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| 運賃・料金表 |
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| ◆出札口上に掛かっている運賃・料金表示。左下の空白は,宮之城線の主な駅までの運賃を塗りつぶしたもの。 昭和63年 1月31日 21:10 |
| 昭和62年 5月30日 6:15 |
| 駅名標(電光式) |
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| ◆電光式の駅名標は駅舎改札口側軒下にある。『さつま』が『おおくち』よりも小さく,ローマ字表記もハイフンがある。 昭和61年11月21日 |
| 玄関上銘板 |
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| ◆玄関上に大きな銘板が掲げてある。向こう側が改札口。この銘板の書は,昭和43(1968)年から16年間在任した大口市長の作だという。 昭和63年 1月18日 14:40 |
| 水俣起点37キロポスト |
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| ◆薩摩大口駅の駅中心は水俣起点36km930であるが,ほんの少し栗野側,左の写真の機関庫を改造した大口機関支区の建物側面の傍らに,37.0キロポストがある。運賃計算に使う営業キロも水俣起点37.0km。 昭和61年12月 7日 |
| 0番ホーム |
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| ◆1番ホーム先の方,行き止まり式の0番ホーム。宮之城線の大半の列車がこのホームに発着。宮之城線廃止の昭和62(1987)年 1月10日使用停止。 昭和61年 8月22日 15:46 |
| 待 合 室 |
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| ◆改札口側から待合室を見る。右方に行くと玄関,左方には売店がある。 ◆この日は宮之城線の最終日であったため,取材でやって来た地元テレビ局のアナウンサーの姿も見える。 昭和62年 1月 9日 19:30 |
| 吉松行き到着 |
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| ◆山野線下り列車専用の2番ホームに水俣発吉松行きの列車が到着。2・3番ホームへの通路に助役が立ち,列車を待ち受ける。 昭和61年 7月18日 12:18 |
| 1番ホーム |
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| ◆改札口側のホームが1番ホーム。山野線水俣方面の全列車がこのホームから発車するが,下り栗野方面と宮之城線川内方面の列車も発着できる。 昭和61年 8月11日 8:20 |
| 発着時刻表 |
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| ◆改札口上に山野線・宮之城線の発車時刻が掲示してある。 昭和62年 1月 7日 17:15 |
| さつまおおくち 薩摩大口 SATSUMA OKUCHI |
| ■職割前売往復乗車券
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■料金変更入場券 (この日より120円から130円に値上げ)
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■車内補充券(パンチ式)
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■往復乗車券
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■通学定期券(高校)
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| ★『わたしの旅』スタンプ | ★『いい旅チャレンジ20,000km 』 スタンプ |
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| 滝幅が広く,『東洋のナイヤガラ』の異名を持つ。最寄り駅は宮之城線羽月駅だが,タクシーの便など薩摩大口駅からのほうが行きやすい。 | 昭和55年から始まった,国鉄路線全線踏破のイベント。九州では起点と終点になる駅に,このスタンプが備え付けてあったという。薩摩大口駅は宮之城線の終点でもある。 |
| 名所案内板・駅名標 |
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| ◆名所案内は曽木の滝公園・郡山八幡神社・十曽池・奥十曽渓谷。いずれも大口市を代表する場所。 ◆駅名標の「にしひしかり」の下の空白は,以前は宮之城線の「はつき」が書かれていた。 昭和63年 1月 3日 13:43 |
| 大正13年 8月13日 待合室増築 昭和12年12月12日 山野線・宮之城線全通時,事務室等を増築 昭和22年 3月25日 貨物室新設 昭和49年10月 玄関改築 |

| 構内栗野方面 |
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| ◆1番ホームから栗野方面を見る。向こうに忠元陸橋が見える。左側の木造の建物は信号所。栗野・川内方面のポイントと信号をここから操作する。折りしも栗野発薩摩大口行の428Dが,3番ホームに到着しようとしている。 昭和62年 5月31日 10:58 |
| 昭和62年12月31日 山野線下り吉松行き445D発車 ※大晦日の終列車に乗り遅れそうになった女性がいた 音声再生 58秒 |
| 昭和63年 1月18日 山野線上り432D 終点薩摩大口到着 音声再生 10秒 |
| 夫婦湯のみ |
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| ◆大正10(1921)年 9月11日の開業から60周年にあたる昭和56(1981)年,それを記念した夫婦湯のみが作られ,職員などに配られた。 ◆こうした記念品は以後はなく,薩摩大口駅の歴史も66年 4ヶ月でやむなく終焉。 |
| 眠らない駅 |
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| ◆終列車発車後の薩摩大口駅。この後ホームに停車している車両を入換。一夜を明かす。当直勤務の職員も何人もいた。 ◆一晩中ディーゼルカーのエンジンは停止することはなく,アイドリング状態(国鉄時代晩年からは経費節減のためか冬季のみ)。静まり返った街にエンジン音が響いていたが,駅周辺の住民もそれに慣れきっていたのだろう。 昭和61年12月31日 21:10 |
| 戸切踏切より構内を望む |
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| ◆構内を遠望。右の線路が山野線,左が宮之城線。 ◆0・1・2番ホームと収容線,そして右側の訓練用車両まで合わせて5本が並ぶのは,一日の中でこの時の13分間のみ。 昭和60年 9月26日 18:20 |
| かつての機関庫 |
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| ◆蒸気機関車を整備・点検していた機関庫は,昭和49(1974)年12月のSL引退後,保線区・機関支区の事務所倉庫へと改造。開口部が埋められたが,その形が丸くくっきり残っている。 ◆『総力躍進』・『運転事故防止』とスローガンが大きく書いてある所が,昔日の雰囲気を残している。 昭和63年 1月18日 |
| 薩摩大口機関支区正門 |
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| ◆構内南東側の道から大口機関支区の正門を見る。今日は元旦なので,職員の手により門松が飾られている。 ◆正面の建物は浴場。機関士や機関助士・検修員たちは,ススや油で汚れた体をここで洗っていた。職員の子どもたちも入りに来ており,さながら『無料の銭湯』のよう。何ともいい時代であった。 昭和62年 1月 1日 |
| 駅反対側より |
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| ◆駅舎の反対側,営林署貯木場方面から2・3番ホームを写す。左の平家建てが薩摩大口駅舎。出水発隼人行き423Dが到着し,山野方面からの通学生が下車,栗野方面への通学生が乗り込む。 ◆奥に見える高い建物は,南国交通大口バスセンター。4階建てのビルは駅に降り立った人びとを圧倒していた。その高さは屋上にかかる『阿久根大島へ行こう』の看板,その上に縦にそびえる『南国バスの旅』のPR表示に視線を集めるのにも一役買っていたようだ。 昭和61年12月13日 7:32 |
| 夕闇迫る大口駅 |
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| ◆薩摩大口駅北東側,朝日町踏切横よりホーム・駅舎方面を見る。かつてはいくつもの側線にたくさんの貨車が留置されていたが,貨物取扱が廃止された昭和57(1982)年11月15日以降は一両もいなくなり,広い構内が余計に目立つ。 ◆右に見えるのは貨物ホーム。かつてはここを中継点として,様々物資が移出入されていた。上屋は貨車がいなくなってもそのまま存置されていたが,昭和60(1985)年 9月 1日来襲した台風13号の強風で倒壊。再建されることはなかった。 ◆この日は夏至。19:30になってようやく暗くなり,構内灯に明かりがともる。 昭和60年 6月23日 19:35 |
| 昭和63年 1月17日 山野線下り430D 戸切踏切通過 音声再生 52秒 |
| 戸切踏切 |
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| ◆水俣起点37.225km地点にある戸切踏切。郵便局側から見たもので,左側が薩摩大口駅方面。前方の道は市役所通りに通じる。 昭和61年 4月 6日 |