第12手 「わからない」は無視するベカラズ
「わかったような気分」からの脱出術



勉強していて,わからない事やわからない問題に出会うことがある。

勉強だから仕方ないのだ。

わからない問題に出会ったことがない人がいたら
一度会ってみたいものである。
会ってどうするわけでもないのが,レアな存在を一度拝んでみたいのである。
興味本位である。



 さて,今回のテーマは「わからない事」「わからない問題」への対処の仕方である。
第11手からの流れで言えば,「故障か所の修理の仕方」である。


「わからない」の修理方法は大きく分けて3つある。

1 自分で調べる。
2 人に聞く。
3 ほっておく。


3の「ほっておく」は最悪の選択である。
諸君も十分に承知しているだろう。

ポイントは1と2の使い分けにあるのだ。

「わからない」に出会ったときの場面によって使い分けは変化するのだ。
いつも同じでは,いけないのである。



場面@
授業中の「わからない」


これは一番,簡単である。
その場で先生に聞けばよい。

でも,いつでもどこでもというわけにはいかない。
「今,質問してよい状況なのだろうか」と考える必要がある。
(「空気を読む」というやつだ。)

先生が指示を出しているときや説明しているときだったら,
しばらく遠慮する必要がある。
そのうち,先生は必ず

「はいイイですか」とか「わかりましたか?」とか「質問はないですか」と区切りをつける。
そこが攻めどころである。

よく先生の説明中に幼稚園児のように不作法に一問一答の質問する者がいる。
ウケをねらって冗談まで飛び出すこともある。
学級の全員が集中して先生から学び取る権利を,
一人または数人で破壊してしまう行為である。

「まくべん」はそういう行為を「学習へのテロ」と考えている。
わざとやっているのなら,ただの凶悪犯だが,
本人も気づかずにやっている「確信犯」であることが多いため,
テロの被害は無制限に拡大するケースが多い。

そのような質問がくり返されると,先生の集中力が下がり,
結果的に,そのクラス全体の学力は破壊されるのだ。

お願いだから改心してほしいものである。



場面A
家の勉強での「わからない」


実はこれが最も多く,対処がむずかしい。
(もっとも家で勉強しない人は,この恐怖におびえることはない。)
(それは,それで幸せなのかもしれない。)

「わからない」のレベルが使い分けを決めるのだ。

なんとかなりそうな「わからない」
であれば,
自力で教科書やノートを参考に「わかる」まで頑張って欲しい。
自分で「考える」ことはとても尊く,
そして忘れにくいものなのだ。



しかし
「なんともなりそうにない」という問題ならば,
時間制限が必要だ。

ただでさえやるべきことが多い,家での勉強である。
時間をムダに使って,睡眠時間を失ってしまう結果になる。

「あと何分間は自分で考えてみよう」と時間制限をする。

時間までに,なんともならなかったら,
いさぎよく解答例を見て,解き方を研究するのだ。


ただし,
答を写し取るだけでは逆効果になるから注意が必要だ。
答を写すだけで,勉強したような気分になり,
第11手で紹介した
「わかったような気分」になってしまうからだ。
「わかったような気分」は恐ろしい。
わからないをほっておくのと同じくらい恐ろしいのである。


それを避けるためには
「ナンデコウナルンダロウ」と
常に疑問を持ちながら研究するのだ。

そして,「わかった」と思ったら,
必ずもう一度,解答を見ずに自分で解いてみることが大切である。
これで「わかったような気分」からの脱出が可能になる。



それでも「わからない」が修理できないときは
「人に聞く」に切り替えよう。
翌日,先生への質問事項として記録しておくのだ。
やるだけやっていれば,
最高級の質問ができるのだ。



場面B
受験・テスト勉強での「わからない」

これは完全に時間が限られてくる。
テスト勉強は時間との勝負だ。
「時は金なり」
「下手な考え休むに似たり」
である。

「わからない」と感じた次の瞬間には「解答例」を見るべきだ。
そして解き方を研究し・・後は場面Aと同じである。
必ず最後は自力で解いてみるのだ。



しかし,「先生に質問する」といっても,なかなかできないのが普通である。
大変な勇気や努力が必要である。

そこで,次の一手は
「質問ノートの作り方」や
「正しい質問の仕方」について紹介する。
これでアナタの「わからない」は,一転してあなたの財産になること間違いなしである。



参考文献
西村克彦
「わかる」のしくみ 「わかったつもり」からの脱出
新曜社 1800円 1997/7/15
ISBN4-7885-0607-6

  

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