのだが
思いや考えを「言葉」にするのは
もっともっと難しい作業なのだ。

普段の友達との会話では
わりと簡単に「思いや考え」が「言葉」になって出てくる。
それは,普段の会話では
「思いや考えを論理的に整理する必要がない」からである。



しかし,これが
例えば…
何らかの理由で,先生にしかられている…
という状況になると,話は変わってくるのだ。


自分がしかられている原因となったコトの
「理由や経緯」
それ対しての
「言い訳」「反省」など
様々なことがらを整理しながら…
同時に,先生のお説教を聞きながら
話を進めなければならなくなる。

万一,
言葉の整理に失敗すると
とんでもない修羅場が待っているのだ。


だから,しかられているときには
「思いや考え」を言葉にすることが
余計に難しくなるのである。

また,そのことが原因で黙り込んでしまうと
先生は言うのである。
「黙っていちゃ,わからんだろう。」
「思っていることを言ってみろ。」


『先生!それは勘弁してよ…』
である。
思っていることを,そのまま言えば…

「いい加減なコトを言うなぁ」
とか
「わけのわからんコトを言うなぁ」
とか
「言い訳をするなぁ」
といった,お言葉をいただくことになるのである。

理不尽(りふじん)である…。



それは…それはさておき!!

「思いや考え」をそのまま言葉にするとき
論理的に整理しながら言葉にするときとでは
アナタの
脳にかかる負担が大きく異なってくるのだ。

もちろん,後の方が脳が活性化し
脳が鍛えられるコトは簡単に想像がつく。


「発表する」ということは
「思いや考え」を,論理的に整理しながら
「言葉」したものを話す…というコト
である。

もちろん,座ったままでも発表はできるが
脳の活性化のレベルは大きく異なるのだ。

立って発表すると…
まず,
自分の目線高くなる。

自分にとっては周囲が見渡せるようになるし
周囲からは,どこからでも見られるようになる。
つまり,
「プレッシャー」が大きくなる。


同じ「話す」という行為でも
それを,どの「位置」や「高さ」でやるか…によって
プレッシャーは,大きく変化する。

人混みにまぎれてよりも,全員の前で…
聞き手と同じ高さよりも,一段高いところで…
一段高いところよりも,二段高いところで…
といった具合に,次第にプレッシャーは大きくなる。

プレッシャーが大きくなればなるほど
「イイカゲン」なコトは言えなくなる。
自分の意見の中身を
十分に分かっている必要が出てくる。

また,相手からの質問や反論にも備えなければならなくなる。
だから,ますます論理的に整理することが
重要になってくるのだ。

それも,相手に
「わかりやすく」である。

すなはち・・・十分に十分に十分に
脳を働かせる必要が出てくるのである。
それだけ脳が鍛えられるワケだ。



さらに,そういう経験に多く出会うことで
自信度胸も大きく成長するのだ。

もちろん,いつも発表がウマくいくワケではない。

間違った答えや意見で恥をかくこともある。
それによるダメージは
座ったままの発表より大きなモノになるだろう。

しかし,そのことにより
考え思い自信度胸
確実に大きな経験値を積むことになる。
よって,以後の思考や記憶は
より確実なものになるのだ。



そして何より!

社会人になったときに求められる
「公(おおやけ)と私(わたくし)」の区別
「思いと考え」の区別
「愚痴と意見」の区別

などなど,とても大切なモノを
身につけることができるのである。

できれば…立って発表したい。
そして,先生方も
できれば…立って発表させていただきたい。



「あ,君,立たなくてイイから」
と先生がおしゃったなら
「あ,すみません。立って言わせてください。」
「これが私のやり方ですから。」
と,胸を張って言いたいモノである。

どうだ!? できるか? 中学生諸君!!



う〜ん・・・しかしナンである。
最近のテレビの討論番組に,実に多くの政治家や評論家が登場する。
様々な発言が面白いように飛び交っているが
その多くは「座ったまま」の発言なのである。
国会議員ならTVではなく
国会の中で激論を交わしていただきたいのである。
もちろん「立って」である。

あ…まくべんも座ったマンマである。それもアグラをかいて座っている。
悪い大人の一人である。

(反省!)


  

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