「序文」にかえて                        開聞町学校保健会会長                        川尻小学校校医   丸山 尊久 今回は、今、問題になっている思春期の性教育について考えてみましょう。  性教育は本来、家庭や地域社会で人間教育の一環として行われるものだと思います。 しかし、現状は家庭では父親は忙しさを理由にその義務を果していない事が多く、 一方母親の社会進出も目覚しく、本来家庭でなければ教えられない事まで学校などに 押しつけている傾向がありはしないでしょうか。  また、かつては子供達の間では年上が年下の面倒を見て、良い事も悪い事も教え、 その中で社会のルールや性知識なども自然に身に付けてきました。  ところが今は学歴偏重等の蔓延や小子化などの影響で、子供達同士の交流は希薄になり、 社会の中で子供達の本来の機能が失われてしまいました。  その為、成人になるまでに、どこかできちんと性教育をする必要があると言われ始めました。 最近では性感染症、特にAIDSの若年感染者の増加に対する危機感から、 文部科学省では急遽若年層に対するAIDS教育を始めましたが、AIDS予防の目的だけでなく、 思春期から正しい性教育をすることは極めて重要であると言われています。 殊に性感染症の防止にせよ、十代の妊娠の問題にせよ、単に避妊の技術を教えるのではなく、 相手の性を尊重するという人間尊重の精神を教える事こそ本来の性教育と考えられています。  しかし、問題は「性教育」なのでしょうか? 前述したごとく、かつては、家庭・地域社会・子供社会の中で、自然と身に付けてきたのが、 「性」に関する知識や能力だったのです。それが「性教育」ではうまく解決できないのは、 子供の発育速度に驚くほどの個人差があるという事情があります。 さらに「性的」な発達(第二次性徴の発現から、 青年期あるいは成年期までを思春期と言います。)は非常な個人差が存在します。 その発育段階の違う子供に、ある年齢で一律に「性教育」を施すという 発想はいかがなものでしょうか? 同じ小中学校生でも、例えば小学校3年の児童と、大学生ほどの差がある、 と言えば言い過ぎでしょうか。  私事ですが、今年五十才になる私は、明確な「性教育」を受けた覚えがありません。 しかし、それなりに成長し、別に性犯罪を犯すでもなく(もちろん、みんな覚えのある、 ある種の「いたずら」は経験しましたが)、普通に結婚し子供もいます。  つまり、「性」の「教育」が必要なのかという、いわば国(文部科学省等) や学校・世間の決めた事への大胆な問いかけです。  私には二人の両親がいて、四人の祖父母がいて、八人の曾祖父母がいて、 十六人の曾々祖父母がいて、三十二人の曾々々祖父母がいて、何億人か知らないけど、 多くの祖先がいるはずです。この人達のたった一人が欠けても現在の私はこの世に存在しません。 その人達は「性教育」を受けたでしょうか、そんな人はいません。  もちろん、人類の進化と文明の発達、それに伴う環境や制度の変化は必要でしょう。 しかし、千年前と現代との人類の身体的進化状態は、半年間の携帯電話の進化ほども ないかもしれません。 つまり、未だに思春期の始まる年齢に数年の個人差がある我々人類に「性教育」は 必要なのかという事です。  お父さん、あなたは父親や周りの大人に対して、多少の理不尽は感じながらも、 やはり畏怖し尊敬していたのではありませんか?今は親が子供におどおどしています。 お母さん、あなたは風でスカートがめくれてパンツが丸見えになっても平然としていましたか? やはり「キャッ!」とスカートを押さえたでしょう。 今の女の子は短いスカートで平気で地面に座り込んでいます。 ところが私達は例外はともかく、異性と手をつなぐ事にさえ、 なんと手間のかかった事でしょう! 今の子供達は、携帯電話で安易に異性と知り合い、 中高生の相当高い割合の生徒が性体験があるそうです。 私達も悪さをしましたが、それはあくまで例外的で、たいした実害はありませんでした。 しかし、現状は、例えば「低年齢の妊娠」「性感染症の蔓延」といった実害を伴った状態です。  私達は明確な「性教育」は受けていません。 今の子供達は、国のお墨付きの「性教育」を受けています。 この矛盾を誰もなんとも思わないのでしょうか?  それなら、現状をどう解決するか。 やはり、時間がかかってもそういう「問題」の起こらなかった、 少なくとも今みたいに「見慣れた」事ではなかった時代に戻るしかないのではないでしょうか? 何でも「進化」すれば良いというものでもないと思うのです。 子供達に携帯電話が必要ですか?なければ不便です。 しかし、なくても私達は思い出多い子供時代を過ごしてきたではありませんか。  少年少女が、自らの意志で性的な問題を起こす、あるいはそれに付随して凶悪な犯罪が起きる、 そんな世の中を作ったのは私達の親でしょうか?私達でしょうか?  誰が悪い、誰の責任だ、などと犯人探しをしている時間はありません。 できれば「今の子供達」は、いや、少なくとも「今の子供達の子供の世代」は、 現状の延長であってはならないと思います。  まず、子供に「自由」を与える事を控えるべきだと思います。 「楽」をさせない事です。私は青少年の様々は問題は「自由」と「責任」の問題ではないか、 と思います。  一人一人の子供をちゃんと「区別」しながら、是非、皆さんにはご自分のお子さんの 発達程度をよく見極めて、それに見合った子育て・教育をしていただければ、と思います。 全くの「私見」ですので、反論・反発はご自由です。 しかし、子供に、「自由」と「責任」、さらには「権利」と「義務」、 がワンセットだと言うことを、それぞれしっかり身に付けさせたいと思うのは私だけでしょうか?  一時期、「管理教育」の弊害が叫ばれました。 その結果、今は振り子が反対側に大きく触れている状態だと思います。 せめて、振り子を真ん中まで持っていく努力をみんなでしてみませんか?