第27小ネタ 「敬語は戦闘言語である」
〜 丁寧な言葉遣いのススメ 〜


「キレる」


だいぶ前から使われるようになった言葉である。

どうして使われるようになったのか。
どんな意味があるのか。

「まくべん」にはワカラナイのである。



しかし
勝手に予想するところ,多分・・・
「堪忍袋(かんにんぶくろ))の緒が切れる」
「切れる」ではないかと思う。

「堪忍袋」とは,実に古風な言葉である。

ちなみに辞書によると「堪忍」とは・・・
(1)人のあやまちを我慢して許すこと。勘弁。
(2)不利な立場や困難な状況を堪え忍ぶこと。
(3)経済力。また、生活費。

のことである



人は自分の心の中に「堪忍袋」を持っていて
他人のあやまちや,不愉快に出会うと
そのモヤモヤや怒りを「袋」の中に納めて
自分の外には出さないでいるらしい。

その袋の入口を
「緒」というヒモで固く結んでいる。

そして
このヒモの太さや強さは,人によって異なるのである。
ミシン糸みたいに細く弱い人もいれば
ロープのように太く頑丈な人もいる。

他人のあやまちや不愉快に,すぐ「カッと」なってしまう人は
堪忍袋の緒の弱い人である。

多分,それが「キレる」のだと思うのである。

「キレる」

なんとなく,そんな気がするのである。



ところで
学校や塾の先生方と話をしていて
「キレた」「キレてしまった」という中学生の話をよく聞く。

先生方に対して「キレた」の中学生のほとんどが
その後,「イヤナ目」に合うことになる。

【ケース1】
「おい,竹下! お前,作業当番だろ。階段のゴミ,そのままだぞ。」
「ちがうっすよ! 俺じゃないっすよ! ムカつくなあ!」
「何言ってるんだ。今週はお前達の班が当番のはずだぞ」
「だからぁ言ってんじゃん。俺じゃないっすよ。階段は・・・」
「スベコベ言わずに,さっさとやっとけ!」

合掌である・・・。

【ケース2】
「小渕君,今週の宿題,まだ提出してないよね。早く出しなさい」
「俺,出したよ」
「出したって・・・まだ出してないわよ。早く出しなさいね」
「出したって言ってんだろ」
「何言ってんの。まだよ。まだ出していないわよ」
「ちょ〜ムカつく! 俺の言うこと信じてねーじゃん」
「明日までだからね。いいわね」

これまた合掌である。

【ケース3】
「小泉ぃ! おまえ,呼び出したのに,どうして来ないんだ!」
「なんのことっすかぁ?」
「昼休みに職員室に来いって言ったろう」
「え,聞いてねぇよ!」
「聞いてねえ・・・って,さっき言ったじゃないか。教室で!」
「聞いてねえ〜よ,オレ!!」
「ちょっと,来い! おらっ! こっちだ!」
ズルズルズル(耳をつかまれ,特別指導室に引きずられていく音)

深く・・・合掌・・・である。

楽しい学校生活で,よく見かける風景である。



こんな「キレる」が原因で起こるモヤモヤ感は
絶対に避けたいものである。

そして,キレないための特効薬が
「敬語」
である。

何?
「嫌な先生に向かって,なんで敬語をつかわなきゃならないんだ」ってか?

そんな考えを持つのは当然である。
嫌いな人に敬語を使う・・・
これは,一見,相手に媚(こ)び諂(へつら)っているようである。
「自分のプライドが許さない」と感じる人もいるだろう。


しかしである。

そう感じる人はまだ
「敬語の神髄(しんずい)」
が分かっていない人である。
「アマちゃん」である。
「餓鬼(がき)」である。


敬語は,決して「相手に媚び諂うための言葉」ではない。

逆である。

「敬語」は
相手と五分と五分とで渡り合い
相手に自分の主張を認めさせるための
「戦闘言語」
なのだ。


ちなみに,「戦闘言語」はまくべんの造語である。
辞書には載っていないし
試験にも出ない。
あしからず。




相手に自分の意見や考えを認めさせるのは
実にムズカシイことである。
相手が「目上」の人なら,なおさらで
「先生」ともなると,絶望的にもなる。

なぜか・・・。

まず
自分の話をキチンと
「聞いてもらう」のがムズカシイ。

「目上」の人から言わせれば
「目下」の人から
「聞いてねぇ〜よ!」
では,カチンと来る。

カチンときたら,自動的に「キレた状態」になる。
「キレた目上の人」が,その後,冷静にアナタの話を
聞くことができるワケがない・・・のである。

だいたい
次のターンで「目上の人」は
威圧(いあつ)的な言葉で攻撃してくる。
「ゴチャゴチャ言わないで,さっさとしろっ!」
である。

まずは
相手を
「キレさせてはならない」のである。

相手の「心の安定」を
こちらが確保してやらなければならない。

相手の「心の安定」があってこそ
相手と自分の立場は「五分と五分」になる。

あとは,自分の考えや意見を,キチンと伝えればよい。

それが「敬語」である。



【ケース4】


「おい,山田! お前,作業当番だろ。階段のゴミ,そのままだぞ。」

「先生,それは,違います。確かに僕は掃除当番ですが・・・」

「掃除当番なら,さっさとやれ!」

「いえ,先生,少し話を聞いていただけませんか」

「な,何だ・・・」

「確かに僕は,掃除当番で,廊下の担当になっています。ですが・・・」

「・・・」

「僕は,さっき,廊下の掃除をすませました。その時はゴミは残っていませんでした。」

「でも,実際,ゴミが残っているだろう〜!!」

「でも,僕が当番に仕事をサボったと思われるは困ります。
僕で良ければゴミはスグに片づけますから,
当番をサボったと思うのだけはやめてください。」

「わ,わかった・・・さっさとやっとけよ・・・」


あなたの勝ちである。

それも
嫌な先生より,ずっと「大人の立場」での「勝ち」である。

このように,敬語は実に物静かな
そして強力な「戦闘言語」なのである。

ちなみに
アナタが「敬語」で目上の人に接しているのに
それでも相手が「キレた」場合は
相手が「幼い」だけである。
そんな場合も「あなたの勝ち」である。



大人の社会では,様々な場面で「敬語」が使われる。

あなたの父が母が,相手に対し
「敬語」を使ってペコペコいる場面に出会ったら
「な〜んだ,うちの父ちゃん」
「エライ相手にはアタマが上がんないんだから」
「情けないと言うよりハズカシイね」

と思ってはイケナイ。

あなたの父や母は
死力を尽くして
「戦闘中」なのである。

立派な「お父上」「お母上」である。



  

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