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自転車旅行

熱海にて
熱海峠

横浜-京都・東海道行<1974年8月4日〜7日>
先輩に誘われ、夏季休暇を利用した自転車旅行。1日目の熱海峠越えで大幅に遅れ、パンク転倒などのトラブルで1泊目となるユースホステルは10時ごろ着く。
強行日程を思い知らされ、以後のユースホステルをキャンセル。行けるところまで行こうという事に。しかし3日目の夕方になってやはり京都まで行こうとなる。関ヶ原を深夜に越え、京都まで意識モウロウ状態の中、徹夜で走り通す。
京都から朝の新幹線で帰る。
後の一人旅野宿行チャレンジのきっかけとなるハードな旅だった。
写真を撮る元気があったのは1日目だけ、2日目からの写真は無い。事前の訓練もせず、暑さと睡眠不足で体力気力の限界を体験、自転車をこぎながら意識を失いかけたこともあった。


関所跡

箱根峠越え<1975年5月24日>
横浜の寮から、箱根を越えて、三島まで。前年の旅で思い残しのあった、箱根峠越えに挑戦。



列島横断・北陸の旅<1975年8月2日〜7日>
余裕をもった日程で、日本横断して、北陸路を走る目標。
山梨の笹子トンネルは自転車通行禁止で、道路公団の車に乗せてもらった。北小谷付近のバス停では、寝付けず深夜走り出したが、渓谷が続く暗闇の中を、後ろから追われるような恐怖感から、とうとう糸魚川の町まで走った。そして明け方、初めて見る日本海の重たい海の色に感激したこと。北陸路に入ってから何度かどしゃ降りの雨に遭い予定が乱れたが、雨宿りで何人ものサイクリストと知り合った。


城ヶ島灯台

三浦半島一周<1975年9月14日> 先輩と二人、夜出発し夜中のうちに三浦半島を一周。
城ヶ島の海岸で寝転んで星空を見ていたら、UFOを発見。


秋田駅前
函館

東北秋田と青森の旅<1976年7月31日〜8月7日> 新潟まで夜行列車で出る。秋田、能代、弘前をへて青森へ。青函連絡船で初めての北海道へ渡り、函館見物して列車で帰った。
旅先で知り合った高校生のテントに泊めてもらったが、彼の山形弁がまったくわからなかったことや、一日中雨と競争しながら走ったり、冷夏の年で夜が寒かったこと。弘前で見たねぷた祭りに、南国の祭りとは違った東北人のエネルギーを感じた。 ねぷた祭り


糸魚川駅にて

新潟-糸魚川・雨中行<1976年10月8日〜10日>
新潟-糸魚川間を地図上に線を引くためにわざわざ出かける。夜行列車で出発。ずっと雨の中を走る旅で、走りながらやっていることのばかばかしさに何度も止めようと思った。


稚内公園にて
池田大橋にて
宮崎のホテルで

北海道縦断、四国縦断と九州故郷への旅
<1977年7月23日〜8月2日>

この年は春から計画し、上司に夏の2週間の休暇を申請した。
まず、函館まで列車で渡り、北海道を縦断。稚内空港から飛行機で大阪伊丹空港へ飛ぶ。京都へ上り、再度南下、中国、九州の縦断、そして加世田の実家へ戻るという予定で出発。しかし三日目、自転車を降りたところで、ひざに激痛がはしる。しばらく休んでおさまったがこの事もあって京都に着いてから四国横断に計画変更、以後詳細地図無しで道を尋ねながら走ることに。
北海道では、札幌までの中山峠越えに水の補給を怠って、かつて経験したことの無いのどの乾きに苦しんだ。ツーリストの本場北海道はさすがで、札幌駅では通路に宿をとる仲間のシートがずらりと並んだ。稚内で泊まった古旅館の女主人に焼酎を飲まされた挙句ある宗教の教会まで連れてかれたことも。
フェリーで四国へ。四国では、うどん屋さんで水筒いっぱいにもらったお茶を、店を出てすぐに飲み干してしまったこと。
四国からフェリーで九州臼杵−日南海岸−本土最南端の佐多岬まで走る。
宮崎ではとうとうビジネスホテルに入った。
(左の写真のように、日焼け等での体力消耗を減らすため、日中は長袖や長ズボンで走っていた。下り坂で一気に体温が下がってしまうのもよくない。)


いわき市境

仙台を目指す<1980年4月12日,13日>
2年ぶりの旅行は、新しく購入した自転車で都心を縦断し、仙台へ向かうも相馬駅でおしまい。
どうしてここまでだったのかもうわからない(記録無し)。


先輩

Great Thanks
貴重な思い出を振り返る時、最初に自転車旅行に誘ってくれた先輩と、旅先で知り合った多くの仲間に感謝。


Data
走りながら、時間や距離を記帳したはずだが、そのノートが見つからない。残念
「線を引くための地図」から写し取った走行ルートはここをクリック

最終更新日1999年1月16日