妊婦と運動について

 1980年頃まで,産婦人科医の多くは,運動や震動が流産の原因となると考え,妊婦に対して安静を基本とする生活指導を行ってきました.

 また,ずっと昔の食料不足の時代に必要だった十分な栄養摂取という指導が,飽食の時代になっても続いていました.そのため妊娠を告げられると,流早産を恐れて精神的にも肉体的にも消極的になり,ただでさえ運動不足と栄養の過剰摂取の生活にさらに拍車がかかりました.その結果,体重の急激な増加による腰痛,妊娠中毒症や難産が増加したのです.ところが近年,超音波機器などによる診断技術の急速な進歩により,流産の大部分は病的卵に起因するものであり,全流産例の約90%は妊娠10週までに起こり,これが運動や震動などの外的な要因によって起こるものではないことが明らかになりました.

 最近では,(妊娠そのものは病気ではないため)妊娠中でも特に異常や合併症が無ければ積極的に身体を動かすほうが,妊娠経過や分娩に良い影響を与える可能性の高いことが注目されてきました.私たちが健康を維持していくためには,栄養と運動と休養のバランスが大切であるという原則は,妊娠中といえども変わりなく,妊娠中も適度に体を動かす必要があることは,人体の生理機能上あまりにも明らかです.妊婦のスポーツの目的は単に分娩に備えての骨盤底筋群の強化(緊張と弛緩を上手に行えるようにする目的)や肥満の防止以外に,妊婦の気分を高揚させストレスを発散する働きがあります.沈みがちの妊娠生活をスポーツを行うことによって楽しく送ることができ,友人をつくり情報交換をすることにより,分娩への不安も軽減することに意義が大きいといわれます.とはいうものの,妊娠中の適度な運動には非妊婦とは異なり,大きな制約があります.無制限,無差別にスポーツを行えるわけではありません.

 妊婦に不向きな運動は,運動強度が不定で時に高くなりすぎるもの,高価な道具や特殊な施設を要するもの,瞬発力を必要とするものなど,勝敗やポジションがある競技スポーツ(すべての球技を含む),転倒やケガを起こしやすいスキー,スケート,サイクリング,衝撃が強すぎる縄飛びや乗馬などです.結局,ほとんどのスポーツは妊婦には不向きということになります.

 妊婦に適した運動の条件は,母児にとって安全であること.全身運動で有酸素運動であること.運動強度を適切に調節できて一定時間持続できるもの.そして誰もが継続して行える楽しさと,できるかぎり少ない費用と時間で最大のトレーニング効果が得られ,またそれらを行う妊婦に,はっきりとした目的意識を持たせることが出来るものでなければなりません.一般に普及している運動の中で妊婦に適した運動は,ウォーキング,ジョギング,妊婦水泳,エアロビックダンスなどです.

1)ウォーキング

 運動強度が低いので,体力のない妊婦(肥満妊婦,糖尿病妊婦)にも可能です.逆に運動強度が低い分,トレーニング効果を得るためには長時間を要します.トレーニング効果を得るためには歩幅を大きくして早く歩く,腕を大きく振ることなどを意識します.ただのぶらぶら歩きを長時間続けるのでは,トレーニング効果はありません.道具や施設がいらず,安価な点で優れています.しかしその反面,外を歩くので,その時の季節(暑さ,寒さ),天候(雨,鹿児島では降灰)による影響が大きく,一人で継続して行うには強い意志が必要でしょう.

2)ジョギング

 脂肪の燃焼,すなわち過剰体重増加の予防に最も効果的です.これは個人差のある至適トレーニング心拍数を得やすく,また,その状態を一定時間持続しやすいためです.道具や施設がいらず,安価な点で優れています.しかしその反面,外を走るので,その時の季節(暑さ,寒さ),天候(雨,鹿児島では降灰)による影響が大きく,一人で継続して行うには強い意志が必要でしょう.

3)妊婦水泳

 水泳は水中(30℃±1の温水)で行うため水圧や浮力を利用でき,短時間で大きな運動量が得られます.さらに水平運動であるので妊娠中の下半身のうっ血がとれ,さまざまな不快症状(腰痛,頭痛,しびれ,むくみ,静脈瘤など)の改善が期待できます.しかし,限られた施設でしか行えず,また必ずしも産婦人科医師や助産婦がついているとは限らず,運動中にトラブルが生じた場合が心配です.

4)マタニティービクス

 母児にとって安全であること.全身運動で有酸素運動であること.運動強度を適切に調節できて一定時間持続できること.そして皆で参加するので誰もが継続して行える楽しさと,できるかぎり少ない費用と時間で最大のトレーニング効果が得られます.またそれらを行う妊婦に,はっきりとした目的意識を持たせることができる点で,最も安全で効果的な妊婦の運動といえます.多くの場合,産婦人科施設内で行われるため,産婦人科医師や助産婦が近くにいる点で安心です.日本マタニティービクス協会認定インストラクター(運動生理学的基礎知識のうえに産科学的知識を習熟し,妊婦に適した実技指導を実践できることが基本条件)が,まだまだ少ないのが難点です.

もどる