母の死

 新年,明けましておめでとうございます.
と言う挨拶で始まる元旦ですが…

 2004年1月1日,母が67歳にて安らかに永眠いたしました.
愛する妻の愛するお母さまの死で悲しい年明けとなってしまいました.

 私達が結婚して以来,私を実の息子のようにかわいがっていただきました.
お正月に揖宿の実家でお母さんの料理を食べ,美味しいお酒を飲むのが毎年楽しみでした.
これからはそれが出来ないばかりか命日となってしまいました.
いつも優しく微笑んでいた姿が見れなくなると思うと,心にポッカリと穴が空いた気持ちです.

 8歳,7歳,4歳の子供たちが,お通夜,お葬式の席でひときわ大きな声で泣きじゃくっていたのが印象的でした.核家族化が進み,地元を離れて生活することが定着し,おじいちゃん,おばあちゃんの存在が身近でなくなってしまったと言われる現在,幸いにも子供たちにとっては同居している家族同様の存在でした.
産まれた時から優しくかわいがってもらった子供たちの愛するおばあちゃんでした.その死を通して死に対する悲しみ,命の尊さというものを深く心に刻んだことでしょう.4歳の娘も一生忘れることなく記憶に残ると思います.

 まだまだお父さんといっしょにあちこち好きな旅行をしたかったでしょうに残念でなりません.
正月三が日という貴重な時期であるにもかかわらず,多くの方々がお別れに来て下さいました.これも生前のお母さんの人柄によるものでしょう.

 残されたほうがかわいそうとよく言われますが,日本人の平均寿命を考えると,多くの夫婦において女性がご主人に先立たれてしまいます.しかし女性はその後も強く生きているように感じます.一方男性は奥さんに先立たれると女性のようには強く生きていけないような気がします.
自分の人生を考えた時,さだまさしの「関白宣言」の歌詞が思い浮かびました.

子供が育って 年をとったら 俺より先に 死んではいけない
例えばわずか 一日でもいい 俺より早く 逝ってはいけない
何もいらない 俺の手を握り 涙のしずく ふたつ以上こぼせ
お前のお蔭で いい人生だったと 俺が言うから 必ず言うから
忘れてくれるな 俺の愛する女は 愛する女は 生涯お前ひとり
忘れてくれるな 俺の愛する女は 愛するは 生涯お前ただひとり

 お母さんの愛するお父さんは寂しくならないように皆で元気づけていきます.お母さんの愛する娘は私が幸せにします.子供たちの成長を天国からあたたかく見守っていて下さい.これまで本当にありがとうございました.安らかにお眠りください.

2004年1月3日,記

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