鹿児島市立病院新生児センターリニューアルオープン

はじめに

 鹿児島市立病院新生児センターのベッド数が20増床され,平成12年9月28日にリニューアルオープンしました.

 ご存じの通り,鹿児島市立病院は昭和51年1月31日,日本で初めて山下家の五つ子ちゃんが誕生し,全員を障害なく救命しえた病院として有名です.当時は未熟児に対する理解が薄く,鹿児島県の新生児医療水準も低く生存率も全国ワースト3に入る状態でした.しかしこの五つ子救命が,新生児センター設立に大きな拍車をかけたのです.周産期医療(母体,胎児,新生児を管理する医療)に対する関心が高まり,市民にもその重要性が理解され,行政機関も動き始めたのです.そして鹿児島県の未熟児新生児医療の改善を目的として,県議,市議,医師会の協力の元,昭和53年11月26日,新生児センターがオープンしました.ベッド数は定床40床でしたが昭和56年には定床60床になりました.これまで救命出来なかった未熟児たちが,その後医師や看護婦スタッフの努力により救命出来るようになり生存率も全国でもトップレベルにまでなったわけです.

 しかしながら現在ベッド数60では足りなくなってきました.それは赤ちゃんが鹿児島市内だけでなく離島を含めた鹿児島県内各地から運ばれてくるようになったこと,早産の定義が妊娠24週から22週に引き下げられたこと(今まで流産として処理されていた約400g〜500gの赤ちゃんも救命しなければならなくなった),不妊治療の進歩で双子や三つ子といった多胎妊娠が急増したこと(多胎妊娠の場合は早産になりやすく双子の未熟児,三つ子の未熟児が生まれやすくなります)などが原因です.未熟児が増えると発育退院までに時間がかかり,その分ベッドが回転せず新しい赤ちゃんが受け入れられなくなるということです.また未熟児だけでなく成熟児でも手術が必要な赤ちゃんや状態の悪い赤ちゃんも入院しています.また,市立病院レベルの新生児センターが鹿児島市外に存在しないことも原因です.私は平成6年までここで勤務しておりましたが,ベッド数60に対して90人以上の赤ちゃんが入院していたこともありました.ベッド数を守らないのは違法なことですが,”入院拒否=死”を意味し,人道上ずっと受け入れられていたわけです.しかしベッド数に対する看護スタッフの数は決められており,医師も看護婦もオーバーワークでした.ここ10年以上,常にベッド数を20程度上回る赤ちゃんが入院している状態が続き,絶対的ベッド不足と相対的看護婦不足,それに伴うハードな勤務状態が慢性化していました.ベッド定床が増加すれば合法的に入院させられますし,それに見合った数の看護婦が増員配属され,その分手厚い看護が出来,勤務も少しは楽になるということです.

行政を動かす署名活動

 さて,ベッド不足ならばベッドを増床すれば良いのですが,法的問題や財政的問題など様々な問題をクリアーしなければなりませんでした.とにもかくにも行政を動かさなければ話が前に進まず,平成9年に日本母性保護産婦人科医会(産婦人科開業医の集まり)が中心となり10万人を目標に署名活動を行いました.財政的に厳しい現在,結局これが行政を動かすこととなりセンター設立の時と同様,県議,市議,医師会の協力の元,今回のオープンに至ったというわけです.鹿児島県民の理解があったからこそ成し得た事だと思います.

今後の問題

 今に始まったことではありませんが鹿児島市外に新生児センターが無いことは市外の先生方や患者さんにとっては非常に不便です.産科関係や新生児関係で患者さんを搬送する場合は一刻を争う場合がほとんどだからです.救急車で搬送するにしても時間がかかりますし,離島ならなおのことです.川内や揖宿へ救急車で赤ちゃんを迎えに行って人工呼吸しながら搬送したことや,夜中に種子島や屋久島へ自衛隊のヘリコプターで迎えに行ったことが思い出されます(うるさくて心臓の音など全く聞こえないし,暗くて顔色もわからない).天候が悪ければヘリコプターも出せません.この地理的問題をどうするかが課題でしょう.

 もう一つ重要なことは建物やベッドや最新鋭の医療機械が備わっていてもマンパワー(人手)が無ければ患者さんは助からないということです.経験を積んだ十分なスタッフの数が必要です.看護婦の場合は何とかなります.

 一般に総合病院に勤務する看護婦は自分の意志とは無関係に各科病棟を移動します.これは人事が決めます.自分の好きな病棟に行けないのは本人にとっては面白くないかもしれませんが,色々な病棟を経験し新しいことを学べることは良いことでもあります.ですから看護婦は各病棟ベッド数に応じて配属され,科によって人数が片寄ることはありません.

 一方,医学部生が国家試験に合格し医師になった場合,何科になるかは本人が決めます.勉強のために各科を学ぶことはありますが,最終的には自分の好きな科に落ち着きます.ですから科によって医師の数は全然違います.我が国では,”石を投げたら内科医に当たる”と言われるほど内科医が多いです.逆に産婦人科医,小児科医になろうとする新人医師の数は激減してきています.これは少子化によるもので当然と言えば当然です.分娩数の減少,子供の減少となれば産婦人科,小児科をやっても食っていけないと思うからです.また”昼も夜もなく辛い””休みがない””緊急が多い””医療事故や医療訴訟が多い”という事実があるからでしょう.

 新生児センターという所は,大人でいう救命救急センターのような所で昼も夜もありません.1000g未満の未熟児の主治医になると不眠不休でしたし,小指のような腕の髪の毛のような血管に点滴1本入れるのも大変です.処置一つ一つが細かく大人よりも手間がかかります.このような環境で働くには,体力,気力,根性,愛情,情熱が必要ですし,当然家庭よりも患者が優先されます.今後,このまま産婦人科医や小児科医が減少しつづけていった場合,鹿児島のみならず全国の新生児センターのマンパワー不足(医師不足)が将来心配となってくるでしょう.

 今,日本全国で小児科医が少なくなっていることが大問題となっています.大学病院でも民間の総合病院でも,
小児科医が少ない→当直勤務体制がとれない→入院させられない→小児病棟閉鎖→昼間の外来のみの診療,という具合に子供に対する医療の規模が限りなく小さく小さくなってきているからです.少子だからこそ子供をもっとよく診て欲しいと思うところですが,現実は逆の方向に向かっています.

 子供が昼間発熱した場合,親は「夕方までには下がるだろう」,あるいは「下がってほしい」と様子を見ます.でも夕方になっても下がらない.「それなら明日病院を受診しよう」と思います.しかし夜になって逆に熱は上がる一方.いよいよ大変!と,真夜中に病院探しです.ところが診てくれる病院がない,という傾向になりつつあるわけです.親が本当に診てもらいたいのは夜間や休日なのではないでしょうか? でもそれが出来なくなってきているわけです.小児科医の減少は,今の日本の時代の流れであり誰が悪いわけでもありませんが,それにしても深刻な問題です.21世紀の日本を支えていく子供達に明るい未来はあるのでしょうか…

NICU1(2階)

NICU2(3階)

GCU(2階)

パイロットクラブより寄贈された新生児脳波室

スタッフの先生方と

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