第60手 「ノートの心得」
〜 何のためにノートを取るのか? 〜



「ノートの取り方」は難しい。

「何を書けばよいのか?」
「先生の板書(黒板の文字)は全て写すのか?」
「教科書の図は写さなければならないのか?」
「色は何色くらい使えばよいのか?」

まだまだあるが
以下省略である。



毎度のことながら
最初に断っておくのである。
「これが正しいノートの取り方」というものはない。

「良いノート」は,人によって様々である。

「こうした方がイイ」とか
「こんなやり方がイイ」と
いろいろと紹介はできるが
「これが決め手!というものは無い」
と思ってもらいたい。



また
小手先のテクニックだけで
「ノート取り」をナントカしようとしても
決してウマくはいかないものである。

「ノート取り」の本質
キチンと理解してこそ
「良いノート」ができあがるのである。




では
「ノート取り」の本質を極めるために
これも毎度のように
「どうしてノートを取る必要があるのか」
と・・・考えてみたい。

(はは・・なんだか「まくべん」らしくなってきたのだ。)





「どうしてノートを取る必要があるのか?」



答えは簡単

「忘れるから」
である。


授業を聞きっぱなしだと
スーパー天才君でないかぎり
数時間で半分忘れ
数日で80%を忘れるのである。


「あの日,あの時間に何を勉強したか」
を忘れているうちは
まだイイのである。

そのうち
「何か勉強した」
ということさえ
忘れてしまうのである。

悪くすると・・・
「今日って,授業,あったけ?」
なんてコトになってしまう。

まるで「認知症」の世界である。
「今朝,何を食べたか」を忘れるくらいは普通でも
「朝食を食べたか食べなかったか」
忘れてしまうのが「認知症」である。



それは,さておき

私たちは
授業で勉強したコトを忘れないように・・・
そして
たとえ忘れたとしても
直ぐに思い出せるように

ノートを取るのである。

わかっただろうか・・・
これが「ノートを取る目的」である。

今まで
「授業の時間つぶしに」
とか
「みんなが取っているから」
とか
「平常点を上げるために」
とか
「勉強した気分になるから」
とか
「なんとなく」
とか
「しかたなく」
とか
そんな理由でノートを取っていなかっただろうか。

だから
アナタのノートは
トンデモノートになっていたのだ。



では・・・
どんなノートだったら
授業の内容を直ぐに思い出せるのだろうか。


先生の書いた黒板の文字を
機械的に写し取ったノートなのか?

何色にも色分けされたノートなのか?

まるで活字のような文字で
多くの情報がビッシリと
書き込まれたノートなのか?

多分,それは人によって様々である。

アナタ自身が
「わかりやすい」
「思い出しやすい」
と感じなければ
どんなノートも役には立たないのだ。



本日の究極の答えは
「自分にわかりやすいノートを作れ」
「授業内容を思い出しやすいノートを作れ」

となる。



「なぁんだ,結局,そんなアイマイミーな答えなのね!」

そんな声が聞こえてきそうなので
もう少し説明しよう。

「自分にわかりやすいノートにしよう」
「思い出しやすいノートにしよう」

注意しながらノートを取ることは
とても重要なことなのである。

そんなことは気にせずに
無意識にノートを取っていると
最終的に
「綺麗(きれい)だが,わかりにくいノート」
「ビッシリ書かれて詳しいが,読むのが面倒なノート」
「カラフル過ぎて,どれが重要なのかわからないノート」などが
できあがってしまうのである。

中には
「1時間の授業の内容をまとめるのに2時間かかるノート」
などという,ワケのわからないノートや

「先生の話をいっさい無視したチョーカワイイノート」
なんて,もの凄いノートも出現してくる。



また
「わかりやすいノートを作ろう」
という「心がけ」は
「書くのは面倒!」
というナマケモノ根性を追い払ってくれる。

「わかりやすいノート作り」は
実は,授業に集中できる方法であるのだ。


さあ,ここからは自分で真剣に考えてもらいたい。

アナタにとって
どんなノートが
わかりやすい
思い出しやすい
ノートなのか・・・?


時間はかかるだろうが
いろいろ試して
自分だけのノート作成術を身に付けてもらいたい。



本日の授業は,ココまで!

キ〜ン・コーン・カ〜ン・コ〜ン
コ〜ン・キ〜ン・カ〜ン・コ〜ン

あ・・・この手の学校でよく聞く,チャイムには
「ウェストミンスターの鐘」
というちゃんとした曲名があるのだ。

イギリスの国会議事堂「ウェストミンスター宮殿」の
時計塔の鐘の音である。

なんとも由緒正しい鐘の音だったのである。


  

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