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文庫本上巻 325ページ〜327ページ
昭和四十一年五月四日(水)晴
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陽なたで鎌を砥いでいると「ユリ子、ユリ子、ちょっと。へんなものがある。ちょっとでいいから見てごらん」と、
そばへきて、
小さな声で主人が言う。秘密くさそうに、いそいそと言う。主人が案内してくれたのは、勝手口の草むらの中の
松の根もと。高山植物らしい花が咲いている。葉も茎も花びらの外側も、銀色に光る産毛のような毛で、
びっしり掩われている。
つりがね草のように下向きに咲いている花の中がわは、濃い、黒血のように濃いえんじ色で、奥の方にオレンジ色
の蕋がある。下を
向いているから、そのえんじ色は外からは分らなくて、産毛のような銀灰色に花も茎も葉も包まれた。
花でないような花、植物でないような植物なのである。いつから、ここに出てきて咲いたのだろう。
触ってみても、花の中を覗いてみても、底知れない不思議な思いがする、宇宙からやってきた動物みたいなのだ。
昭和四十一年五月十八日(水)晴
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二週間来ないうちに、庭はまるで変ってしまった。・・・・・・・・・・
・・・・・・・・この前、咲いていた動物のような不思議な草は、すっかりとうがたって、
花は銀色の長いひげのようなものに変っていた。
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文庫本中巻 483ページ
昭和四十四年五月十日(水)晴 風なく暑い
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焚火のそばの、名前の判らない高山植物のような、毎年一輪しか咲かない花を、去年一株、犬の墓の上に移してみたら、
今年は焚火のそばの花が散ってから遅れて一輪咲いた。葉柄も花茎も花の表がわも、すっかり白銀色の柔毛に
つつまれている。猫柳の毛のようだ。花は百合よりもっとうつむいて咲く。花の奥をみようとして、
花柄に指をかけて仰向かせると、花の柄はしなやかでくにゃくにゃしていて、猫の手をいじって遊んでいる
ときそっくりの感触だ。動物のような花。花の中がわは黒ずんだ真紅で、オレンジ色の花芯がある。
毎年こうして猫をいじるように遊んでみるが、毎年、不思議でたまらない。散ってしまうとほっとする。
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