勉強法いろいろ:第35手:五の巻
「キマジメ先生」と「ジョーダン先生」
〜 授業の要点のつかみ方 〜


あまり冗談を言わず
ムダな話で授業が脱線することもない。

授業は計画通りに,モクモクと進められる。

そんな先生を
「キマジメ先生」と命名してみた。

中には,大学や研究所で働いた方が良いのではという先生もいる。



一方,授業中にダジャレやジョークを連発。
自分の昔話や思い出話で授業の脱線は日常茶飯事。

授業中は爆笑のウズ。そして,授業終了10分前に,一気にまくって終了。

そんな先生を
「ジョーダン先生」と命名してみた。

中には,ヨシ●トで働いた方が良いのではという先生もいる。



生徒による人気投票すれば,結果は歴然。

9割以上の票が「ジョーダン先生」に集まる。

それはそれで結構なことなのである。

エンタのテクに長(た)けた先生の授業は
退屈しないからである。
一方,「キマジメ先生」の授業は退屈な場合が多い。


一般的に中学の1時間の授業時間は50分である。

50分というのは実に微妙な時間なのである。

「退屈だなぁ」と感じ始めれば,怖ろしく長い時間である。
逆に
「面白いな」と感じれば,アッという間である。



さて,この「キマジメ」「ジョーダン」の2タイプで
アナタが注意しなければならないことは
「重要事項」の見つけ方である。
授業の「大切なところ」の見つけ方である。



「キマジメ先生」の授業には
あまり
変化やメリハリ,盛り上がりが無い。
しかし,
決して「無い」のではない。

その先生独特のリズムがあり,50分の授業時間の中で
変化やメリハリ,盛り上がりがある。

それは
話すスピードだったり
声の高さ低さだったり
目つきだったり
みんなの発表を待つ時間だったり
黒板のチョークの色や文字の大きさだったりする。


「ジョーダン先生」ほど派手でないため
ついつい見落としてしまうのである。

どんな先生だって,「知的興奮」はあるのだ。
「さあ,ここが一番大事だぞ」とか
「これだけは,全員にわかってもらわなければ」とか
「今の説明は,何割くらいの生徒が理解できただろうか」といった「心の叫び」
「キマジメ先生」の中にも
浮かんでは消え,消えては浮かんでいるのだ。

その
「小さな変化」を見逃さないことが大切である。

これは,よほど意識しないとできないことなのである。

あまり聞き慣れないクラシック音楽の中の「おもしろさ」を発見するのに似ている。



「ジョーダン先生」の授業では,
そこまで神経を研ぎ澄ます必要はない。

ヨシ●ト新喜劇を「真剣なまなざし」で見る人はあまりいないのである。
授業を十分楽しんでもらいたい。

しかし
ヨシ●ト新喜劇と違って
授業には「大切なところ」があることを忘れてはならない。

ゲラゲラ笑って50分がオシマイ・・・。
これではホントに何にもならない。


漫才や落語が好きな人にはわかるだろうが,
本物のお笑い芸人は「ココ一番の笑い」を取るとき
かなりの
「気合い」が入っている。


決して目は笑っていないのである。
身振りや手振り
顔の表情
話の流れで
ドタバタやっているが

目は笑っていない。
困ってもいない。
恥ずかしがってもいない。
迷ってもいない。
真剣なのである。

でなければ,人は笑わせないのである。

「ジョーダン先生」も同じである。

よく観察すれば,
「真剣」な瞬間がある。

そこが「授業のポイント」である。

それを十分心得て,授業を楽しんでもらいたい。



しかし,なんである。

先に書いたお笑い芸人であるが,
最近,「一瞬真剣目つき系」の若手お笑い芸人が増えて嬉しいのである。

今は第6次お笑いブームらしい。

何十組,何百組のお笑い芸人の中で,彼らが生き残ることを
心から祈るのである。

「人を笑わせる」ことはホントにムズカシイのである。
「人から笑われている」のに「笑わせている」と勘違いしている芸人も多い。
負けるな! 一瞬真剣目つき系お笑い芸人!!である。



 

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