駅   名 こおりやまはちまん さつまおおくち
水俣からの距離 34k130m 2k800m 36k930m
標   高 195m30 -12m10 183m20


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34k150m付近 前方
 郡山八幡駅付近から先の線路は一直線。薩摩大口駅をはさんで忠元陸橋付近まで約3.5km続く。ここが山野線の最長直線区間。手前は郡山第二踏切。
439D車中より
昭和61年10月 2日

16:54


34k300m付近 左前方より
 上の写真の前方,郡山第四踏切付近から郡山八幡駅側を見る。この地点は両側が緑で覆われており,戦時中空襲警報のサイレンが鳴ると,米軍戦闘機の機銃掃射による機関車の被害を防ぐため,ここに列車を避難させ,機関車を隠していたいうことを,元機関士の方から伺った。
431D キハ52 50
昭和63年 1月 6日

12:11

34k500m付近 右方
 平地になり広い田んぼが車窓の両側に広がる。米どころ伊佐も田植えの季節。
435D車中より
昭和61年 6月 5日

14:41

34k600m付近 右方
 郡山第五踏切付近。車窓右横に鳥神岡が見える。伊佐地区を代表する風景。線路の向こう側には国道268号線バイパスが並行する。
430D キハ52 130
昭和63年 1月 6日

12:19

35k000m付近 左後方
 列車も軽快に進む。北東側の車窓には郡山地区の集落が見える。向こうの山は高熊山。西南戦争のときは激戦地だったという。
426D車中より
昭和63年 1月 4日

8:25

35k200m付近 左後方より
 前方に大口の市街地が近づいた。左は電電公社(NTT)大口電報電話局の鉄塔。
430D
昭和63年 1月 6日

12:18



35k700m付近 右前方より
 周りは雪が積もる中,いつもの時間にいつものように,軽やかなジョイント音とともにディーゼルカーがやって来た。この辺りで山野線の最高速度である65km/hに達する。
439D キハ47 91・キハ40 2105
昭和62年 1月13日

17:03

35k900m付近 右前方より
 梅雨の季節,降り続いていた雨がやんで,遠くの山にはもやがかかる。右の山は高熊山(412m)で,鳥神岡(403.9m)と山同士が高さを競ったという言い伝えもある。
438D キハ52・キハ58・キハ40
昭和61年 6月23日

16:40

35k900m付近 右前方より
 盆地特有の朝霧で視界が効かない中,ディーゼルカーが走ってきた。運転士は前方注視に気を遣っていたことだろう。
427D キハ52・キハ52 133
昭和62年12月27日

8:19

36k000m付近 前方より
 大田第四踏切より。昔から一面の田んぼであった,その名も大田地区を山野線の線路が南北に一直線に貫く。右手前に水俣起点36kmポストが見える。
430D キハ52
昭和60年10月 7日

12:19

36k000m付近 前方
 上の地点の反対側,薩摩大口駅方面。2本のレールはまっすぐに延び,今日も乗客を安全に運ぶ頼もしい存在。
昭和62年 1月13日

16:50


36k100m付近 右後方より
 前方に薩摩大口駅の構内が見えてくる。車内ではこの辺りから,車掌の到着案内放送が始まる。
お正月用品お買い物列車 キハ58 473・キハ58 688・キハ58 725・キハ58 1106・キハ28 3015  
昭和62年12月27日

13:38

36k100m付近 右方より
 黄金色のじゅうたんとなった田んぼも間もなく刈り入れ。赤いディーゼルカーとの対比もまた良し。今日は土曜日のため436Dは3両編成。
436D キハ52×3
昭和61年10月25日

15:53

36k100m付近 右方より
 田植えの終わった田んぼの水面に列車が映る。田んぼは季節ごとにいろいろな表情を見せるが,山野線は今日も定時に淡々と運行。
438D キハ40・キハ58・キハ52
昭和61年 6月23日

16:40


36k200m付近 右後方より
 車窓左手には大口高校と霧島連山。この風景を見ると,「ああ,帰ってきたなあ」という気持ちになる。
441D キハ52×2
昭和62年 9月 8日

18:17


大口高校より 左前方より
 大口高校の校舎の端から山野線を望む。田んぼの真ん中を走る姿が遠くに見える。手前は大口市の公営住宅,高校西団地。
427D キハ47 54・キハ53 102・キハ53 101
昭和61年10月 8日

8:18


36k400m付近 右前方より
 上新町付近の尾曲踏切より,郡山八幡側。山野発下り一番列車がやって来た。  
421D キハ52 119
昭和62年 5月30日

6:08

36k500m付近 左後方より
 上の写真の反対側。上り一番列車が水俣へと向かう。列車の後ろに薩摩大口駅下り場内信号機が建っている。手前の勾配標より向こう,戸切踏切までは2.5パーミルの緩い下り勾配。
420D キハ52 52・キハ52 133
昭和62年 5月30日

6:11



36k600m付近 左方
 薩摩大口駅の構内に入り,左側には貯木場がある。蛇足ではあるが,正面の道を150m進んだ左側が作者の自宅。ここに立地していたおかげで薩摩大口駅を発着する列車の汽笛が聞こえ,自転車を使って頻繁に写真撮影に出かけることができた。
441D車中より
昭和62年 5月 2日

18:18

36k600m付近 左方より
 自宅前の道から上の地点の方を見る。ディーゼルカーの手前が貯木場,後ろの瓦屋根が専売公社(日本たばこ)の建物,右奥に少し見えるのが,鹿児島県大口合同庁舎,そして左奥の鉄塔が見える建物が大口電報電話局。  
 左側の半円状のものは,遠矢産婦人科にある『おぎゃ〜献金記念堂』で,遠矢医師の提唱した『おぎゃ〜献金』は日本のみならず,海外にも拡がっている。
435D キハ52 118
昭和62年12月31日

14:48


36k700m付近 前方
 左側に側線が現れ,徐々に構内の幅も広がってくる。おそらくこの辺りでさきほどの写真にあった,貯木場からの材木を貨車に積み込んでいたのだろう。前方を横切るのは国道267号線朝日町踏切。
427D車中より
昭和63年 1月18日

8:20


薩摩大口駅構内より 前方より
 薩摩大口駅2・3番ホーム端から上の地点方向を見る。水俣・山野方面からは,全列車2番ホームに進入する。
 下り場内信号の矢羽根が斜め下を指し,こちらに向かって進行現示であることを意味する。
429D キハ52 133
昭和62年 5月30日

11:07




前駅 郡山八幡


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