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明治5年(1872年)、満6歳の時に養父と養母につきそわれて、正式に清綱の養子として東京に赴いたため、
黒田が鹿児島の地で
過ごしたのは幼年期の6年間にすぎない。成人後の黒田に鹿児島に生まれ育ったことの記憶がどれほど残って
いたであろうか。わずかな記憶の残像を滞欧時代の書簡や日記の中に窺うことができる。 明治に入ってしばらくの間、実父清兼は都城(宮崎県)の地頭を務めていた。幼い黒田は家人に付き添われて 都城を訪れ、官民の歓待を受けたことがある。この時のことを明治22年(1889年)5月にパリ郊外へ写生に行った 時に思い出し、養母宛の書簡に次のように記している。 「のばらによめじよがたくさんはえております このよめじよをみるたんびにみやこんじよ(=都城のこと) のことをおもいだしますよ きたい(=奇態か?)なものです」 さらにこの2年後、明治24年6月にドイツ国境付近を旅行した時の日記に黒田は「其アネモヌハいつか 小さい時ニ都の城ニ行てよめじよと云のを見たのをかすかニ覚て居るがあのよめじよの種類だと思ふ」と記している。 黒田は「よめじよ」を「紫の花で其花が散たあとが髪の様な風ニ為て居る」と記しているので、これは恐らく オキナグサのことと思われる。鹿児島では、オキナグサを「おねこじょ」とも言う。黒田の郷里鹿児島での記憶は、 幼い頃、都城で見た可憐な花のように、はかないものであった。 |
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